第五百六十四話 深緑に、命尽きるまで(その八)
「あら、まあ……。ようこそおいで下さいました、可愛いお客様たち」
宿の一室で出迎えてくれたのは、品のある女性だった。
たぶん、うちの母さんに近い年齢だと思うが、詳しいことは分からない。
この女性こそが、件の薬草畑の主人である。
少し前に旦那さんが亡くなり、それでも土地を売り払わずにその畑を引き継いで、子どもふたりを育てながら切り盛りをして行くつもりなのだという。
今度のお祭りでの出店も、変わらぬ品質を宣伝する為のものなのだと。
「それ、大変じゃないんですか?」
「楽ではないのでしょうね。でも、主人の残した大切な畑ですもの。私が守っていかないと」
俺の言葉に、彼女はそんな風に笑う。
きっと、強い人なんだろうねぇ。
今回は暫く王都に滞在して、準備その他を行っているらしい。
「失礼ですが、留守の間の畑は……?」
イケメンちゃんが、そんなことを訊く。
確かに俺も、それは気になる。
「私には農夫の兄がおりますので、そちらに頼っております。上の子も、兄に預けているんですよ」
このご婦人、下の子は王都へ同行させて来たのだと。
本当はふたりとも置いてくるつもりだったようだが、下の子がまだ幼いことと大泣きされたことで、ご婦人が折れて同行を許したのだそうだ。
その子は現在、うちの妹様と遊んでいる。
「ふへ、ふへへへぇ~~っ!」
「あ~! 待って、待ってよう~!」
実に子どもらしく、単なる追いかけっこだけで笑顔になっている。
俺はそんな幼児たちを見守っていればいいから楽なものだが、イケメンちゃんは違う。
神妙な顔で、女性に尋ねた。
「それで、ヘイフテ家の件ですが――」
「はい……。それなんですが……」
俺たちは先程ヴィリーくんと会ったが、彼は既にこのご婦人に会い、その帰りであったようだ。
ヴィリーくんの要求を簡潔に云うと、『畑をヘイフテ家に買い取らせろ』であったという。
「貴族様は私に所有権を手放し、以後は管理人として働くようにと要請されました」
「要請ですか。強要ではなく?」
ノエルの言葉に、ご婦人は困った風に笑った。
まあ直言はしづらいだろうね。
それに、どちらであっても同じことだ。
貴族の言葉は、実質的には『命令』と同じだろうから。
イケメンちゃんは、質問を続ける。
「ヘイフテ家の次期当主には、三人の手下がおりましたが、彼らから無体は働かれませんでしたか?」
「いいえ……。貴族様は、おひとりで私の所へ来られました。お供の方はおりませんでしたから、きっと外で待っていらしたのね」
あのガラの悪い取り巻きたちとは会っていないのか。
ヴィリーくんにもそのくらいの分別があったのか、それとも単に邪魔だと思ったのか。
俺たちの傍を元気良く走り回っている二名の女児のうち、ひとりが立ち止まった。
「あのお兄ちゃん、良い人だよ~?」
小首を傾げるようにして、ハッキリと云い切った。
真っ直ぐな瞳だった。
思わず、ノエルと顔を見合わせてしまう。
「ノエル氏。かかる感想を、聞いたことはありますかね?」
「……まあ、レアなことは確かだね」
或いは、子どもにだけは優しかったりするのかな?
ああいや、俺も一応子どものナリだが、普通に刃を引かれたばかりか。
そこに、ピトッと抱きついてくる子がひとり。
「はいはーい! ふぃーのにーた、優しい! ふぃー、いつも良くして貰ってるっ!」
女の子に対抗して、何故か『兄自慢』を始める天使様。
そのままよじよじと登ってきて、腕の中に収まった。
一方女の子は、ぷうっと頬を膨らませる。
「ウソだぁ~っ! うちのお兄ちゃん、全然優しくないもん! おとなりの子も、同じこと云ってたもん! いつもお兄ちゃんにいじめられるって!」
こういう微笑ましい不満も、ある意味では当然ではあるんだろうな。
俺の周りにいる兄妹と云えば『セロ組』――ハトコの兄妹と、バウマン子爵家の双子兄妹くらいだが、あの二組はどちらも兄思いの妹思いだったな。
「ふぃーのにーた、いつもおやつ分けてくれる! 一緒にいてくれる!」
「私のお兄ちゃん、滅多に出ないおやつ独り占めにするの! このないだ、クッキー取り上げられた!」
「ふぃーのにーた、優しい! シチューこぼして掛けちゃっても怒らない! 寧ろ、ふぃーの心配をしてくれる!」
「うちのお兄ちゃん、優しくない! お水こぼしたら、ぶたれた!」
何だこの会話……。
ノエルの邪魔になってなきゃ良いけどな――って思ったが、笑ってくれているな。
流石は、中身までイケメンなだけはある。
彼女(彼?)はご婦人に向き直る。
「――では、現状では法に触れる行為はなかったのですね?」
「はい……。土地を手放すようにと再三云われはしましたが、そういうことは……」
まあ、手放せと云う言葉を繰り返す時点でどうなんだと思わなくはないが、脅迫や暴力は使っていないようだ。
或いは、まだその段階ではないと思っているだけなのか。
――そこに、ノックが響いた。
夫人が返事をする前に、扉が無遠慮に開く。
ノエルは既に、剣の柄に手を当てている。
「失礼しますよ……」
入って来たのは、見覚えのない小男だった。
高そうで、けれども趣味の悪い服に身を包んだ。
そしてその小男に付き従うように、大柄な男も入ってくる。
こちらは粗野な冒険者か傭兵くずれかという、気品とは程遠い姿をしていた。
用心棒か何かだろうか?
「あ、あの、貴方たちは……?」
女性は困惑し、かすかに怯えているようだった。
先程まで元気いっぱいだった少女も、母親の陰に隠れてしまう。
その両名を庇うように、ノエルは前に立っている。
フィーは――ダメだ、とろけそうな顔で、俺を見つめているだけだ。
男たちを、気にも留めていない。
闖入者たちも、子どもなんぞに用はないのだろう。
側面にいるクレーンプット兄妹や、正面に立ちはだかるノエルを無視して、ご婦人に笑顔を見せた。
それは他人を安心させるような温かいものではなく、『悪徳商人の見本』みたいな、素人目にも打算を感じさせる、脂べとつくような笑み。
男は女性が薬草畑の持ち主であることを確認すると、こう云った。
「突然押しかけて申し訳ありません。――実は、おめでたい話を持って参りました」
「め、めでたい話、ですか……?」
「ええ、とても」
小男は、ニコニコと笑う。
「そちらの持つ土地と畑を、高値で買い取らせて頂きたいのですよ……」
「え、う、うちの、土地を……ですか……!?」
「はい。貴方の薬草畑を、です。相場よりも、三割高く買わせて頂こうと思っております。どうです、良い話でしょう? 普通は買いたたかれるものですからね」
女性は困惑している。
そりゃそうだろう。
いきなり入って来て、土地を売れと云うのだから。
ノエルが鋭い瞳のままに問う。
「貴方たちは、どこのどなたですか?」
「うん? 坊やは、こちらのご婦人のお子さんかな……?」
男は、侮るような視線を友人に向けた。
子どもなど、お呼びではないとでも云うように。
すぐにノエルから目線を離し、夫人に向ける。
「そうですね、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はオットー。この国最大にして、最も優れた商家、メルローズ商会に勤める者でございます」
メルローズ商会!
例の、きな臭い財団に属する人間か!
色々と噂は聞いていたけれど、そこの商会員を、初めて見たぞ。
(と、云うことは、ヴィリーくんちとは別口で、買収の話が動いているのか……)
利権が絡むのであれば、それはある意味で当然か。
利に敏い連中が、鵜の目鷹の目で狙っていると云うことなのだろう。
(偏見込みで云わせて貰うと、俺なら三割り増しでも、メルローズには売りたくないなァ……)
さて、ご婦人はどう反応するのだろうか……?




