特別編・母さん、正月に挑む!
新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、拙作をよろしくお願い申し上げます。
それは、暮れもおしつまった十二月のことであった。
サンタさんの捕獲に失敗し、うちひしがれたフィーがハンバーグを食べて復活し、なんとか笑顔で新年を迎えようとしていた矢先――お風呂上がりの折に、事件は起こった。
「はぁ~……良いお湯だったわぁ~……」
「ふへ~……。ふぃーも、あったまったの~……」
「きゅふ~……っ」
ほこほこになって戻って来た、クレーンプット家の女性陣。
一方、家族の部屋では、俺がエイベルに勉強を見て貰っているところであった。
本当は勉強するなら屋根裏部屋のほうが落ち着くのだが、
「戻って来たとき、誰もいなかったら寂しいじゃない!」
と云う母さんの鶴の一声で、こちらで勉強していた次第。
「……もう、リュシカ……!」
うちの先生が、帰還した母の姿に眉を顰めている。
マイマザーは少し無頓着なところがあるので、こうしてバスタオル一枚でうろついていることが、恥ずかしがり屋のエイベルには信じられないのだろう。
母さんの影響か、フィーもマリモちゃんも、丸出しのときがあるからな……。
俺としても家族の前では、羞恥心は持っていて貰いたいところだが……。
「……アルは見ちゃだめ……っ」
母さんが豪快にバスタオルを取ると同時に、エルフの先生様が、ちいさなおててで俺を目隠しされた。
家族なんだから別に良いじゃないか、とは思うが、この御方くらいの堅さも、我が家には必要なのかもしれないとも思う。
マイマザーが下着を身につけると、エイベルは取り敢えず手をどけてくれた。
――大変なことになったのは、その直後だ。
「んゅ……っ? んゅゅゅ……っ?」
当家の天使様が小首を傾げながらリュシカ・クレーンプット氏に近づき、そして――。
「おかーさん、雄大になった!」
むんずと、そのお腹を鷲掴みにされたのである。
ピシッという、空気の凍り付く音。
おそらくは愛娘ふたり以外が、敢えて触れなかった魔の起爆スイッチであった。
母さんは笑顔を保とうとして失敗したまま、震えながら云う。
「フィーちゃん……? 何を――云っているの……?」
「おかーさん! お肉付いた! ふぃー、もにゅもにゅするの好きっ!」
残念ながら、まだ幼いフィーに『空気を読む』というスキルはなかった。
遠慮会釈もなしに、実母の腹肉をムニムニしている。
「あぶ……っ!」
一方、『姉』の行為に興味を持った末妹様は、自分も腹を揉もうとして届かず、俺の所へやって来て、だっこをしてと、てしてししてきた。
どうやら俺に抱えさせて、母さんの腹をつまむ腹づもりらしい。腹だけに。
(お、俺はこれに荷担して良いのか……? 俺だけは許されない気がするんだが、行って良いのか……!?)
刹那の俺の葛藤はしかし、膝から崩れ落ちた母さんによって、無効化された。
「あきゃっ!」
これ幸いと『母』のぽんぽんを掴みに行くノワール。
長女と次女に『同時もにゅもにゅ』されて、母さんは今にも泣き出しそうだ。
「うううぅぅぅ~~っ! エイベルぅぅ~~……っ!」
縋るようにして親友を見つめる母さんに、マイティーチャーは慈悲の欠片もない視線を返した。
「……最近のリュシカは、少し食べ過ぎている。これは、その結果」
「で、でもでもでもでもぉ……っ。フィーちゃんだって、よく食べてるじゃないぃぃ!?」
「……フィーはアルにだっこされている時間以外は、縦横無尽・自由狼藉に駆け回っている」
最近は、よく棍棒も振り回してるしねぇ……。メジェド様姿で。
「じゃ、じゃあ、エイベルはどうなのよぅ……っ。エイベルだって毎日毎日、パクパクパクパク、プリンを食べているじゃない……!」
「…………」
あ、マイティーチャー、無言で目を逸らしたぞ!?
うちの先生の暴食は、『太らない体型』という天の恵みによって安全圏が保証されているから、上手い反論が出来ないのだろう。
「うぅぅぅ~~……っ! アルちゃぁぁぁん……!」
俺に頼られてもなァ……。
そもそも母さんって、いつも家族を見守る側だから、そんなに動かないのよね。
フィーやノワールが駆け回るときは、お守りするのは俺の役割だし。
しかし、一切の献策をしないという訳にも行くまい。
こうしている間も、俺の身体はマイマザーの豊満ボデーにズブズブと呑みこまれている最中なのだ。
このままでは、完全に取り込まれてしまう。
「えっと、母さん」
「な、なぁに、アルちゃん!? アルちゃんは天才だから、何かいい考えが浮かんだのよね!? ね!?」
痩せるという行為は、つまるところ貯金を殖やすのと同じだ。
即ち支出を減らし、収入を増やす。
この、逆バージョン。
「ひとつ、無駄に食べない。ひとつ、頑張って運動をする。以上っ」
「……アルちゃんはお母さんに、そんな酷なことをいうの!?」
あ。ダメだこれ……。
努力をする気がない人のパターンだ……!
エイベルが冷めた視線を親友に向けた。
「……痩せるつもりなら、それ以外に道は無い。でなければ、後は坂道を転げるようにして、転がりやすい体型になるのみ……」
「ひ、酷い……っ。酷いわぁぁ……」
落ち込み果てる母さんのお腹を、フィーとノワールが再び掴んだ。
「おかーさん! ふぃー、この感触気に入った! だからふぃー、このままでも良いと思う!」
「あきゃっ!」
「う、うわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああん……っ!」
マイマザーは、泣き崩れた。
※※※
「――という訳で、今日は運動をしますっ!」
「おぉぉ~~……っ!」
「きゃ~……っ!」
そして迎えたお正月。
離れの庭では、運動着姿になったクレーンプット家の女性陣が、並々ならぬ情熱の炎を燃焼させている。
……フィーとノワールは、ただ単にいつもの調子で、外で遊ぶだけのつもりなんだろうけれども。
「にーた、にぃたぁぁっ! ふぃーたち、お外でいっぱい遊ぶっ! ふぃー、今日はお砂場で遊びたい!」
「にー! あきゃっ! にー、にーっ!」
さっそく左右から、クレーンプットシスターズの熱いお誘いが。
エイベルもジーッとこっちを見てるけど、ごめんよ、ちっちゃい子たち優先ね。
「私はやるわ、私はやるわ、私はやるわ~……っ!」
一名だけ、不純で切実な動機の者がおりますな。
新年早々足を運んでくれているヤンティーネ先生が、そんな母さんに云う。
「今まであまり運動をしてこなかった者が急に身体を動かすと、怪我のリスクがあり、肉体への負担も、とても大きくなります。まずはストレッチを中心にして身体をほぐし、その次にウォーキングから始めると良いでしょう」
「そ、それだけで痩せられるの……?」
「急に体力を使う運動をしたところで、数分で動けなくなるだけです。それでは効果的な運動であるとはとても云えません。ゆっくりと持続時間を増やしていくことが肝要です」
「うぅぅ……。大変そうだわぁ~……」
「ストレッチして歩くだけですから、そうでもないですよ。重要なのは、継続して行うことと、不必要な食事を控えることのみです」
「必要じゃない食事なんてないわよぅっ!」
「ふぃーも! ふぃーもそう思う! 食べる、楽しい! たくさん食べられない、それツラいこと!」
「あぶ……っ!」
うちの女性陣、食いしん坊だからなァ……。
「アルちゃあああんっ! お母さんに、力を貸してぇぇぇっ!」
そもそも『食い控え』をせずに痩せようというのは、ちょっと無理がある気が……。
たまに『運動だけ』で痩せようとする人がいるが、これは根本的に誤りだ。
人間の身体というのは、実はかなり燃費が良い。
たとえば一キロ痩せるのに必要な消費カロリーは7200キロカロリーと云われているが、これは42・195キロのフルマラソンを三回走って、漸く消費できるかどうかと云う数値。
一方、とんかつ定食なんかはご飯おかわり込みで、平気で2000キロカロリーとか取っちゃうからね……。
この世界ではまだとんかつは『発明』していないが、ハンバーグやら天丼やらを日々召し上がるマイマザーには、『運動だけ』は難しい話だ。
(と云うかそう考えると、よく今まで体型を維持出来ていたな?)
まさに人体の神秘。
或いは、見えざる神の手か。
いずれにせよ、俺に出来るのは母さんを励ましてあげることくらい。
「母さん。俺は母さんにいつまでも綺麗でいて欲しいし、母さんもそうでいたいんだろうから、頑張ろう。ウォーキングなら、俺が一緒に付き合ってあげるから」
「うぅぅぅ……っ! アルちゃぁぁぁぁぁんっ!」
がぶぁっ、と抱きつかれてしまったぞ。
その様子に激怒する、クレーンプットシスターズ。
何にせよ、少しは『やる気』を出してくれたみたいだが、そこに――。
「アルくん、新年、明けましておめでとうございます」
「アルト様、明けましておめでとうございます。新年、初だっこをいただきに参りました」
商会副会長様と、局長様がやって来た。
手には、お土産を持っている。
マイエンジェルが、目ざとくそれに気付いた。
「みゅみゅっ!? にーた、あの包み、何か美味しいもの入ってる! ふぃー、それ分かる!」
フェネルさんはフィーとノワールを素早く同時に抱き上げて、満面の笑みを浮かべている。
「はい。こちらはお年賀のお餅ですよ? 商会でのつきたてなんです!」
一方、ヘンリエッテさんは、俺のほっぺをぷにぷにしながら云う。
「こちらには冷凍庫もありますから、食べきれなかったお餅は取っておいて、後日召し上がって下さいね? 餅米も当商会のオリジナルブランドですので、味も品質も保証致しますので」
後日に残るかなァ……?
うち、食いしん坊ばかりだし……。
「おもちっ!? ふぃー、それ知らない! でも、気に入る予感がするっ! にーた、あれきっと、美味しいっ!」
「あきゅっ……っ!」
お子様たち、大喜び。
しかし俺のすぐ横では、青くなってわなわなと震えるご婦人がひとり……。
「お、おも、ち……」
「母さん……?」
俺の傍まで歩いて来たエイベルは、俺の肩に手を置くと、ふるふると首を振った。
「……お餅は、リュシカの大好物」
ああ、うん。
ダイエット計画は、現時点をもって頓挫したと。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~っ! 私は悪くない! 私は悪くないもんっ! お餅が美味しいのがいけないんだもんっ!」
母さんは泣いていた。
泣きながら、お年賀の袋を抱きしめていた。
――こうしてクレーンプット家の新年は、母の蹉跌から始まったのでありました。




