第五百六十五話 深緑に、命尽きるまで(その九)
「お断り致します」
夫人は、即答していた。
表情は柔らかいが、明確な意志を感じさせる口調だった。
オットーと云う名の小男が、「ほう」と意外そうな表情を作ったが、どうにも演技臭い。
「何故ですか? 先程も云った通り、相場以上の金額ですよ? 貴方とお子さんが慎ましく暮らしていくには、充分すぎる程の値段だと思いますが?」
「……お金の問題ではないんです。あの畑は、主人の残した大切な土地。だから、私が守りたいんです」
「ふぅむ……」
小男は唸った。
感心するような仕草だが、目が笑っていない。
「しかしですな……。女手でやっていけますかな?」
「私は農家の生まれです。それに主人と一緒にずっと薬草畑の手入れをしていましたので、必要なことは分かっているつもりです」
ズブの素人ではないと夫人が説明すると、小男の瞳がますます鋭くなった。
「……ご婦人。貴方もこの国に生きる者ならば、メルローズ財団の力は知っているはず。その商談を断ることの意味は知っておりますな?」
うわぉ。
ストレートな脅迫が来たな。
夫人はビクリと身を竦ませ、一方で正義感の強いイケメンちゃんは、オットーを睨み付けた。
「無体を働くつもりならば、容赦はしないぞ!」
「ほぉう……? 面白ェガキじゃねぇか……!」
そう云って前に出て来たのは、護衛役と思しき大男。
尤も、これはノエルに対する脅しの一環だろう。
その表情はニヤけており、敵意よりも明確な侮りが見えた。
たぶん、彼らには目の前の少年(少女?)が、ただの子どもと映っているのだろうな。
小うるさいから、ちょっと凄んで黙らせようという程度の考えなのだと思う。
(まあ、侮ってくれるほうがありがたくはあるか)
大男は、俺たちのほうにも振り向く。
「お前も、文句があるのか?」
チンピラという範囲内で、まあ迫力はあるほうだったと思う。
たぶん、こういった恫喝に慣れているんだろうなという自然さがあった。
事実、ご婦人の娘さんは怯えて泣き出しそうだ。
しかし、勇ましく前へ出る幼女がひとり……。
「めーっ!」
それは、我らが妹様であった。
「にーたいじめる、それ、ふぃーが許さないのーっ!」
恫喝のセリフと表情が向けられたからか、フィーは俺を守ろうとしたようだ。
先程のノエルとヴィリーくんの争いは、『俺』が蚊帳の外だったし、踏み込んでいったのも俺のほうからだったので、『敵対行為』と判定されなかったのであろう。
大柄な男は、笑い出すのを我慢しているようだった。
そりゃそうだろう。
こんなちいさな女の子が、『強者』であるなどと、誰が考えるだろうか。
「オットーさん」
「ふむ」
メルローズのふたりは、頷きあっている。
それから大男は、フィーに向かって肩を竦めた。
「わかったわかった、俺が悪かった。お前には勝てそうにねェ……。謝るから、勘弁してくれ……」
ただの子どもなど、相手にする価値もないと考えたようだ。
「みゅぅ……っ! にーたに謝るなら、見逃すの……!」
「ああ、はいはい。――悪かったな、坊主」
小馬鹿にしたような態度で、俺に頭を下げる大男。
どうやら彼らは、一旦引くことに決めたようである。
「ご婦人、お子様がたの前では、何かと大変でしょう。今回はひとまず引き上げます。――ですが、次は色よい返事が貰えるものと、期待しておりますよ?」
小男は笑っている。
彼らには強力な『権勢』があり、しかも夫人がそれを理解したのであれば、暴力など使う必要が無いと思ったのだろう。
冷静に頭を冷やせば、『売却』という選択肢以外ないはずだと考えたのだと思う。
オットーの勝ち誇った顔には、そういった傲慢さが見えた。
小男と大男は、そうして引き上げていく。
ノエルはそれでも慎重に、彼らの消えた後も柄に手を当てて気配を探っていたが、幼女ちゃんはうちの妹様に感嘆の声をあげた。
「フィーちゃん、すごーい! あの人たちを、追っ払っちゃうなんて! 怖くなかったの……っ!?」
「ふぃー、大事なにーたのためなら、何も恐れない! にーたが酷い目に遭う、そっちのほうがイヤ!」
ピトッと俺に抱きついてきて、何かを期待するように見上げてくるマイエンジェル。
俺は妹様を抱き上げ、サラサラの銀髪を撫でた。
「兄ちゃんを守ってくれて、ありがとな?」
「ふ、ふへ……っ! ふぃー、大好きなにーたを守る、それ当然のこと!」
あーあー……。
なでなでされて、なんて嬉しそうな顔を。
でもお願いだから、危険なことはしないでおくれよ?
さっきの男が子どもも平気で殴るタイプだったらと思うと、正直、気が気でない。
何かあったときに盾になるのは、俺で良い。
そして振り返ると、夫人は俯いて震えていた。
娘さんがお母さんに取りすがって慰めている。
幼女ちゃんは、母親が怖い思いをしたからだと考えているようで、
「お母さん、大丈夫だよ? おっかない人たち、フィーちゃんが追い払ってくれたから!」
そう云って励ましているが、あれは『大商家に目を付けられて、この先どうしよう?』という類の絶望だろう。
畑を手放したくはないが、逆らうことも出来ないという。
「ノエル、どうにかならないかな?」
「……正直な話、難しいと思うね。これが例のドラ息子のところなら、あくまで対象は『ヘイフテ家のみ』だ。でもメルローズが出てくるとなると、この国の貴族達複数が絡んでくる。力を喪失した平民会では及び腰だろうし、そもそも対抗する力がない」
もともと、ヴィリーくんちへの対応でも、平民会は出張って来ないだろうって話だったからな。
より大規模な集団では、それこそどうしようもないのだろう。
「ノエル、ちょっと外すね」
俺はフィーを抱いたまま外に出て、妹様に問う。
「フィー。周囲に誰かいるか? たとえば、こちらを探っているようなヤツとか」
「みゅ~ん……! ――いない! こっち見てる、それイェットだけ!」
便利な力だよねぇ、マイシスターの才能は。
「――イェットさん、出て来て貰えますか?」
「……な、なに、何か……?」
影は音もなく、静かに背後に現れた。
「え~と……。今のゴタゴタ、見てましたか?」
「そ、それが、し、しご、と、ですから……」
うん。まあ、そりゃそうだよね。
「ええと、たとえばなんですけど、あのご婦人を、ショルシーナ商会で助けてあげることは出来ますか?」
俺は全くの無力なので、こういうときに頼れるのは、エルフたちしかいない。
果たしてイェットさんは、黙り込んだ。
「…………」
「…………」
何も云わない。
云ってこない。
でも、何か前向きではない感じだ。
「イェットさん。俺はバカなので、色々なことが分かりません。ですので、何かを悟れと云うのはちょっと難しいです。出来れば言語化して貰えると、助かります」
俺がそう云うと、二分くらいの間の後、彼女は語り出した。
「こ、これ、これは、商会のい、意思ではなく、わ、私、こ、こじ、んの、意見、なのです、が、か、かま、構いません、か……?」
「ええ、もちろんです。聞かせて下さい」
イェットさんの言葉をまとめると、こうだ。
今回の話はノエルが俺に持ち込んだ話であって、そもそもからして、ショルシーナ商会は一切の関係がない。
だから手を貸す義務もなければ義理もない。
商会の農業部は優秀で、そこらの薬草畑よりも良質な『自社ブランド』があるので、外部を取り込むメリットもないのだと。
加えて云えば、今こうしてイェットが護衛として同行しているのは、メルローズとの無駄な争いを避ける為のものだ。
だからこそヤンティーネやフェネルさんではなく、隠密能力に長けた彼女が付いているのだ。
そんな状況で、彼女を庇えばどうなるか?
それはショルシーナ商会とメルローズ商会の争いへと発展してしまうだろうと彼女は云った。
たとえばショルシーナ商会が先に彼女の薬草畑に目を付けていたならば、それはある意味で公平な競争となるが、メルローズが動いた後に横から件の農家をかっ攫っていけば、それはエルフたちからケンカを売ったことになる。
何せ前述の如く、ショルシーナ商会は外部の薬草畑を必要としていないのだから、どう見ても嫌がらせの為の横やりにしか見えなくなる、ということだ。
「あ、あな、貴方が望まれるのであれば、しょ、商会長、たちは、き、きっと力を貸す、と、お、思い、ます……。で、ですが、商会の、一会員と、し、しては、そんな個人的な理由で、しょ、商会を争いの、か、渦中に放り込むことは、し、したく、あ、ありま、せん……」
「…………」
そう云われてしまうと、俺も黙らざるを得ない。
ショルシーナさんたちが助けてくれたとして、その対価を俺は支払えないのだ。
確かにショルシーナ商会とメルローズ財団の仲は良くはない。
だが、表だって争っていないのも事実だ。
そのギリギリの均衡を、俺の都合で崩してしまって良いのだろうか?
「イェットさん。彼らは買収の金額を上乗せすると云っていましたが、それで彼女たちが幸せになれると思いますか?」
「あ、あり得ません……」
即答だった。
俺は理由を訊く。
彼女はこう答えた。
「め、メルローズは、典型的な、に、『人間』、です……。約束を反故にすること、あ、或いは、三割増やしたのだからと、別の無茶を通すこと、当たり前に、お、行い、ます……。同じ売るなら、ま、まだ他所のほうが、良い結果に、な、なると思います……」
まあ、そうだろうね。
そもそもあのご婦人に、畑を手放す気がないのだ。
俺が勝手にあれこれ考えても仕方がない。
(どうしたもんかな……)
うんうんと、うなり声を上げる。
「にーた、何か悩んでる? ふぃー、キスしたほうが良い?」
「ん~? ありがとな、フィー」
「ふへへ……っ! ふぃー、にーたの妹! にーたを元気づける、それ当然のこと! ちゅっ!」
う~ん、キスされてしまったぞ。
そこに――。
(うん……?)
角の向こうからドカドカという、荒い足音。
けれどもどこか、訓練されたかのような足音。
イェットさんもそれを察知したのか、その姿が一瞬で消えている。
曲がって現れたのは――。
「む……、貴様は……!」
「え、お貴族様……?」
先程お帰り頂いたはずのヘイフテ家のドラ息子、ヴィリーくんに相違なかった。




