第五百四十五話 ムーンレインの伏龍鳳雛(その二)
「随分と……」
スクアーロは、ダンを見ながら云う。
「随分と、思いきった事をするものだな……? 状況も分からぬだろうに、いきなり命を狙ってくるとは……」
「そこに倒れているピストリークス殿は、我らの盟友。それを攻撃していた、『スクアーロ殿によく似たモンスター』を排除しようと考えるのは、当然の事でありましょう」
騎士剣の血を払い、ダンはジッと見つめ返してくる。
スクアーロはその瞳の色から、彼が自分を魔物として排除しようとしているのだと理解した。
「ダンよ……。事情を聞く気はあるか?」
「それには前提があります。まずは武器を捨て、降伏されるところから始めるべきでありましょう。貴殿にそのつもりがありますか?」
「成程な。――お前も、俺に勝てるつもりなのか」
「さて……。初めて相対するモンスター相手ですので、何とも云いようがありませんな」
ダンが云い終わらぬうちに、スクアーロは猛進してきた。
肥大した肉体を持つ老騎士の一撃を、しかし近衛騎士は素早く回避する。
「ぐ……っ!?」
スクアーロの腕に、痛みが走った。
すれ違い様に、ダンの斬撃が的確に入っていたのである。
「この身体に、二度も傷を付けるとは……!」
「今の一撃で、腕を切り落とせないとはな……」
ダンは刀身を見て呟いた。
彼の騎士剣には、刃こぼれもなければ歪みもない。
素人目にも分かる程の、紛れもない名剣であった。
スクアーロは、ダンの剣を睨み付ける。
「その剣、ガド一門の高弟が鍛えた業物だそうだな。多くの騎士が望み、しかしその大半が手に入れる事の出来なかった逸品よな……。確かにその剣ならば、今の俺の身体も切り裂けるか……!」
ドワーフの打った武具は、あらゆる騎士・剣士・戦士・冒険者の憧れである。
殊に、伝説の名工・ガド一門のドワーフたちは偏屈で知られ、千金を積んでも気に入らなければ仕事をしないと云われている。
このダンという騎士は、その実力によってドワーフに気に入られ、この騎士剣を手に入れている。
ドワーフが認める程の技量。
そして、その作品を贖えるだけの金銭。
それはどちらも、スクアーロが強く望んだものだった。
その両者を保有する壮年の騎士に、老いた剣士は激しい嫉妬の情に駆られた。
(あぁ……! 憎い……ッ。憎いな……ッ! だが、何かを憎むと、身体の奥底から力が湧いてくるようだ……ッ!)
スクアーロの肉体は、更に膨張した。
筋量がより増強され、より禍々しい姿となっていく。
剣を担ぐように構えて突っ込んでくる半魔の騎士の動きに、ダンは驚いた。
(先程よりも、遙かに速い……ッ! となれば、まともに打ち合うのは危険か!)
その思考と矛盾するかのように、ダンはスクアーロの剣に自らの得物をかち合わせた。
筋力と体重の差で、壮年の騎士の身体が揺らぐ。
けれども彼が手にした剣はブレることがない。
これはダンの体捌きと技量によって、衝撃を巧みに分散させているからこそ可能な芸当であった。
「フン、俺の力に正面から戦いを挑むか! 確かに貴様の技術なら、たとえばオーガの巨躯とやり合っても、後れを取る事はあるまいな!」
憎い。
そんなことまで出来るこの男が憎い。
老騎士の筋肉は、更なる厚みを増した。
「ぬ……」
振り下ろされる剣を防ぐダンも、圧力が増えたことに顔をしかめる。
「だが、どこまで耐えられるかな……!? 俺の身体は、より大きく、強くなる……!」
「さて……。『耐えられない』のは、人とは限りませぬな」
「ぬおッ!?」
目の前で、銀色の光が舞い散った。
それはスクアーロの剣が、砕けたことによる飛散。そして陽光の反射であった。
「ぶ、武器破壊……! ダン貴様、これを狙っていたのか……ッ!」
「貴殿に剣を持たせておくのは、危険と判断しましたのでな」
「うおぉ……ッ!」
剣を失った隙を突くかのように、ダンは急速に潜り込んできて、突きを放つ。
ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の誇る近衛の騎士は、斬撃系の攻撃も刺突系の攻撃も、高レベルで使いこなす。
スクアーロも、本分は騎士だ。
つまり、剣を使う。
無手術の心得はあっても、『剣の達人』に挑める自信はなかった。
いかに肉体が強化されているとは云え、相手はこの身体すら切り裂く技量と、それを十全に引き出せるだけの武器を持っているのだ。
(こいつ、巨大な相手との戦い方まで心得ていやがる……! 死角死角に回って急所を突いてくる! まだこの肉体に慣れていない俺のほうが、圧倒的に不利だ……ッ!)
傷を負わせる事。
それに怯んだ隙を突く事。
相手の視界を把握している事。
家中最強と呼ばれる騎士の恐ろしさを、初めて正確に理解した。
だが、それでもなお死に至っていないのは、それもまた、この肉体のおかげでもあったろう。
(あぁ、悔しいが、ダンを相手に『一対一』では無理だ……ッ!)
スクアーロは跳躍する。
その先には、例の魔道具。
彼はそれを素早く拾い上げると、壮年に騎士にニタリと笑った。
「ダン、お前の一対一の技量は見せて貰った。だが、一対多はどうかな……?」
「――――!?」
青い光と共に歪む空間に、沈着な騎士も目を見張った。
そこにあったのは、この世にあり得ざる魔道具。
転位の力――。
(まさかそこに転がっている狼の死骸は、ここに生きたものを隠して運び込んだのではなく、その魔道具から呼び出したのか!?)
驚愕している間に空間が歪み、四頭の狂牙狼が踊り出して来た。
一斉に飛びかかって来る複数の狼を、ダンはすれ違い様に二頭斬り捨てる。
スクアーロは舌打ちした。
「チ……ッ! 狼狽しておいてなお、無傷で狂牙狼を撃破してのけるか……!」
『必ず複数で当たるべし』と云わしめる魔獣をなんなく倒した近衛騎士に、老いた騎士は妬心を燃やす。
(もっと数だ……! もっと多くの魔獣を呼び出すのだ……!)
彼の心は、既に『ダンを除く事』で塗りつぶされている。
相対する騎士は、目の前の老人の瞳が正気ではない事に気がついた。
魔道具が再び鳴動し、新たなる魔獣を呼び出そうとしている。
「スクアーロ殿、正気か!? 貴殿は王城を混乱の巷へと落とすおつもりか!?」
「ならば黙って殺されろ! お前が抵抗をするから、増援を呼ばねばならんのだ!」
現れ出たのは、一ダースを超える量の魔獣。
ダンは思う。
(全てがこちらに向かってくるならばまだ対処のしようもあるが、もしも脇を通り抜けて王城へ出てしまうとマズいぞ……!)
彼には、命を賭して守りたいものがある。
護りたい人たちがいる。
あの魔道具からどれだけの魔獣が出てくるのかは不明だが、現状の数ですら被害を出すには充分だろう。
「ダンよ……。当家最強の騎士が、この数相手にどこまで戦えるか、とっくりと拝見させて貰うぞ?」
スクアーロは笑う。
勝ち誇ったように笑った。
そこに――新たな声が響いた。
「――そいつは無理な相談じゃな。ダンの戦力を計るのは、別の機会にしてくれぃ」
「う……ッ!? 貴方は……ッ!?」
のっそりと出て来たのは、背の高い老人。
朽ちた大木のような印象を与える、痩せていて、けれども大きさを感じさせる体躯の魔術師だった。
「エフモント様ッ!」
ダンは顔をほころばせる。
彼ひとりが現れた事で、懸案事項が消え去ったかのような心地になったのだ。
一方、スクアーロの顔は青ざめている。
老騎士は知っている。
この予言者が、どれだけの戦闘能力を個人で保有しているのかということを。
現れた魔術師――エフモント・ガリバルディは、周囲を一瞥して云う。
「スクアーロ。お主には、色々と訊かねばならぬことがあるな。――先に尋ねておくぞ? 投降する気はあるかの?」
威圧感のない、淡々とした口調であった。
スクアーロは後ずさりしながら、首を振る。
「だ、ダメだ……! 来るなッ! こ、来ないで下さい……ッ! 貴方に出て来られると、切り札を使わなくてはいけなくなる……っ!」
「ほう、切り札のう……? 未だ『先』が見えぬ状況なのは、まことに困るわい」
さして困った風でもなく、老人は肩を竦めた。
スクアーロは、首を振り続けている。
「ほ、本当に大変な事になるのだぞ……!? あ、あんたが介入してくる可能性を、考慮していないと思ったのか……ッ!?」
「しておったんじゃろうなァ……。だからこうして、今も一部では『未来』が分からぬ。しかし、じゃ。逆に云えば――」
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお…………っ!」
遮るようにしてスクアーロは叫び、腕の中の魔道具が輝いた。
けれども、空間の歪みが出てこない。
増援の出現を警戒していたダンは、不審そうに辺りを見渡す。
「何が起きている……!? エフモント様、ご注意を……っ!」
「察するに、アレは『門』の一種か……。バケモノどもがここに出てこないと云う事は、『別の場所』にも呼び出せる仕組みなのじゃな?」
「何ですって……ッ!?」
壮年の騎士が慌てて駆け出そうとする。
けれども老いた予言者は、それを手で制する。
「ダン。わしらの役回りは、どうやらこの場での怪我人の救出と証拠の確保、そして害獣駆除のようじゃ。目の前の事柄に集中するがええ」
「しかし、それでは大変な事に……ッ」
「――ならんよ」
魔術師は、苦笑しながら云う。
「『四方山話でもしておれ』と云った傍から頼るのでは格好が付かんが、どうやらあやつが対処してくれるようじゃ」
「あやつ!? あやつとは誰です!? 一体、何事が起こっているのです……!? いえ、起こるのですか……!?」
ダンの言葉に応えず、魔術師は老騎士を見つめた。
「わざわざ、あやつがいる時にことを起こしたのは、失敗じゃったな?」
「な、何……!?」
スクアーロも、エフモントの言葉に戸惑う。
まだ『ささやかな事件』は、ある年少者たちの介入によって、別の局面を迎えようとしていた。




