第五百五十四話 お皿物語
切っ掛けは、去年の暮れの事だった。
「出来たーーーーっ! にーた、お皿出来たのーっ!」
そこには、笑顔で大皿を掲げる妹様のお姿が。
嬉しいのは分かるけど、そのまま走り出すのはやめようね?
「おおっ、ついに出来たか! やったな、フィー!」
「ふへへ~っ!」
陶芸に才能のあるマイエンジェルは、『家族用のお皿』を頑張って作っていたのである。
これはアレだね。
ちゃぶ台の真ん中にデンと置いて、そこにたくさんの食べ物を盛りつけておくヤツね。
昭和の大家族が愛用しているようなヤツだ。
フィーは俺にだっこをねだり、それから云う。
「このお皿で、みんなで食事する! それ、きっと楽しい!」
マイシスターは家族の食卓の為に、大皿を作ったのである。
しかし、それは長く厳しい道のりだった。
こういうことに妙な拘りのある妹様は、中々満足出来る自作に辿り着く事が出来ず、苦しんでいたのである。
「うふふ~……! フィーちゃん、三回もこね直してたものねー?」
「ふへへ……! 大変だったの……! でも、その度に、にーたがふぃーを優しく励ましてくれた! ふぃー、嬉しかった! だから頑張れた!」
器用にお皿を掲げたまま、俺に頬ずりを繰り出してくるマイエンジェル。
嬉しそうなその顔は、しかしすぐに、うっとりとした夢見心地な表情へとシフトした。
「ふぃー、このお皿いっぱいのソフトステーキが食べたい! ふぃー、それ全部食べる! ふぃー、ソフトステーキ好き! にーたが大好きっ!」
それ全部食べるのかー。
妹様の欲望は無限大だなー?
――と、ここまでは通常の『クレーンプット家の風景』だったのであるが、その日はお客さんがいた。
「ふーむ……。しかしフィーリア様の陶芸の才は、本当に素晴らしい物ですね……。――叶うならば、私もひとつ欲しいくらいです」
マジマジと覗き込んでいるのは、『打ち合わせ』という名目でエイベルに会いに来た某商会の会長様であった。
「んゅ……? ふぃーの作ったお皿、欲しーの?」
「あ、い、いえ……。見事な出来でしたので、つい……。催促などという厚かましい話ではありませんので、今の言葉は忘れて下さい……」
ショルシーナさん、なんとなく疲れた顔をしているからな……。
聞けばダメエルフのミィスが仕事を自主的に休んで、ミチェーモンさんたちと『王都呑み歩きツアー』に出かけてしまって大変なのだという。
(本当に大変なのは、今も商会に残って仕事をしているヘンリエッテさんやフェネルさんのような気もするが、それは云うまい……)
かく云う俺も、過労で斃れた身。
疲れがよくないことは『死ぬ程』知っている。
せめて精神的にでも、癒されて貰いたいものだが――。
「うふふ~……。フィーちゃん? いつも美味しいお菓子を持ってきてくれるショルシーナさんに、何かお礼をしなきゃね?」
「うんっ! ふへへ……っ! ふぃー、お礼する! 頑張って、お皿作る!」
「よ、よろしいのですか……!?」
「任せるの! でもふぃー、最近はちょっと忙しい……。にーたにだっこして貰ったり、一緒にお絵かきしたり、お歌を歌ったりする……。とてもお皿を作る時間が足りないの……」
本当かー?
本当にそれ、忙しい事かー?
大いに訝しいが、商会長はとんでもないと、手を振った。
「いえ、お気になさらず。フィーリア様に時間がある時で構いません。気長に待たせていただきます」
と、云うのが、年末のお話。
結局フィーのお皿は、二月の終わり頃に完成し、つい先日商会長に引き渡された。
※※※
で、今日。
三月のある日のことだ。
そこには、菓子折を置いて土下座をする商会長様のお姿が。
その後ろでは、副会長様が苦笑いを浮かべている。
あ、笑顔でこっちに手を振られてしまったぞ?
こちらも振り返しておこうかな。
「にーた! あの箱の中、何が入ってる!? ふぃー、あの包みを見ただけで、わくわくするの! ふぃー、にーたに、なでなでして貰いたい!」
なでなでは一切関係ないと思うが、頭を垂れるショルシーナさんよりも、菓子折のほうに妹様は夢中であった。
俺の袖を引っ張りながら、青いおめめを輝かせている。
――で、商会長に何があったのかというと……。
※※※
スメット伯ヨドクスは、王国貴族内では知られた人物であると云う。
別に武威を轟かせたわけでなく、知略や政略に長けた人物でもない。
魔力は持つが、九級免許が精一杯だったと云うから、魔術のスペシャリストということでもなかった。
では何故、彼の名前が貴族達に有名なのかと云うと、それは好事家として評価されているからなのである。
伯には優れた審美眼と、多くの者の共感を得る独特のセンスがあったようで、主に芸術・美術関係の収集者として名を馳せていたのであった。
彼自身にも、その方面に一家言ある事が誇りであったようで、それ故にたとえば、シャール・エッセン作『瓶詰めの船』の存在を知らなかった事で悶絶して、屋敷内を転げ回ったというエピソードがあるんだそうだ。
なお昨年十月のオークションでは、一品しか出て来なかったエッセン新作のそれを、伯が落札したんだとか。
前述の如く、彼は政治のやり手というわけではない。
ただし、先祖から受け継いだ土地に恵まれた。
スメット伯爵領には大きな鉱山があったんだそうだ。
彼はこの鉱山から生み出される莫大な金で、若い頃から大好きな芸術の世界へひたる事ができたのだと云う。
羨ましい限りだねぇ。
そんなスメット伯にとっての大事な大事な取引先は、宝石商でも画商でもなく、王国内に冠たる大商家であるショルシーナ商会と、メルローズ商会なのであった。
なにせこの二大商家は、どこからともなく名品・珍品を仕入れてくる。
伯にとっては、最重要の存在だったのである。
つまりショルシーナ会長とも、以前から顔見知りだったわけだ。
――そこに、油断があった。
その日、ショルシーナ会長は我がクレーンプット家からの戻りで仕事を再開した。
その手には、妹様渾身のお皿。
そう大きなものではなく、カップうどんのフタくらいの大きさの、コンパクトなものだ。
仕事場に戻った商会長は、マジマジとそれを見つめた。
「うぅむ……。矢張りフィーリア様は、良い仕事をされますね。仮にこの応接室に飾るなら、ここかしらね……?」
と、棚に飾り付けてみた。
そこへ、ちょうど件の伯爵様がやって来たのだと云う。
彼女は赤いフレームの眼鏡をかけ直し、キリッとして仕事に戻ったのだとか。
……フィーのお皿を、飾ったままで。
流石に古今の美術品に詳しいスメット伯である。
入室して、すぐにそれに気付いた。
「――――!」
彼は吸い込まれるかのように、そのちいさなお皿に見入っていたという。
商会長さんは、そこで『しまい忘れ』に気がついたのだとか。
適当に理由を付けてしまい込もうとした矢先に、スメット伯は口を開いた。
「なんと見事な……っ!」
彼は振り返る。
その目は、明らかに巨大な熱を帯びていたのだとか。
「何の意匠もなく、無駄な飾り気のない皿であるのに、この存在感はどうだ……! ここには、純然たる美しさだけがある。これは制作者の純粋な感性によって、『日用品』ではなく、『芸術品』へと仕上がっている……! 一体、何者が、これ程の皿を作り上げたのでありましょうか!?」
「いえ、それは……」
「作風から見るに、これはドワーフか、その流れを汲む者の作ですね? ショルシーナ商会長! どうかこの名皿を作り出したる者の名をお教え下さい……っ!」
――と、云う事があったんだそうだ。
もちろん彼女は、制作者に関しては口を閉ざし、一切の情報を与えなかったのだとか。
「本当に、申し訳ありませんでした……!」
ショルシーナさんは、フィーの作品を知られてしまった事に恐縮している。
でも、これってそこまで謝る事でもない気はするねぇ。
だって、あのお皿一枚から、ここにいる幼女様へ辿り着く事は不可能だろうし。
もしもそんなことが可能であるならば、既に世に出ている妹様の別作品――メジェド様像から、作者が割れているはずである。
しかし件の神像は、現在を持っても、『制作者不明』となっている。
だから問題はないだろうと俺は思う。
ちょっとしたミスはあったとしても、商会長に喋るつもりは今後も一切無いのだから。
で、当の天使様ご本人はと云うと。
「あのお皿、ふぃーがそっちにあげたもの! どう使うのも自由! あれで美味しいものを食べて、元気出すほうが良い! ふぃー、ソフトステーキが良いと思う! ……おかーさん、今日の晩ご飯、ふぃー、ソフトステーキが食べたい!」
こんなんですからね。
その後も平謝りを続ける会長様と違って、ヘンリエッテさんは自分も『商会の不手際』を謝罪した後に、こう云った。
「フィーリア様には、明らかに陶芸の才がありますね。それは、件の伯爵様が瞠目した事からも明らかです。――そこで、どうでしょうか? 今すぐではなくとも、何年か先で構いませんので、フィーリア様の作品を売り出してみるというのは。日常生活を大事にされたいのであれば、アルくんのように『別名』を使って、作品だけを出すという手段もあります。無理強いをするつもりはありませんが、選択肢のひとつとして御一考いただければと」
話題の対象がフィーのはずなのに、何故か俺にウインクしてくる副会長様。
これは彼女なりに、フィーの人生に対する選択肢をくれたということで良いのだろうか?
名を伏せてくれるという事は、それ以外の保護も、きっと手厚いはずだから。
(この娘が自分の力で立っていけるなら、俺に『もしも』のことがあっても、生きて行けるだろうしな……)
いずれにせよ、選ぶのはマイシスターではあるのだが。
俺の腕の中にいるフィーは、俺と母さんを見てから云った。
「ふぃー、にーたとおかーさんを、養ってあげたい! ふぃーがお皿を売って、皆を幸せにするの!」
「フィー……」
「フィーちゃん……」
この娘はこの娘で、我が家の事を考えていてくれたのか。
良い子に育ってくれていて、お兄ちゃんは嬉しいぞ。
ただ、フィーが陶芸家として活動するのは、ヘンリエッテさんの云う通りに数年待ったほうが良いだろう。
何せこの娘、張り切ったり力を込めると、粘土が強い魔力を帯びてしまうからね。
『商品用』にするならば、相応の作り方を覚えるべきだ。
「ふぃー、土鍋の作り方を覚える! ふぃーの作った土鍋で、皆にお米を食べて貰う! ふぃー、お米好き! にーたに喜んで貰いたい! ふつーのお客さんも、ふぃーが土鍋を売れば、皆お米を食べて喜んでくれる!」
うん、成程。
この娘は自分の陶芸品を、『芸術品』や『工芸品』ではなく、『日用品』として売り出すのだと思っているのね。
芸術家ではなく、食器職人だと。
「フィー。気持ちは嬉しいけど、将来の事はゆっくりと考えていこう。フィーが本当にお皿を作る事を仕事にしたいなら、俺はそれを応援するけど、他にやりたい事やお金を稼ぐ手段も見つかるかもしれないからね。未来を定めるのは、それからでも遅くはないよ」
この娘にはのびのびと、自由に生きて貰いたい。
家族の為にあくせく働くのは、俺がやればいい話だ。
頭を撫でてあげると、フィーは眼を細めて笑った。
「わかったの! ふぃー、もしかしたら、お歌で生きて行くかもしれないの! お皿作る、ちょっと考える!」
歌で天下を取るのは、フィーには少し厳しいかな~……?
ともあれ、妹様の将来の選択肢と、ささやかな絆を感じられた、とある一日でありました。




