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妹のいる生活  作者: むい
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第五百五十六話 お祝いの席


 神聖歴1207年、三月末――。


 イザベラ・エーディット・エル・ベイレフェルトは、『おとぎの国』にいた。


 そこは、彼女の住む『本館』の、ほんのお隣。

 生け垣を隔てた、向こう側。


 そこには侯爵家の長女である彼女ですらが羨むような遊具がたくさんあって、いつも笑い声が響いて来ている。


 豪奢ではあってもどこか寒々しいベイレフェルト家とは、全く違う世界だったのだ。


 彼女はそこに、ひとりいる。


 ブランコに腰掛け、ある少年を待っているのだ。


『おとぎの国』に住む、不思議な少年。

 たったふたつしか年齢が違わないはずなのに、ずっと大人びて見える、変わった男の子。


 滅多に会う事の出来ないその人物と、イザベラは待ち合わせをしていた。


(早く来なさいよ……。遅いじゃない……)


 地に足を付けたまま、ブランコを前後に動かし、口を尖らせる。


 彼女の胸中の言葉を『少年』が聞けば苦笑をしながら、


「まだ約束の時間は過ぎてないと思うがなァ……」


 とでも呟いた事であろう。


 何の事はない。

 イザベラのほうが、早く来すぎただけなのであった。


 世間一般においては『短い時間』。

 けれどもイザベラにとっては『かなりの長時間』が過ぎた頃、その少年はやって来た。


 イザベラはすぐに顔を上げる。


「ああ、待たせちゃったかな?」


「お、遅いわよ、もう……っ!」


 金色のドリルを揺らしながら、女の子は睨み付けた。


 対して彼は、柔らかい笑顔で謝罪する。


 それは、彼女の父親によく似た笑顔。

 とても頼りない笑顔。

 けれども、彼女の父親とはまるで違う、どこか深みのある笑顔だった。


「…………っ」


 イザベラはその笑顔を見て、プイッと顔を逸らす。


 まるで太陽でも直視するかのように、見続ける事の出来ない笑みであったのだ。


 今日、ふたりがここにいるのは、ささやかなお祝い。


 イザベラがこの国の第四王女の側仕えとなることが正式に決まった、そのお祝いなのであった。


 もちろん、彼女の母であるアウフスタ夫人が、『妾の子』なんかと一緒にいる事を許すはずがない。

 だからこれは、コッソリと行われるものだ。


『西の離れ』の側の庭先に、ささやかながらおやつと飲み物が用意され、そこで過ごす事になっている。


 一応は『ふたりきり』だが、本館勤めのメイドと、離れに勤めているメイドの少女、計二名が、準備やセッティングに骨を折ってくれているのだ。


 今は、そのささやかな会場へと向かう前。


 ほんとうの意味で、ふたりきり。


「…………」


 イザベラは、再び『年上の隣人』を見上げる。


 そこには変わらず、微笑を浮かべている少年の姿。


 彼女はやっぱりその笑顔を直視できずに、再びプイとそっぽを向いた。


 そんな隣家の女の子に、男の子は云う。


「――おめでとう」


 ただ、それだけの言葉を。


「――――っ」


 イザベラの身体が、ビクリと震えた。


 それは自分の家族たちに、『云って貰えなかった言葉』なのであった。


 自身の出した結果に対し、『よくやりました』とは云われた。

『凄いね』とも云われた。

『精々励む事だ』とも云われたが、『おめでとう』の言葉は、ついになかったのだ。


 そんな言葉を、この少年は口にした。

 たぶん、心からの意味で。


 イザベラは何故だか、涙が出そうになった。


 けれども、それをこらえる。

 彼女は自分の弱さを、誰かに見せる事がイヤだったのである。


「キミは立派だね」


 少年は、そう云った。


 見やった先には、ブランコをつるす大木を見上げている男の子の姿。


 それは、たまたまそちらを見ていただけなのか。

 或いは、目を逸らしてくれたのか。


 どちらなのか分からないイザベラは、目をこすって表情を戻した。


 彼は微笑む。


「来月から、登城を始めるんだってね? 大変だと思うけど、頑張って」


「…………」


 それは、『送る者』の言葉。


 共に第四王女の傍にいるのではない者の言葉だった。


「…………何でよ」


「うん?」


「何で貴方は、一緒じゃないのよ……」


 絞り出すかのような声で、イザベラは質した。


 彼は、再び困った風に笑う。


「俺は……近習じゃないからね」


 その言葉の意味を、無論彼女は知っている。


 母アウフスタも、本館の使用人たちも、『隣家のガキが落第した』と、イヤな笑顔で囁きあっているのを見てきたから。


「本当に、落第したの……?」


「…………」


 彼は、目を伏せたままだった。


 否定も肯定もしない。


 けれども、『結果』だけは変わらないのだとイザベラは理解した。


 一緒に登城する未来――。


 そんなものを、夢想した事もあったのに。


 僅かな無言の後、彼はポケットをまさぐると、布に包まれた何かを差し出した。


「……これ、は……?」


「合格祝い。大したものじゃァ、無いけどね」


 布を広げる。

 そこには、ちいさな銀細工。


「――綺麗……」


 思わず、目を見張った。


 そこにあったのは、『こちらの世界』ではお目にかかれない、独特な意匠のアクセサリ。

 抽象的であっても、何故か目を惹く不思議な造形であった。


 彼女はすぐにハッとして、それから顔を背ける。


「ふ、ふん……。中々良いデザインじゃない。ま、まぁまぁってところね……!」


「うん。及第点を貰えたなら、こちらとしても、贈った甲斐があったかな?」


 イザベラは何度もチラチラと銀細工を見ているので、お気に召さなかったわけではないのだなと、少年も理解する。


「参考までに訊くけれど、これは、ど、どこで買ったのかしら……?」


「手作りだよ、一応ね」


「え……!? ま、まさか、これは貴方が……?」


「うん。銀って確か、魔除けとしても重宝されるよね? 来月からキミには新たな生活が始まるんだから、ゲン担ぎにね」


「…………」


 ただの贈り物ではなく、銀である『意味』があったことに、イザベラは驚いた。『無意味』な宝石ならば、いくつも持っているのに……。


「こんなものまで、作れるのね……」


「キミのしている努力に比べれば、イージーではあるけどね」


 それは謙遜でも阿諛でもない。

 おそらくは少年の、偽らざる言葉。


 だからこそ、イザベラの心は、さざめきだった。


 頑張る事は当たり前であり、結果を出せなければ価値はないと日々云われている少女にとって、『過程』を認められる事は、本当に衝撃であったのだ。

 同時に、自分が頑張っている事を、知っていてくれている人がいると云う事も。


「…………」


 イザベラは無言で、身体を震わせた。


(何なのよ、こいつ……。こいつといると、私の心が、おかしくなる……)


 けれども、それはイヤなことではなくて。


 金色のドリルを装備した女の子は、両手でアクセサリを包み込むと、無言で俯いてしまった。


 彼女の心の動きを知ってか知らずか、男の子は、なんてことの無いように云う。


「さて、行こうか。ささやかだけど、お祝いの席があるからね」


 その言葉に、イザベラは片手を差し出す。


 少年はその手を、恭しく受け取った。


 それは一人前のレディに対する、完璧な作法なのだった。


「せ、せっかくだから、祝われてあげる……! でも、ちゃんと私を満足させなければダメなんですからね……!?」


「うん。努力はするよ。せっかくのお祝いなんだし、楽しんでくれると嬉しいな」


 手を引かれている先には、きっと『笑顔』がある。


 何故だかイザベラは、それだけは確信が持てた。


 それは彼女にとって『おとぎの国』で行われる、ごく短い時間の、夢のような奇跡であったのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] イザベラちゃん健気でいいねえ…このまま頑張ってね…ニタア [気になる点] アルの魔術の実力、第4皇女殿下からのアルへの好感度、それら諸々を知った時のイザベラちゃんの反応が心配になってくるわ…
[気になる点] プリンが出てくる気がする 一緒にお師匠様と妹様も釣られて(笑) [一言] お疲れ様です。 いつも楽しく読ませもらっています。
[良い点] イザベラに幸あれ
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