第五十六話 クレーンプット家のお風呂事情
風呂。
お風呂の話をしよう。
まず、庶民の自宅に、風呂はあまり存在しない。
逆に、貴族の屋敷には、付いていることが多い。
では庶民は全く入浴しないのかと云うと、これも違う。
大衆浴場、ようは銭湯が存在し、人気を博しているようだ。
これは、この王都に存在する下水道の功績が大きい。あとは、湯を沸かすことの出来る魔道具のおかげだろう。
王都の他、セロのような大都市は下水道が整備され、風呂付きの家を持つ人や、湯屋が存在する。
従って大都市は衛生的になりやすく、疫病が流行りにくい傾向にある。
他方、地方都市は下水道の整備がされておらず、従って銭湯もないことから、病気が流行りやすいのだと聞く。
この辺、識字率と同じだ。
都市部と田舎には隔絶した差があって、それが更なる格差を生むという状況。
で、我が家の場合。
西の離れはベイレフェルト家の持ち物であり、しかも貴族街にあるので、当然のように風呂が付いている。
が、毎日入れるわけではなかった。
頻度は一週間に三回と云った所だ。
これは水くみをするのが使用人達で、しかも使うのが妾とその子供だから、あまり熱心に世話して貰えないと云う理由による。西の離れには湯を沸かす魔道具がないと云う点も大きい。
しかし日本人としては、毎日風呂に入りたい。
夏場なんかは複数回入浴するのが当たり前の世界からやって来たので、その辺、結構ストレスである。
それよりも不満なのが、フィーについてだ。
この娘は、毎日風呂に入れてやりたいと思っている。
入浴しない日は、俺や母さんが濡れたタオルで拭いていてあげるのだが、矢張り水浴びだけと云うのは不満だ。湯船につからせてあげたい。
特に最近は砂場を作って貰ったことで、毎日どろんこになる。綺麗にしてあげねば。
髪の毛なんかは、お風呂に入れないと、完全には綺麗にならない。
せっかく美麗な銀髪をしているのに、勿体ないことだ。
ところで世の中には、怪我の功名、と云う言葉がある。
意味は説明するまでもあるまい。
俺の目の前には、失敗した魔剣がある。
ガドの全身を水浸しにした、アレ。
ある日、ピンと来た。
「これ、お湯出せるんじゃないか?」
氷が溶ければ水になる。
なら、炎の割合が強ければ、お湯が出るのでは?
そうして、二色の魔剣の新バージョンを作り上げた。
お湯の魔剣。
それが、完成品の名前だ。
俺の魔剣は魔石と云うコアがないから、使い手が魔力を込めねば属性剣の場合は、その効果が発動しない。
つまり逆に云えば、魔力さえあれば、お湯を出すも止めるも、自由に調整がきくということだ。
と云うわけで、ガドにひとつ、お願いをした。
湯船に掛けることの出来る長細いカゴを作って貰ったのだ。
お湯の魔剣をこの中に入れて魔力を通せば、はい、熱々のお風呂の出来上がり。
水が出る魔剣のカゴもぶら下げてあるので、湯温を下げたい時や、水だけが欲しい時も安心だ。
うん。
これ、殆ど魔道具だよね。
でも、コアを使ってないから、セーフ。
あと、道具じゃなくて、剣です。たまたまお湯の出る剣が出来てしまいました。それだけなんです。
脱法魔道具万歳。
「これで毎日、お風呂に入れるぞ!」
俺は大喜びをした。
ついでだから、石鹸について説明しておく。
この世界には、普通に石鹸が存在する。なので、これで儲けることは出来ない。シャンプーやリンスなんかもある。
まあ、銭湯が賑わう世界なんだから、そちらも発達していなければおかしいか。
こうしてクレーンプット家は、毎日入浴できるようになった。
お湯が使い放題なので、朝風呂にも気軽に行けるのが嬉しい。
母さんはもともときれい好きなので、とても喜んでくれた。
ちなみに、我が家は家族三人で仲良く入る。
母さんもフィーも丸出しで気にしていないが、俺はちょっと恥ずかしい。
見ることよりも、見られることに抵抗がある。
「にーた、にーた! ふぃー、にーたのおせなか、ながしてあげる! にーたすき! だいすきッ!」
マイシスターはお風呂好きで、遊具感覚で利用したがるようになった。その分、洗濯物も増えたが。
洗濯機が存在しない世界なので、魔道具が作れるようになったら、チャレンジだな。
「母さんもお風呂好きだよね」
マイエンジェルを洗ってあげながら、湯船でとろけている母上様に質してみた。
「大好きよー……。セロの自宅にはお風呂が備え付けだったからねー……。私のお母さんが凄いきれい好きだったから、その影響もあるんでしょうけど」
そういえばドロテアさんは、シャーク爺さんに「臭いの禁止!」と云い渡していたからな。
お風呂好きの家系なのか。
「あと、エイベルもこっそり喜んでるわよ。あの子、私以上のお風呂好きだから」
「そうなの?」
「ええ。とってもきれい好き。ああ、綺麗って云えば、あの子の身体、凄く綺麗よ?」
残念ながら、俺はローブ姿と寝間着姿のエイベルしか見たことがない。
記憶にある抱き心地は、柔らかくとも貧弱だったが……。
「あの子、ぺったんなのに、腰が高くてくびれがあるからね。『出ていなくても、スタイルが良い』そういう子なのよ」
と、『出ていてスタイルが良い』母上様が仰る。この人も二児の母とは思えぬ身体をしてるよなァ……。
前に一度、子供の立場を利用してエイベルを風呂に誘ったことがある。
卑怯? すけべ? 知らんなァ……。
その時、我が師匠は無表情のまま頬を赤く染めて、
「……恥ずかしい」
と断られてしまった。
彼女はひとりで入るか、母さんと一緒かのどちらかなので、俺は縁がない。
「にーた。ふぃーのこと、あらって?」
現在進行形で洗ってあげてるのに、唐突にそんなお願いをされてしまう。
この娘はどうも、エイベルに対して対抗心を抱いているフシがある。
(いや、違うな……)
俺がエイベルの話題を出すことを、いやがっているようだ。
今後の俺の対応次第で、本当に対抗心が育ってしまうかもしれない。気を付けねばならないだろう。
気を付けることは、他にもある。
「あのー……。浴室の扉に、近づけないんですけどー?」
不審者メイドの声がする。
何故、入浴中の浴室に近づこうと云うのか。
最近は万が一のことを考えて、入り口には魔壁を展開している。
たとえば、子供の裸を見ようとする異常者がいたら怖いからね。
「タオルを持ってきただけですよー? 安全ですよー? だから入れて下さーい……」
タオルなら脱衣所に置いておけば良いだろうに。
そもそも、バスタオルは用意して風呂場に来ておるわ。
(大丈夫かな、こいつ……。いずれ、犯罪者になるんじゃなかろうか?)
ん? あれ?
その場合の被害者って、俺じゃん!
「にーた、ふぃーのかみのけ、あらって?」
「あ、ああ……」
俺はかぶりを振って、妹様の要求に応じた。
「アルちゃんも大変ねー……」
湯船でとろける母上様は、どこか他人事のように呟いた。




