第五百五十七話 深緑に、命尽きるまで(その一)
神聖歴1207年の四月初旬――。
祭りの準備で賑わう王都の通りを、ひとりの男が歩いている。
端正な顔を持ち、高級品と分かる装備に身を包んだ青年であった。
その容姿には気品があるが、一方で傲慢さも滲んでいる。
誰が見ても一目で分かる貴族の出身ではあるが、その装備品はよく使い込まれており、一定の実力を持った冒険者にも見えた。
彼の名は、ヴィリー。
古参の王国貴族・ヘイフテ家の一応の嫡男であり、剣術と魔術を使いこなす冒険者でもあった。
その若い貴族の冒険者は大通りを悠然と歩き、まるで己の敷地内でもあるかのように、周囲を見渡している。
「む……?」
ヴィリーはそこで、祭りの準備をしているひとりの壮年の人物を見つけ、近寄った。
一方、近寄られたほうは、すぐにヴィリーに気付き、顔をしかめた。
「久しいな、『斬られ屋』。まだ見せ物は続けていたのか」
「…………」
貴族の言葉に、斬られ屋と呼ばれた男は黙り込んだ。
彼はヴィリーに対して、良い思い出は全くない。
それは二年前。
神聖歴1205年の二月末にあった事件。
王妃パウラが『月神の奇跡』により死病から解放され、臨時で開かれたお祭りの折りに、この両者は出会い、そして悶着を起こしている。
悶着と云っても、それはヴィリーが貴族の位を笠に着て一方的に、この『斬られ屋』に絡んだだけなのだが――。
青年は沈黙する店主に、不快感を見せつけるようにして云う。
どこか演技くさい語り口であった。
「どうした。何故、返事をせぬ? 無教養な平民は、貴族に対する礼も出来ぬのか?」
「……いいえ、偉いお貴族様を前に、思わず竦んでしまっただけでして。……お久しぶりでございやす」
「フン。下手な云い訳をするわ」
云い訳が得意なのは、どちらでしょうねと、斬られ屋は心の中で毒づいた。
もちろん言葉には出さず、表情にも出ぬように努めたが。
「時に斬られ屋よ。お前は確か、平民という身分には不相応な、見事な宝石を持っていたな?」
「…………」
今度は斬られ屋は、露骨に不快感を顕した。
けれどもヘイフテ家の嫡男は、気にした様子もなく言葉を重ねる。
「どうなのだ? ん? さっさと答えよ」
「……持っていたら、どうだと云うんです……?」
押し殺したような声だった。
ヴィリーは斬られ屋の肩にヒジを乗せて云う。
「あるのか。見せよ」
「……お断り致します」
「ほう? 王国貴族たる私が、こうして頭を下げているのに、平民であるお前は、それを断るというのか。ほうほう……。成程なぁ……」
「…………」
ヴィリーの瞳に剣呑な光が灯るのを認めた斬られ屋は、絞り出すように云った。
「……あれは私にとってかけがえのない宝物。この場には持ってきておりません」
だから見せられないのだ、と言外に説明した。
実際は、ここにあろうがなかろうが、貴族の名を持つチンピラなんぞに見せたくないだけなのだが。
「ふむ。ここには無いとな? それならば仕方がない。だが、お前が所持したままだと云う事は理解したぞ。――時に斬られ屋。この場に貴様がいるという事は、四月の祭りに出店する予定という事で間違いはないな?」
「左様でございますが、それが?」
イヤな顔をしつつ斬られ屋が答えると、ヴィリーはフンと鼻を鳴らした。
「なァに。ならばこの私が、客として『予約』を入れてやろうと思ってな? 前回はコイン一枚しか賭けなかったが、今回は金袋を丸々賭けてやろう。お前はその対価として、例の宝石を賭けるが良いぞ?」
「…………っ!?」
斬られ屋は身を竦めた。
どうしようもない悪寒が走り抜けた。
彼は、自分の戦闘能力に自信がある。
あれから二年。
目の前のチンピラ貴族がどれだけ腕を上げたのかは知らないが、今現在、眼前に映る男の身のこなしから、それでも楽に倒せる相手だと見極めは付いている。
そしてヴィリーも、おそらくは力量差を理解しているはずなのだ。
(なのに、挑んできた……)
これは前回のような、『口車』と『身分差』にものを云わせて、自分から宝石を奪うつもりなのだと解釈した。
それ以外、考えられない。
「うちは予約は取ってはおりま――」
「斬られ屋。貴族に恥をかかせる。その意味は分かっているな?」
有無を云わせぬ迫力であった。
それ程までにあの『宝石』を取り上げたいのか、と嫌な気分になる。
「…………」
斬られ屋の沈黙を、ヴィリーは無理矢理に『肯定』と決めつけた。
「では、決まりだな。今度は前回のような手加減はせぬ。本気で勝利してくれよう。きちんと例の宝石を、持ってくるようにな?」
ポンポンと肩に手を置き、ニヤリと笑う。
そして彼は歩き出し――。
「ああ、そうそう……」
わざとらしい態度で、振り返った。
「云っておくがな、斬られ屋。間違っても逐電などせぬようにな? 一応、部下に見張らせておくが、万が一、貴様が約定を反故にした場合、問答無用で罪に問うから、そのつもりでおれよ?」
ははははは、と高笑いをし、貴族の青年は去って行く。
後に残った大道芸人の男は、拳を握りしめてその背中を見送っていた。
――これが始まり。
或いは、終わりではあったのだ。
※※※
「手紙――ですか」
「はい。手紙ですよ、アルト様」
四月某日。
王国祭を間近に控えたクレーンプット家に、馴染みのハイエルフ、フェネルさんがやって来ていた。
商会の重鎮であり、また優れた従魔士でもある彼女は、うちに来るなり俺をサササーッと抱き上げてしまったのだ。
「あの、それは兎も角、何で俺はフェネルさんにだっこされてるんですかね……」
「何でも何も、私はアルト様より、『だっこ特権』を頂いておりますから……」
不思議そうに首を傾げる商会局長。
まさかとは思うけど、あの特権って『永続』なの?
ウソでしょ?
「めーっ! ふぃーのにーたをだっこする、それ、めーなのーっ!」
案の定、妹様大激怒。
しかし、これを待っていたと云わんばかりにフェネルさんは、フィーも抱え込んでしまわれたのだ。
「ふっふふ……! なら、フィーリア様も一緒にだっこです。――えいっ」
「きゃーっ! ふぃー、だっこされたぁぁ! でも、にーたがすぐ傍! ふぃー、それは嬉しい!」
「ふふふふふふー。フィーリア様のほっぺ、もっちもちです……!」
なんて良い笑顔だァ……。
この人の子ども好きは、筋金入りだねぇ。
俺に密着した事で途端に機嫌の直ったマイエンジェルを横目に、俺は彼女に質した。
「あの、フェネルさん」
「はい、何でしょうか、アルト様」
「手紙の運搬なら、ティーネに持たせれば良かったんじゃないの? 彼女、ほぼ毎日うちに来るし」
「それじゃあ、私がアルト様をだっこ出来ないじゃないですか」
そんな心外そうに云われても。
向こうの方では俺の槍術の先生が、『諦めて下さい』みたいな顔をしている。
これじゃ、救助も望めないじゃん……。
フェネルさんは、俺たちを抱えたまま、キョロキョロとしている。
「ノワール様はどちらですか? ノワール様もだっこしたいのですが」
その欲望、尽きる事がないですね。
でも残念。
マリモちゃんは、母さんとハンモックでお昼寝中なのよね。
「むむむ……。今ここにいないのは、とても残念ですね……! では後ほど、ノワール様もだっこさせて頂きましょう……っ」
手紙を届けに来たことが主目的って、絶対にウソですよね?
クレーンプット三兄妹を、だっこしに来ただけですよね?
「アルト様、アルト様!」
「な、何さ?」
「アルト様は、ユーラカーシャ様の為に、新たな発明品を作られたというのは、本当ですか?」
「まあ、一応は……」
正確には、作ってくれたのはガドなんだけれども。
「後で見せて頂いても?」
「それは良いんですけど、本来の目的に立ち返って貰えると嬉しいんですけどね?」
俺は、『誰が』、『何故』、『どうして』、『俺に』、手紙を送ってきたのかを知らない。
送り主が大氷原のエニネーヴェや、キシュクード島の水色ちゃんなら、たぶんエイベルが持ってきてくれるはずだから、『それ以外』なんだろうという予測は付くが。
「はい。手紙の送り主は――」
フェネルさんの言葉を聞いて、俺は驚いた。
それはおそらく俺の数少ない友人の中で、最も長期間会っていなかった人物。
この国の平民会に所属する護民官の子。
性別不詳の善なる者。
ノエル・コーレイン。
彼(彼女?)のものに、相違なかった。




