第五百五十九話 深緑に、命尽きるまで(その三)
「えいっ! やあっ!」
趣のある中庭に、若い声が響いている。
刃落としされた訓練用の剣を振るっているのは、ヴォプと云う名の少年であった。
「ダメだ、ダメだッ! 踏み込みが甘いッ!」
その少年に熱の籠もった指導をしているのは、この中庭――貴族邸の持ち主の一応の嫡男、魔術剣士のヴィリーである。
彼は弟の撃ち込んでくる剣を木剣で軽々といなし、その得物を弾き飛ばした。
「う……っ!」
兄の打撃が強かったのか、ヴォプは思わず膝を付く。
けれどもすぐに、そのことを恥じるかのようにして、剣を拾いに行った。
(うむ……。弱音を吐かず、敗北も自らの未熟さと認め、練習に対する熱意もある……! 流石は我が弟だ……)
ヴィリーは年少の身内の様子に、満足そうに頷いた。
その後もみっちりと訓練を続け、その日の稽古は終了となった。
「――ありがとうございましたっ!」
既にフラフラになりながらも、ヴォプはしっかりと礼をとる。
ヴィリーはそんな弟の頭を撫でた。
「今日もよく頑張ったな」
「いえ……! まだまだです!」
云いながらも、兄に褒められ笑みがこぼれる。
ヴィリーはそんな弟に云う。
「お前は真っ直ぐな良い子だ。常に努力を怠らず、注意されたところも即座に直す……。このまま稽古を続ければ、きっと名うての騎士にもなれることであろう!」
「はい……っ! 兄上の弟として恥ずかしくない人物になってみせますっ!」
「うむ! 期待しているぞ!」
ヴィリーは笑顔で稽古具を置くと、すぐに外出の支度を始めた。
「ヴォプよ。私は仕事に出かける。お前はきちんと、勉学に励むが良い」
「はい、精一杯努めます! ですが……」
「うん?」
「ですが私も、早く兄上の仕事を手伝えるようになりたいです!」
「ははは……! その意気や良し! 期待しているぞ!」
「はい! 私も兄上のような、文武両道の達人になります! そして栄えあるヘイフテ家を、支えるお手伝いをしとうございます!」
「ふふふ……。家を支えるのは、『嫡男』である私の仕事だ。今は自己を高め、研鑽のみに励むが良い」
「お気遣い、痛み入ります! 兄上、どうか頑張ってきて下さい!」
「任せよ」
笑みを交わして、ヴィリーは出立した。
(そうだ。家を支えるのは、この私の仕事なのだ……)
鬼気迫る表情で、貴族の青年は歩き出した。
※※※
「へぇぇ……。薬草畑ねぇ……」
久方ぶりに再会した性別不詳の友人、イケメンちゃんことノエルにまず案内したいと云われたのは、王都近郊にある薬草畑の持ち主との面会であった。
以前の『泥事件』の時も南大陸の村で薬草栽培をしているところを見かけたが、薬草というのは、つまるところ生育すべきものなのだ。
人が育てる事によって安定した供給量を確保でき、更には品種改良も叶う、と云った次第。
実際俺も、西の離れの庭にエイベルの勧めで、薬草用の花壇を作っているんだしね。
よくフィクションのファンタジーものなんかだと、駆け出しの冒険者が町や村の近くで薬草を採ってくる依頼なんかがあるが、この世界ではそんなものは滅多にない。
特定の環境下でしか育たない稀少植物もあるから『ゼロ』とまでは云わないが、普通は薬草は、街や村の中と云った、『内部』にこそ求めるものである。
そこら辺で摘んでこられるものならば育てるのだって簡単だろうし、栽培するほうが遙かに効率だって良いはずだ。
肥料をやれば、野ざらしのものよりも品質も良くなるのだし、人の手で育てない理由が無い。
で、だ。
王都というのは、当然ながら薬草の需要が多い。
単純に人口も多いし、冒険者や騎士も使うし、病院や薬屋だって欲しがるのだから。
つまり、近くの村には王都向けの畜産業があるように、薬草を大量に作って卸している村もあると云う事だ。
では何で、薬草を作っている村と、王都のお祭りが関係してくるのか?
それは祭りという場所が催し物会場というだけでなく、商品売り込みの場だからでもあった。
セロの祭りでも、単なる野菜を売ってる店もあったからね。
王都近郊の出来の良い薬草を、祭りに来る人々に宣伝する絶好の機会であるという訳だ。
勢い、売り込みにも力が入る。
「――で、ヴィリーくんが、そこに横やりを入れてくる可能性があると?」
「可能性と云うか、仕掛けているのは、ほぼ間違いない事だろうね。――薬草の需要というやつは、決して途切れる事がない。ここの利権を押さえられれば、彼の家は潤うはずだから」
つまり、何だ。
例のチンピラお貴族様が、薬草農家のひとつを自分のものにしようと、ちょっかいを掛けていると。
で、その農家は平民会と顔なじみでもあるので、護民官へと陳情が回ってきたのだと。
イケメンちゃんがその農家を見に行くのはそんな繋がり、或いはガス抜きの一環であり、彼(彼女?)自身の勉強の為でもあるのだとか。
当然、『調査』は他の者も行っているとのこと。
「とは云っても、平民会や護民官に貴族の行動に口を出す権利はないからね。上手いこと不正の証拠でも見つけて、『自主的に』やめさせるのが関の山だ。下手につついて、平民会そのものと元老院の対立を激化させるわけにもいかないよ」
江戸時代初期だっけか。
旗本の代表と町人の代表が反目し合って、そこに別の旗本や町人が加わって大ごとになった事があったのは。
彼らには、事の是非や理非よりも自らが属している組織やグループに無条件に力を貸すという、あまり良くない傾向がある。
この世界の平民と貴族だって、きっとそうだろう。
事の善悪よりも、貴族同士で結託し、平民同士で寄り集まる。争いが起きれば、きっとそうなる。
ノエルはその辺を心配しているのだろうな。
(まあヴィリーくんは口が回るから、非合法な手段ではなく、そのスレスレ――外角低めいっぱいか、内角低めデッドボールギリギリの球を投げてくるんだろうけどさ……)
こういう場合って、法知識の有無が重要になるのかな?
正直な話、俺はあまりこの世界の法律について詳しくないからなァ。
魔術試験に出るような、魔導関連の法規なら、多少なりとも分かるんだけれども。
ともあれ、今回の話はある意味ではシンプル。
ヴィリーくんが横車を通して薬草農家を傘下に収めようとしているので、そいつをなんとかするのだと。
(俺としては、こうしてフィーを外に出してやれるから、ある意味ではありがたい話なんだよねぇ……)
もちろんそれは、災難に巻き込まれない事が前提ではあるのだが。
手を繋いでいる妹様を見ると、天使様もこちらを見上げていたらしい。
バッチリと目が合う。
「ふへへぇ~~……! ふぃー、にーたと目が合ったあああああ……!」
う~ん、とろけそうな程の満面の笑顔。
マイエンジェルは、こんなことだけでも嬉しそうだ。
「にーた、だっこ……っ!」
「はいはい……」
デレデレ状態で腕の中に収まっていく我が家の妹様の姿を、真横にいるイケメンちゃんが、無言で見つめている。
「……ん? ノエル、どした?」
「いや、キミたち兄妹は、本当に仲が良いんだなって」
「とーぜんなの! ふぃーとにーた、とっても仲良し! それ、天の法則、地の理!」
そんな壮大な話だったか、兄妹仲っていうものは。
フィーは嬉しそうに、もちもちほっぺを擦り付けてくる。
その様子をマジマジと見つめながら、彼(彼女?)は云う。
「ところで、アル」
「ほいほい」
「ボクがどうして、キミを呼びだしたかは、分かるよね?」
「うん? ヴィリーくん関連で呼びだされたんじゃないの?」
俺は首を傾げた。
腕の中のフィーも、真似して一緒に首を傾げた。
すると――。
「…………」
何と爽やか美貌の友人は、拗ねたふうに唇を尖らせたのだ。
「……ボクとキミは、友人だよね? 少なくともボクはそう思っている」
「俺も、そのつもりだけど……」
「なら、そんな事務的な理由だけだと思わないで欲しいな……」
「――!」
イケメンちゃんは心情を吐露した事が恥ずかしかったのか、拗ねたふうな顔のまま、ほんのりと頬を赤く染めた。
成程。
これは俺が悪い。
と云うか、薄情だったな。
「それは大変失礼致しました」
「ましたー!」
兄妹揃って、頭を下げる。
イケメンちゃんは、ふいっと横を向いた。
これは機嫌が悪いのではなく、単なる照れ隠しだろう。
(そうだよなァ……。この子もしっかりしていても、まだ子どもだもんな。遊びたい盛りでもあるんだろうし、なんとか楽しんで貰いたいねぇ……)
あのチンピラ貴族の対応よりも、そっちの方が大事なんじゃないかと思い至った。
よし。
今日はこの子を、たっぷりともてなす事にしましょうかね。




