第五百六十三話 深緑に、命尽きるまで(その七)
以前、エイベルは俺に云ったものである。
「……アルは、対魂防御と時術耐性を持つべきだと思う」
その言葉に、ちょっと困惑したのを憶えている。
先生様は、こう仰ったのだ。
「……対魂防御と時術耐性を持たないと云うことは、水無しで砂漠を行き、虫除け無しで密林を歩くようなもの。単純に危ない」
理屈は分かるつもりだけれどもさァ……。
「いや、そりゃ持てるなら俺も持ちたいんだけど、無理でしょ実際の話」
常人には賄いきれない程の大量の魔力と、特殊な魔術に対する幾層もの複雑すぎる術式の数々が必要となるのだ。
昔エイベルに対魂防御の『基礎モデル』を見せて貰ったとき、高級腕時計の中身を見たかのような困惑だけが残った。
高度で複雑すぎて、一目で心が折れるような。
しかもそもそも、それらの魔術は『常時展開』していて、はじめて役に立つものだ。
俺には、あまりに遠すぎる。
その言葉に、エイベルは無表情に頷いた。
「……技術は兎も角、アルの魔力量では、各種防御の長期の維持が出来ない。それは私も理解している。けれどもそれは、『努力を放棄して良い理由』にはならない。足りないならば足りない範囲で、少しずつ改善すべきものだと思う」
「御説はごもっとも。であるならば、どうかこの不肖の弟子に、道行きのひとつでも示して頂きたく」
目印や矢印くらいは貰えないと、流石にどうしようもないからね。
エイベルは再度頷いた。
「……対魂防御は現状では一切の見込みがない。時術耐性も遙かに遠い。だから、これは前段階」
そうして、対魂防御でも時術耐性でもない『強化』を教わった。
※※※
「ぬ、ぬぅぅ……っ!?」
ヴィリーくんが、なんとも云えない呻き声を上げている。
そりゃ、いきなり乱入されれば困惑もしようが、この辺で止めないと大変なことになるからね。
――どちらも怪我を負っていない。
この前提が大切なんだ。
「あ、アルっ、危ないじゃないか……っ! 手、手は大丈夫なのかいっ!?」
イケメンちゃんの言葉もどこかピントがずれている気もするけど、『まずこちらを気遣う』というのは、この子らしくはあるのかな。
「き、貴様……っ!」
怒りの表情を浮かべたヴィリーくんは、俺を睨み付ける。
「誰かと思えば、二級試験の時の小僧か……! この私が温情で合格を与えてやったというのに、新聖なる貴族の戦いの妨害を策すとは……! 相応の覚悟あってのことなのであろうな!?」
覚悟とか、そんなのあるわけないじゃん。
というか、今の今まで俺の事忘れていたのね。
いや別に、憶えて無くても構わないんだけどもね。
そしてノエルは――。
「二級……っ!? まさかそれは、魔術試験のことかい!? じゃあ、キミこそが、史上最年少の段位魔術……!」
それは村娘ちゃんね。俺じゃァないよ。
ノエルはおっかなびっくり、俺の手から剣を離した。
そして血が付いていないか、自分の刃を確認している。
一方、ヴィリーくんの剣を俺は掴んだままだ。
この端正な顔をした貴族からは、戦意の炎が消えていないからだ。
そして何かを思い付いたかのように、意地の悪い笑みを浮かべる。
「斬り合いに飛び込んできた蛮勇は見上げたものだが、代償が高く付いたな?」
そう云うやいなや、ヴィリーくんは刃を一気に引きやがった。
正気か、と思ってしまう。
対策をしているから、問題ないとはいえ、子どもの手だぞ!?
命の価値観が違いすぎるな!
(いや、違う……ッ!)
僅かに浅い。
これなら大怪我はしても、ギリギリ治る範囲かも。
少なくとも、『分割』されることはなさそうだ。
(でもなァ……。大怪我したら、普通の平民じゃ治療費は出せないか。或いは、治療前にどうにかなっちゃうかも……)
いずれにせよ、これはたぶん、『手加減』だ。
ひとりよがりで、やられたほうは助からない手加減だとしても。
こういうものを即座に見極めが出来ないから、俺は未熟なんだとつくづく思う。
(だが、エイベルのおかげで色々と助かったぞ……)
俺がプリティーチャーから教えて貰ったものは、身体強化のひとつ。
『認識速度の強化』だ。
人には得手不得手があって、たとえば俺は『探知系魔術』が苦手だが、身体強化のひとつである『視力強化』は赤ん坊のころから使えていた。
認識速度の強化は、それを補強する為のものだ。
よくものが見えても、それに反応できねば意味がない。
たとえば俺が仮に光速で動けたとしても、銃弾をかわすことは難しい。
それは、『撃たれる』、『それを認識する』、『動き出す』というプロセスが必要だからだ。
認識が遅れてしまえば銃弾より速く動けたとしても、動く前に撃ち抜かれるという結果を産むだけ。
今回の強化は、その弱点を埋めるものだ。
俺は視力強化が使えるし、運動能力の向上も可能だ。
そして認識が速くなれば、今回のような、『刃を掴む』という芸当も出来るようになるわけで。
ああ、ちなみに掌の中には、いつもの粘水を張り付けてある。
ヴィリーくんの剣は高級品なんだろうけど、それでも『柔らかい水』は斬られない。
この手製の安全グローブは、余程の存在でもない限り、早々打ち破られないだろう。
「うぬぅ……っ!? 斬れないだとォッ!? それに、刃が動かん……ッ!」
身体強化を遣っておりますからな。
というか、俺の力量ではそうでもしないと、このふたりの『達人』には敵し得ない。
(実際、ヴィリーくんの強さは、ちょっとしたものだ……)
王都やセロの騎士をちょいと見ただけだが、首都や大都市の正規兵と戦っても、おそらく彼なら勝利する。
それも複数人を相手に、剣の腕だけで。
ヴィリーくん、魔術も使えるみたいだしね。
ちょっとやそっとの使い手では、この口の回る奇妙な貴族には勝つことは出来ないだろう。
彼の強さとは、それ程のものだ。
尤も、もちろん『上には上』がいて、たとえば俺が先々月に知り合ったクララちゃんちに仕えていた、『なんちゃらの四剣士』とかいう老人たち。
あの老いた騎士たちと比べて、ヴィリーくんの技量は二段、三段落ちると思う。
やれば、爺さんズが必ず勝っただろう。
それでも、彼の『若さ』を考えれば、相当な修練を積んでいるのだと思う。
性格がひん曲がっているのに、そういう『真っ当さ』を持っているのが、俺には不思議だった。
初めて彼を見かけた二年前も、そういえば孫娘ちゃんが誹謗中傷されるのを憤っていたっけか。
ヴィリーくんには、そういうちぐはぐさが散見される。
「ぐ、ぐおおおおおぉぉぉぉ……ッ! 何故だ、何故動かん……ッ!?」
力を込めているのに引き抜けないのが、相当に不思議であるらしい。
でもね、ヴィリーくん、キミ、引っこ抜く為に身体強化を使っただろう?
それじゃダメなんだよねぇ。
強化に使われる魔力は、俺が根こそぎ無力化しているから。
この『インチキ』に気づけない限り、たとえハイエルフ級の魔力を込めたところで、穴の空いたバケツなんだ。
筋力にブーストは掛からない。
俺は彼に語りかける。
「ちょっと提案なんですけどね」
「何? 提案だと? 平民風情が、貴族に提案する資格があると思っているのか!?」
おぉう……!
提案の中身以前に、提案そのものにダメ出しを喰らうとは……。
流石はお貴族様ですな。
まあ、気にせず云わせて貰うけれども。
「ええと、今回は見逃して貰いたいんですけどね?」
「見逃せだと!? 貴族相手に狼藉を働いておいて、何を云う!?」
「じゃあ続行しますか? 我が身の安全が掛かっているなら、俺も参戦しますけど。――二対一。貴方のお仲間は皆動けないんだから、そうなりますが」
「ち……ッ」
彼はイケメンちゃんを睨み付け、それから地面に転がる子分たちを見た。
「仮に二対一で戦っても私は敗れぬが、力量差に窮したお前たちが我が友人を人質に取ることも考えられる……! 我が友人たちの生命の安全の為に、業腹だが引いてやろう……!」
ヴィリーくんの屁理屈も、本当に筋金入りだよねぇ……。
何にせよ、『この場』では事がおさまるようだ。
これはどちらも怪我をしていないからでもある。
流血沙汰になっていたら、引っ込みが付かないだろうからね。
「コーレインの子! そして平民の魔術師! 今日のことは覚えておくぞ!」
そうして、ヴィリーくんは手下を引き連れて去って行った。
でも薬草畑に絡んでくるんじゃ、またすぐに顔を合わせることになるんだろうなァ……。
「アル、無茶をしないで……!」
イケメンちゃんは、俺の掌を確認する。
直前に粘水を消して、無傷の掌を見せてあげる。
「良かった、傷が無くて……」
「それは俺のセリフだよ。いきなり斬り合いをするとか、無茶にも程があるだろう?」
「向こうが真剣を使ったんだ。こちらもそうしないと、たぶん斬られていたよ」
まあ、それはそうなんだろうけれどもね。
ノエルは、悔しそうに云う。
「今のボクの身体では、ヘイフテ家のドラ息子をあしらうことが出来ない……!」
「もうちょっと育っていれば、行けると?」
「もちろんだよ。たとえば二撃目の振り降ろしの時、左側面に隙があったろう? 身体が思う通りに動けば、そこで決められた。六撃目の胴薙ぎの時も、その後の袈裟斬りの時も、充分な隙はあったんだ。あの戦いに割って入れたキミなら、当然気付いていたとは思うけれども」
「…………」
全ッ然ッ、気付きませんでしたとも!
俺はあくまで、『見える』だけ。
分かるわけないじゃんか、そんな強い人の理屈!
「それにしても凄いね、段位魔術師というのは! キミがいてくれて、ボクは心強いよ!」
俺は色々と特殊だからなァ……。
通常の段位魔術師のような活躍を期待されても、ちょっと困る。
まあ、段位魔術師というのも、あまり詳しくは知らないんだけどね。
美人で優しいけど、ちょっとアブナイ気配を持ってるフィロメナさんくらいしか親しい人がいないし。
「にぃたぁぁぁぁっ!」
そうして、マイエンジェルが駆けてくる。
子ども特有の、危なっかしい走り方で。
「よっと」
俺はマイシスターをしっかりと抱きとめて、それから『だっこモード』に回帰する。
悶着が済むまでちゃんと待っていてくれたのは、この娘の成長の証なんだろうな。
「フィー。よく我慢出来たな?」
「ふぃー、寂しかった……! でも、にーたのために頑張った……!」
「えぇ……? ものの数分じゃないか……!?」
イケメンちゃん、そこは云ってくれるなや。
もちもちほっぺを堪能しながら、俺は苦笑いを彼(彼女?)に返した。
更新が遅れて申し訳ありません……。




