第五百四十七話 ムーンレインの伏龍鳳雛(その四)
さて……。
今起きている状況を、俺はどう判断すべきだろうか?
どこかから、たまたま魔獣が入り込みました――いくら俺がアホでも流石にこう思える程、太平楽な頭はしていない。
普通に考えれば、『持ち込まれた』と解釈するより他にない。
それが『どこからか』は、ひとまず置いておくべきだろう。
最も重要なのは、『どのようにして』持ち込まれたかだ。
「…………」
俺は今、あまり楽しくない想像をしている。
王城は警備が万全で、定期的な見廻りもある。
しかも今日は、クララちゃんの近習試験日で、普段よりも一層、兵士達は目を光らせていたはずだ。
にも係わらず、ここにバケモノが現れた。
ミチェーモンさんの『未来視』が遮られたことからも、この一連の騒動を『ただの偶然』とすることは出来ないだろう。
つまり、意図的だ。
となると、矢張り――。
(セロの時と、同じ手段か……?)
あの、小型の『門』。
あれは持ち運びしやすそうだったしな……。
もしもそうだと仮定すると、さっきの獣が、この瞬間にも急に湧いて出ることになる。
(だが、それ以上にヤバいことがあるな……)
もしも、あの時と同じならば。
(む……?)
でも、その前に。
「…………ぅ、うぅ……」
クララちゃんは、不安そうにしている。
手がかりを探すにしろ何にしろ、まずはこの娘の安全を確保してあげなくては。
(まずは、ミチェーモンさんと合流すべきか)
彼が進んだ先をちょいと覗いてみると、そこには『岩の壁』が出現していた。
たぶん、これはさっきまでは無かったものだ。
それをわざわざ追加したという事は――。
(『こちらには来るな』と云う事だな)
彼女に見せたくないものがあるのか。
それとも、より危険であると判断したのか。
いずれにせよ、ミチェーモンさんの意思を尊重すべきだろう。
そして、俺は何をすべきか?
(もしもセロと同質量の危機が迫っているのであれば、一も二もなくエイベルと合流すべきなんだろうな)
或いは、村娘ちゃんの陣営の強者を頼るべきか。
だが、ここで問題とすべきは、ミチェーモンさんの行動だ。
彼のメッセージは、『来るな』だけであった。
あの人がただの粗忽者であるならば『判断を違えた』ということになるが、俺はあのご隠居様が耄碌しているとは思っていない。
寧ろ孫娘ちゃんの試験日に事が起きた以上、今回はヴェンテルスホーヴェン侯爵家を標的にした騒動であると判断すべきだ。
となれば、『他の勢力』に騒ぎを知られるのは、マズいことなのかもしれない。
(あちら側の物陰のほうも封鎖していたから、全くの無風で済む事もないのだろうが……)
今慌てて騒動を大きくするのも、間違いな気がするな。
となれば、俺に出来る事は――。
『門』の在処を探る事。
これだろう。
内々に始末を付けるにせよ、『外部勢力』を頼るにせよ、問題の起点となる魔道具がどこにあるのかを知らなければ、何にもならない。
(フィーかエイベルがこの場にいれば、すぐに気配を察知してくれそうなんだがな……)
残念ながらこの場にいるのは、ぽんこつ魔術見習いの俺だけだ。
自分の手持ちで、やれることをやるしかない。
「……ひっ!」
クララちゃんが、悲鳴をあげた。
ちょうどそこは、『空間から』狂牙狼が湧いて出るところだった。
これで『門』を使っているのかも、という良くない推測が当たってしまったわけではあるが――。
(しかし、二重の意味で助かったぞ)
ひとつは、出て来た後よりも、出てくる途中のほうが仕留めやすいということ。
(粘水……ッ!)
場所が固定されている狼の口の中へ、粘水を叩き込んだ。
俺の粘水には持続時間があって、ある程度の時が経つとただの水になってしまうが、今回はこの特性を最大限に利用する。
粘性のある水で器官を満たしてしまえば吐き出す事も出来ず、肺も水浸しになって楽に始末できる。
そして時間が経てばただの水になり、『特殊な水』の存在を隠す事が出来る。
そしてもうひとつは――。
「あ、アルト様……っ!?」
距離を詰め、空間に触った。
(根源、干渉……ッ!)
俺の数少ない手持ちには、こいつがある。
空間の開閉時間はセロで学習済みだ。
だから、俺がこの魔力を操作するまでの時間がない事は分かっている。
だが魔力に触れれば大雑把でも、どの方向に『門』の中核があるのかくらいは分かるはずだ。
(見えた……っ)
ミチェーモンさんのほうに、多数の反応。
現れては即座に消えているが、これは速攻で片付けられているということか?
そして、あの岩壁の向こうにあるのは、『子機』のほうだな。
これによって、あちらこちらに小規模な『出口』が作られているのだろう。
ここに湧いたのは、ミチェーモンさんたちを背後から襲う為かな?
だが、あちらまでの道は岩の壁で塞がっている。
仮にここを放棄しても、挟み撃ちにはならないだろう。
(と、なれば、すぐにでも動くべきだ)
身を竦ませてしまっている王女様を、再び抱え上げた。
「……きゃっ!? あ、アルト様……っ!?」
これって、もの凄い不敬な行為なのだろうか?
けれども他の手段を模索している時間もないしね。
「走るよ。舌を噛まないようにね!」
「ふぇっ!? ふぇぇぇぇぇぇぇ……っ!」
ここに来るまでに見た、なるべく人目のないルートを駆け抜けた。
※※※
そうして辿り着いたのは、別の空き地。
例によってここも、建物の裏側だ。
この騒動を仕掛けた奴――単数なのか複数なのかは知らないが――は、余程に『この城の造り』に詳しいみたいだ。
(まあ、俺も秘密の地下通路の存在と、城までの正解ルートを知っているから、ヤバい奴のひとりなのかもしれないが……)
しかし、パッと見ここには何もない。
セロの時は明々白々な怪しい魔道具が設置されていたのだが……。
(より巧妙に隠してあるのか。それとも、ここも陽動なのか?)
俺に魔力を感知する力はない。
だから近くまでは来られても、正確な場所が分からない。
またさっきの怪物でも湧いて出てくれれば話が早いが、あれは『子機』で任意に呼びだしているもので、セロのように辺り一面に、という訳ではなかったからな。都合の良いことは期待できない。
そもそも犯人は、俺という存在がこっちに来ている事も分かっていないだろうし、それ以前に『親機』の傍で魔物を暴れさせるつもりがないのかもしれない。
(さて、どうやって怪しい機械を探そうか……)
注意をしっかり働かせるだとか、演繹された思考から発見出来るものなら良いのだが、そういうのじゃ分からないようになっていたら問題だ。
その場合は、それこそミチェーモンさんのような異能で発見するしかなくなるが……。
(ミチェーモンさんの未来視を予測し、しかも対策が出来るような相手がいるんだろう? 仮に他の未来視持ちがこの場にいたとしても、発見出来るかどうか……)
そんなことが出来る者がいれば、場合によっては、あの老魔術師に伍するか凌駕するような、とんでもない存在と云う事になる。
そんな都合の良い人物が――。
「るーるるるー……。るるるーるー……」
裏の空き地に、恐ろしく気の抜ける声が響いた。
同時に、背中にピトッと張り付く誰かさん。
「あ、貴方様、は……」
クララちゃんが、驚いた声をあげている。
うん。
俺も驚いている。
だって、この娘がこの場に来るなんて、想像もしていなかったから。
ついでに云えば、警戒を最大限にしていて、アッサリと背中を取られるとも思っていなかったから。
「むむん……。アル、捕まえた……?」
誰かさんは、ぽわぽわした声を響かせながら、俺の背中によじ登って来ていた。




