第五百四十三話 現場に移動
死角――というものはどこにでもあって、それは警備厳重なはずの、この王城内にも存在する。
俺と、織物問屋のご隠居様と、そのお孫さんとで向かった先も、そんな地点のひとつだった。
(なんだか、『体育館裏』っぽい雰囲気の場所だなァ……)
いくつかの背の高い建物の隙間、細い道を通った。
ミチェーモンさんのほうは自然体といった感じだけれども、クララちゃんは不安そうだ。
「む……?」
「どうしました、ミチェーモンさん?」
「お主ら、足もとに――いや、何でもないわい」
足もと?
ちょっと凹凸があるから、気を付けろってことか?
しかし、なら何で云い切らないで黙るんだ?
「……きゃっ!?」
直後にクララちゃんが躓いた。
俺はすぐに抱き留める。
「大丈夫?」
「う……っ、あ、あの……っ!」
「ん? ああ、ごめん。不躾だったね」
「…………」
クララちゃんは真っ赤になってしまっている。
もともと大人しい子だし、異性に免疫もなさそうだから、これは当然か。
「ぅ……。ぁ、ぁの……。ぁ、ぁりがと、ぅ、ご、ございました……」
それでも懸命にお礼を云ってくる孫娘ちゃん。
俯いていて目を合わせても来ないけれども、耳まで真っ赤になってしまっているのが見て取れた。
(ん――!?)
今、バクチ狂がニヤリと笑ったような……!?
(まさかこの爺さん、こうなる未来が見えたから黙り込んだのか!?)
フイッと俺の視線を無視して、歩き出す背の高いご老人。
くそぅ、何なんだよぅ……。
「む……?」
先頭で角を曲がったミチェーモンさんは、今度は明確に戸惑った声を出した。
そして、こちらに来るなと手で制する。
「ど、どうされたのですか、エフモント様……」
「クラウディアは、そこで待っておれ。――アルト・クレーンプットよ。その子を頼むぞ?」
ミチェーモンさんは、ひとりで進んでいく。
(『待っておれ』とは云ったが、『気を付けろ』とは云わなかった。ということは、『危険は既に無いが、クララちゃんには見せたくないものがある』ということか……?)
考えられるとしたら、血溜まりとか死体とかか。
いずれにせよ、孫娘ちゃんは『この先』には行かせないほうが良いのだろうな。
「…………」
第三王女殿下は、不安そうにこちらを見つめている。
俺には、作り笑いを返してあげることしか出来ない。
(探知系の魔術が下手くそっていうのは、本当になァ……)
人には向き不向きがあって、魔術にも得手不得手があるのは当然だが、それでも探知系の魔術の才はは欲しかったな。
暫くすると、ミチェーモンさんは重い表情のままで戻って来た。
クララちゃんは説明を待っていたが、彼が答える事はない。
「ちょいと、現場を保存しておく。お主ら、もう少し離れておれ」
俺たちが充分に下がると、一瞬のうちに板状の岩が地面からせり上がって来て、通路を塞いだ。
(土の派生――石の魔術か……)
難しい上に魔力の消費も大きい類の術式のはずだが、簡単に使うものだな。詠唱もなかったし。
派生魔術というものはおしなべて珍しいが、中でも岩のように硬く重いものを作るのは、特に大変だとされている。
たとえば土の魔術でカップのようなものを作ったとしても、それはあくまでも『固めた土』であるにすぎない。
水を注げばこぼれなくても脆くはなるし、土が溶け出して泥水になってしまい、とても飲めたものではなくなってしまうのだ。
明確な石や岩にすることは出来ないのだから、土それ自体で物体を作ることは難しい。
もちろん、それでも土の魔術は有用性が高くて、土塁を作れるだけでも防御力は高いし、農耕や建築の基礎作業には欠かせないものだ。
また、魔力の高い人間が土の飛礫を作り出すと、ガチガチに固めたその土は石に限りなく近くなるので、殺傷力も高くなる。
けれども、矢張り『固めた土』と『岩石』では、大きく違ってくるのだが。
俺は壁を見上げて、ぽつりと呟いた。
「凄いですね、この岩の壁は」
「そう大したものではないじゃろう。世の中には、金属の壁を作れる者もおるからな」
ミチェーモンさんは、アッサリと云い切った。
魔力の変換は、固形のもの程作り出す事が難しくなる。
特に金属を作成するのは、ほぼ不可能だとされている。
クララちゃんが、「金属の壁を、作れる方がいるのですか……?」と云って驚いている。
ミチェーモンさんは、静かに頷く。
「人の魔術師では使い手は知らんな。或いは、いたことすらないのかもしれんがの」
『金属生成』と云う魔術は、それ程のものだ。
人間はもとより、魔術に長ける三大種にも存在するかどうか。
孫娘ちゃんは、悲しそうに目を伏せた。
「どのようなものでも、魔術を使える事それ自体が凄いです……。私には、不可能なことですから……」
宝剣が輝かなかった王女様は泣きそうな顔をしている。
祖父役の爺さんは、言葉は述べずに無言で孫娘ちゃんの頭を撫でた。
それだけで、クララちゃんの震えは止まる。
このふたりの信頼関係を垣間見たようで、俺も少しだけ安心した。
「我らは急ぎ、ダンの奴と合流せねばなるまいな。あちらでも、何事かが起こっているやもしれん」
ここで何があったのか。
ミチェーモンさんは、何を見たのか。
少なくとも、調査を打ち切って良いような内容ではなかったのだろう。
何も語らない事から、きっとそれは、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家に大きく係わっているはずだ。
「クラウディアよ。アルト・クレーンプットから離れるでないぞ? そやつは、信頼しても良い者じゃ」
「……はい、エフモント様。――アルト様、どうかよろしくお願い致します」
クララちゃんは小走りでやって来て、寄り添うようにして俺を見上げた。
この娘も何かを感じているのだろう。とても不安そうにしている。
(まあ……俺がやる事は、孫娘ちゃんを守るだけだ。シンプルなもんさ)
少しでも安心して貰えるように、俺は精一杯の『営業スマイル』を繰り出した。
クララちゃんは、俯いてしまった。
※※※
(こっちも、死角だらけだな……)
ミチェーモンさんの未来視が通じぬもう一方の地点も、建物裏の先であった。
尤もそうでなければ、すぐに異変は見張りなり何なり、誰かしらによって発見されているだろうから、これはある意味では当然なのだが。
そこは先程よりも、かなり奥まったところにあった。
前者との違いが、明確にひとつ。
「これ――戦闘音ですか!?」
「血の臭いもする。間違いなかろう」
ミチェーモンさんは、顔をしかめる。
「……ここでは、まだわしの力も戻っておらぬわ。すまんが、クラウディアの護衛は全力で頼むぞ。敵はわしが片付けるでな」
例によって、今回も俺たちはここで待機だ。
戦闘中の所にクララちゃんを連れて行きたくないというのもあるのだろうが、何となく、『見せたくないもの』があるのかもしれないと俺は思った。
「エフモント様……。お気を付けて……」
「おう。すぐに戻ってくるからの。お主はそこで、アルト・クレーンプットと気楽に四方山話でもしておるが良い」
片手をひらひらと振って、背の高い老人は建物の陰へと消えて行った。
――さて、俺はしっかりと孫娘ちゃんを守らなくてはね。




