第五十五話 アブナイ新人さん
ベイレフェルト家は天下の大貴族なので、当然、使用人の給与も良い。
だからと云って、必ずしも老年まで雇用され続ける訳でもないし、自分からやめて行く人もいる。
中途でやめる人間にも様々な理由があるが、ついこの間にやめた女の使用人の場合は、家庭の事情だった。
別にやめた人物はどうでも云い。
以前、親子でお茶を飲んでくつろいでいる時に、
「平民なのに、結構なご身分だこと。働かずに飲むお茶ってどんな味かしら」
と嫌味を云われたことがあるので、いなくなっても全く感慨はなかった。
仕事だから世話をしていると云う態度がありありと出ていたのを憶えている。
まあ、悪い意味で職務に忠実であったと云うべきか。
俺たち親子は彼女の雇用主ではなかったのだから。
西の離れで働く使用人はベイレフェルト家の雇用なので、配置換えや新規雇用、退職に関しても、こちらへの挨拶や連絡はない。いつの間にか入れ替わっている。
なので、やめた女の使用人も、特に俺たちへの挨拶はなかった。
だから、『その子』は普通ではなかったと云うべきだろう。
「この度、西の離れの配属となりました、ミアと申します。どうぞよろしくお願いします」
俺とフィーが例の秘密基地から戻ってくると、見慣れぬメイドが母さんに挨拶していた。
別にそのまま出て行っても構わないはずだが、俺とマイシスターは何故だか、こそこそとふたりをのぞき見る。
「にーた、にーた、しらないひと!」
「ああ、うん。新しい使用人らしいな」
それにしても、若い。
いや、幼いと云うべきか?
母に挨拶をするメイド姿の女の子は、どうみても十二~三歳くらいに見えた。
エイベルと同じ学校へ通う同級生、とか云われたら信じてしまいそうだ。
この世界の成人は十五歳。
まだ未成年ではないのか、とも思うが、ただ幼く見えるだけかもしれない。
「ミアちゃん、若いわね~。今、おいくつ?」
俺が頭をひねっていると、母さんがストレートに年齢を聞いた。
こういう勇気は俺にはない。凄いぞ、母さん。
「十月で十三歳になりました」
「あら。それじゃあ、見習いね。それなのにしっかりしてるわね~」
母さんが感心している。
後で聞いた話だが、この世界では一部の職業に、正式雇用前に見習い期間を設けるものもあるようだ。
早いと十歳くらいから見習いとして修行を始める。その働きぶりが認められれば、成人してすぐに雇って貰えるし、通常採用よりも給与や待遇が良いとか何とか。
ベイレフェルト家のメイドともなると、他の名家とも顔を合わせる機会が多くなるから、当然、それなりの『質』が求められる。
なので、選択肢はふたつ。
ベテランを雇うか、新人を育てるか、だ。
本館はどうだか知らないが、西の離れでは新人は初めて見る。
まあ、失敗しても妾とその子供だからどうでも良い、と云う観点に立てば、こちらに回す方が合理的ではあるのだろう。
初めてと云えば、ちゃんと挨拶する使用人と云うのも初めてだ。
しっかりしているし、愛想も良いし、あと、ついでに美少女だ。
これは『当たり』かな、と俺は考えた。
ミアと名乗った少女はしかし、やがて落ち着きなくそわそわとしだすと、キョロキョロ周囲を見回した。
「どうかしたの、ミアちゃん?」
「えっ、あ、はい……。奥様には、とっても可愛いお子様がいると聞いてきたのですが」
んん? なんだか挙動不審だな……。
不健全な笑顔に見える。
そう、ここではない、遠い過去に見たような、おぞましい笑み……。
しかし母さんは表情を輝かせる。
親バカなお人なので、「可愛いお子様」と云う部分で気をよくしたらしい。
「ええ、そうなの! 長男のアルトと、長女のフィーリアと云うのだけれど、ふたりとも、とっても可愛いの! それに、凄い天才なのよ!」
誇らしげだなァ……。
ニセ天才としては、少し心苦しいが。
「そ、それで……。ご長男様は、どちらに……?」
俺限定だと? 何故、フィーの名前が出ない?
「アルちゃん? フィーちゃんと遊びに行っているはずだけど……」
「にーた、ここ!」
一緒に息を殺していたはずの妹様が、俺を引っ張って入室した。
別に隠れる必要なんか無いはずだから構わないのだが、ちょっとビックリしてしまった。
「あら、アルちゃん、フィーちゃん、お帰りなさい。ちゃんと手は洗った?」
「ああ。ただいま、母さん。うがいも済ませ――」
「ふぉおッ!」
突然、変な声が聞こえた。
「むせる」と「叫び声」の中間のような、奇妙な声だった。
ビックリしてそちらを見ると、例のメイドが気色の悪い瞳で俺を見つめている。
「お、幼い男の子……ッ! 夢にまで見た、超絶の美少年……ッ!」
「はァッ!?」
凄まじい悪寒が俺を襲った。
これはアレだ、池袋とかで見る類の瞳の同族だ。道理でどこかで見たと思ったら。
(ヤバい。これ、係わっちゃいけないタイプの人間だ……!)
しかし、幼いメイドは四足歩行で俺に詰め寄ってくる。
「き、キミがアルトきゅんですかー? お、お姉さん、ミアって云うの! 手取り足取り腰取り色々と教えてあげるから、何でも私を頼ってね! それから、私のことはミアお姉ちゃんって、呼んで欲しいな? あと、キミの一人称なんだけど、絶対に『ボク』で――」
「めーッ!」
早口で何かを叫びながら近づいてくる怪物の前に、妹様が立ちはだかった。
前世も含めて、二歳児がこれ程までに頼もしいと思ったのは、初めてだ。
「にーたいじめる、めーなの! にーたのてき、ふぃーのてき! にーたはふぃーがまもるの!」
フィーには俺が虐められているように見えたようだ。
いや、正しいのかもしれない。気味が悪くて、腰が抜けた。
「フィーリアちゃんでしたっけー? 大丈夫ですよー? 私は正常ですので、ちいさな女の子に興味はございません。ただ、ひとりの女として、異性に興味があるだけですからー」
「にーた、ふぃーの! ちかづく、めー!」
この瞬間、この新人メイドは二重の意味でフィーの敵となった。
俺を虐める者。そして、奪おうとする者として。
「ううん……。ミアちゃん。悪いんだけど、アルちゃんとフィーちゃんが嫌がってるから、近づかないで貰えるかしら?」
おおっと、母さんが直球を投げ込んだ。
でも、これは助かる。妹様は激怒されているし、正直、俺も怖い。
「そんな……! お部屋の掃除や身の回りのお世話はどうするのですか!?」
「それは他の人にやって貰うわ。別に私が自分でやってもいいのだし」
「そんな……! そこを何とか」
「フィーちゃんが本気で怒っているから、ダメよ。ステファヌスに頼んで、配置換えして貰おうかしら……」
「まま、待って下さい! あちらには、幼い美少年がいません! 何故、私にそのような無体な要求を」
「…………」
すげえ、真性だ、この子……。本気で怖ェよ……。
「わ、私は役に立ちますよ? 何せ、魔導免許の十級持ちです。アルトきゅんは魔力があるんですよね? 魔術の勉強も、少しなら、見てあげられますよ?」
十級て……。
せめて誇るなら九級にしてくれ。
試験の中で十級は飛び抜けて簡単だが、これは魔術に抵抗を持たれないためでもある。
難しくて誰も合格出来ないよ、では、魔術を扱う人間が遠のいてしまう。
魔術師や魔導士の人口が増えることは、国の発展でもある。だから、間口を広くする必要が生じる。
十級試験の簡単さとはそれであり、子供でも合格出来る難易度には、理由があった。
「アルちゃんには、とっても素敵な魔術の先生がいるから、必要無いわよ」
うちの先生、可愛いからな。
俺もエイベル以外に教わるのはいやだな。
「じゃ、じゃあ、楽しいお話なんてどうですか? 私、これでも男爵家の三女でして、ここに来たのは花嫁修業の一環でもあるんですよ。本館には歳の近い友達もおりますし、社交界の話も、少しだけ出来ますよー……?」
「う~ん。アルちゃんやフィーちゃんには、無縁の世界ねー」
「ええー……。とっても縁があるじゃないですかー。ここ、天下の侯爵家ですよー?」
ミアは苦し紛れに云ったのだろうが、俺は彼女の言葉に、心惹かれた。
本館に友達がいる。
それって、ベイレフェルト家の動向を間接的に仕入れることが出来るようになるってことじゃないのか?
今までの俺は、本館の事情を得る術がなかった。
だから使用人が変わると云う程度の情報も仕入れることが出来なかった。
だが、ミアを経由すれば、間接的にでも、あちらの動向を知ることが出来る。
これって重要なことなのではあるまいか?
フィーと母さんを守る為には、少しでも多くの情報が要る。
このダメダメ少女を上手く使えば、それが可能になるかもしれない。
「ねえ、ミアさん」
「な、なんですか、アルトきゅん! このミア『お姉ちゃん』に興味が!?」
「いえ、全くないです。でも、お話は色々聞かせて貰えたらなと」
「ほほ、本当ですか!? 本当ですね!? このミアお姉ちゃんが、色々聞かせてあげますよー!」
危ない十三歳は勝手に盛り上がっている。
突如俺が態度を変えたので、母さんは「正気?」みたいな顔でこちらを見ているが、思惑があるのだ。こらえてくれ……。
そして、一番の問題点。
「にーたぁぁ……。どうしてぇ……」
フィーが涙目で俺に抱きついてくる。
うん。
そりゃあ、意味不明だろうな。
この娘は俺を守ろうとしてくれたのだし、俺が怖がっていたのも事実なのに、この対応なんだから。
大袈裟に云えば、フィーのがんばりに泥を塗る行為だ。申し訳なく思う。
「フィー。俺を守ろうとしてくれて、ありがとう」
ちゅっとキスをする。
こう云うことで誤魔化そうとするのは心に咎めるものがあるが、情報は何よりも大切だ。
涙目だったマイエンジェルは、やがて頷いてくれた。
「……にーたががまんするなら、ふぃーもがまんするの……」
「よしよし、ありがとうな、フィー」
俺がいやいやだと云うことは、分かってくれているみたいだ。
流石は血を分けた半身。
「フィー、これからも、よろしくな」
「ふぃー、にーたをがんばって、まもる……」
頭を撫でてあげると、妹様は俺にしっかりと抱きついた。
「いいなぁ……」
と、母さんと怪しいメイドが同時に呟いた。
ともあれ、こうして西の離れに、ひとりの新人が加わったのだった。




