第五百四十九話 ムーンレインの伏龍鳳雛(その六)
「るーるるるー……。るるるーるー……」
『カンの発動』を済ませ、一仕事終えたぜって感じのぽわ子ちゃんが、スローモーに回転しながら俺の背中に張り付いてきた。
おんぶして? ってことだね。
当家の妹様のように『褒めて欲しい』って意味合いももちろんあるんだろうけれども、実行前に本人が云っていたように、疲れもあるのだと思う。
なので、その場にちょいと屈んで彼女が登りやすいようにした。
「むむん……! 以心伝心……」
なんだか嬉しそうなぽわ子ちゃんだった。
こうして俺は、腕の中にクララちゃん、背中にぽわ子ちゃんと、肝っ玉母ちゃんみたいな状況になっているが、ミルが指し示した若木を調べなければならない。
(一応、防壁を張っておかないとな……)
俺の手持ちで一番堅固なのは、矢張り『粘水の壁』だろう。
エイベルからすると穴だらけの魔壁だろうが、今はこれが精一杯。
身のまわりを囲み、更に粘水をゴム手袋のようにしてから、薄い魔壁越しに若木に触れてみた。
(感触は、木そのままだな……)
そもそも、魔力すらも感じない。
もしもぽわ子ちゃんに云われなければ、『疑う』という気持ちにすら起きなかったことだろう。
(じゃあ、魔力を流してみるか)
微弱な生のままの魔力を、そっと走らせた。
「――――!」
思わず、声を出しそうになった。
(何だ、これは――ッ!?)
そこにあったもの。
それは、まさしく『別世界』。
最も近い概念を探してくるなら、『異次元箱』ということになるだろうか。
うちの先生が所持する、あの超絶の貯蔵庫。
魔道具はあった。
セロの時と同じ、小型の『門』が。
けれども、『場所』が問題だ。
たとえばこれが、『門』に幻術でも掛けて木に見えるように偽装しているだけならば話は早い。
だが、違うのだ。
妙な表現になるが、『木の形をした異次元箱の中に、『門』が設置されている』という解釈が一番近いのではないか。
だが、根源に触れてみて分かる。
これは『異次元箱』なんかではなく、限りなくそれに近い、術式だ。
つまりこの偽装を成した術者は、『異空間を作り出す』のとほぼイコールの魔術を使える者、ということになる。
これが戦慄せずにいられようか。
(ここに在りながら、ここには無い。だから場所が分からない。そういうことか)
仮に魔力感知が出来る者がいたとしても、これを探し出すのは不可能だったのではないか?
エイベルやフィーなら、それでもなお、『別のアプローチ』で辿り着けた可能性はあるが、普通はお手上げだろう。
どうやら今回の件、途方もないバケモノが係わっているということになりそうだ。
――そして一方で、『こんなもの』を看破してのけた、ぽわ子ちゃんの凄まじさよ。
「ミル」
「むん……?」
「ナイス!」
「むふー……っ」
顔に引っかかる、勢いの良い鼻息様よ。
一方クララちゃんは、一切の事情を飲み込めていないので、ぽかんとしていた。
そりゃそうだよねぇ。
※※※
「さて、スクアーロよ。的当てのギャンブルは、まだ続けるつもりかのぉ……? わしはそろそろ、満点の景品を貰って帰りたいのじゃがな……?」
「う、うあああああああああああああああああ…………ッ!」
恐怖に絶叫しながら、スクアーロは魔道具を起動させた。
空間が揺らめき、何頭もの魔獣が現れる。
――が。
「ギャンッ!」
狼は悲鳴をあげて動かなくなった。
彼が『門』から新手を呼びだす度に、老予言者の前方から魔物と同数の岩の塊が現れて、超高速でカッ飛んで来る。
そして寸分違わず狼の額に命中し、鼻より上の頭部を吹き飛ばした。
――先程から、その繰り返しであった。
「う、うぅぅぅぅぅ……っ」
彼の周囲は、既に頭を喪失した魔獣の死骸で埋め尽くされている。
十呼べば十。
二十呼べば二十。
呼べば呼ぶだけ殺される。
一呼吸の間もなく、王都周辺屈指の魔獣が、ただの肉の塊になってしまう。
そのことに、スクアーロは愕然としていた。
(だ、ダメだ……! このお人には、勝てねぇぇ……っ!)
強さに『嫉妬する』などという感情を抱く事すら出来ない。
挑もうとする事すら、おこがましい。
スクアーロにとって、エフモント・ガリバルディという魔術師は、まさしく『死』と同義の存在であったのだ。
地に転がるこの魔獣の数ならば、本来は軍の詰める砦に襲いかからせても陥落可能な戦力であったはずだ。
だがこの老人ひとりで、そんなものを遙かに凌駕する戦力となっている。
「ほれ、さっさと降参せんか。今日はクラウディアの為の、大切な日じゃ。あの娘の貴重な時間を、これ以上奪わんでくれぃ」
「う、うぅぅぅぅぅ……っ!」
不自然に発達した肉体を縮こまらせて、スクアーロは呻いた。
いっそこのまま、降ってしまうほうが楽なのではないか?
(い、いや……ッ! ダメだ……ッ!)
僅かに残ったプライドと恐怖心が、スクアーロに別の決断をさせた。
――それは、『奥の手』の使用である。
正気を失っていなければ出来ない判断であり、最後の手段であった。
「む……!?」
それまで余裕のあった老魔術師が眉を顰めた。
目の前の大男の持つ魔道具が、不気味な鳴動を始めたのである。
「スクアーロ殿っ! 一体、何をされた!?」
不安に満ちた格上の若き騎士の表情を見て、彼は笑う。
その余裕を、取り戻した。
「は、はははは……! 云っただろう、奥の手があると……! 俺はそれを起動させたのだ……! 見ていろよ? ここら一帯が、吹き飛ぶぞ……!?」
「――吹き飛ぶっ!? まさか、自爆をされるおつもりか……っ!? 愚かな、それでは貴殿も無事では済みますまい!」
「は、ははは……っ! 今更焦っても手遅れよ……っ!」
スクアーロの瞳は、暗く揺れていた。
これでは『自分もただでは済まない』ということを、理解しているのかどうか。
ダンは予言者に振り返る。
「エフモント様! 尋常ならざる事態です! 何か打つ手はございますか!?」
「さてのぅ……」
エフモントは、真顔で呟く。
「あれは、単純な爆発――という訳ではなさそうじゃ。下手をすると、空間そのものに対する被害が出る事になるな……」
「く、空間そのものですって!? それ程のことともなれば、被害があまりにも大きくなるのでは――!?」
「…………幻精歴末の『大崩壊』は、時空震も、その主な原因のひとつであると聞いておる。並みの爆発であれば、わしの魔力で押さえ込んでみせようが、空間の破壊ともなると、封じ込めた経験がない。爆発に至った場合、防ぎきれるかどうかは未知数じゃ……」
老魔術師の表情に余裕がない事を確認し、スクアーロは笑った。
最早彼の思考には、『目の前の事』以外に思いが及んでいない。
爆発の規模も、自らの安寧も。
「スクアーロ殿! すぐにその装置を止めてください!」
「ははは……っ! 止めるだと? 残念だったな! 『手遅れ』だと、俺は云っただろう!? 一度起動すれば止める手立てなんぞ、もう存在しないのだよ……!」
「く……っ! ならば、爆発の前にその装置を破壊するのみ……!」
「ああ、やってみろ! だがな、刺激を与えれば、その時点でこれは爆発するのだぞ!? お前自身の手で起爆を早めるか!? 俺はそれでも構わんぞ、ダン……!」
「ぬぅぅ……っ!」
壮年の騎士は、剣を握りしめたままに歯ぎしりをした。
(本当にあの装置を止める手立てが無いのであれば、王城内に甚大な爪痕を残す事になるのでは……!? 王妃や殿下、そして閣下の身に、もしものことがあれば……っ!)
怒気と無力さが混じったダンの瞳が、スクアーロにはたまらなく心地よかった。
それは、以前の彼には存在しない感覚であった。
「最早、趨勢は定まった……! 貴様らはそこで指をくわえて見ているが良い……っ! この状況をひっくり返せるような者など、どこにもいはしないのだからなァ……っ!」
スクアーロは、胸を反り哄笑した。
そんな彼の視線の先に、不可解なものが映る。
それは岩の壁を飛び越えてやってくる、ちいさな少年の姿であったのだ。




