第五百四十二話 異変を知る
「これで、私のゴールです……っ」
「ありゃっ。また負けたか……」
「ふふっ……♪」
何戦目かの敗北を迎え、バックギャモンの対戦が終わった。
つーか、俺、弱いな……。
目の前にいる第三王女殿下――クララちゃんは、穏やかに。
けれども嬉しそうに微笑んでいる。
この娘、あまり笑わないけど、たまに見せる控え目な笑顔が可愛いんだよね。
(まあ何にせよ、泣き止んでくれたし、今も今で楽しそうだし、良かったと云うべきか)
試験がなく、ひたすら雑談しながらボードゲームやってるだけというのは、正直どうかとは思うが。
(後は、『口実』だねぇ……)
俺には宮仕えをするつもりがないので、お断りの言葉を考えておかねばならない。
村娘ちゃんのほうは――一応、なんとかなった? からな……。
それにしても、一歩引いた所からこちらを見ているミチェーモンさんのニヤニヤ顔よ……。
あれはただ単に孫娘ちゃんを見守っているだけでないような気がするんだが。
「おぅおぅ……。お主は本当に、クラウディアと相性が良いのぅ……」
ほらぁ……。
なんだか、『逃がさんぞ』と言外に云われているような感じがするのは、俺の気のせいなんでしょうかね?
一方、唐突に変な事を云われたクララちゃんは、俯いてしまう。
気のせいか、顔が赤かったような……?
「あ、相性が良いだなんて、そんな……」
奥手っぽい娘だし、恥ずかしいんだろうな。
こういうことをからかわれると、困っちゃう子は、前世にもいたし。
「……うぅ」
一瞬だけ顔を上げた第三王女様は、俺と目が合うと、再び顔をササッと伏せてしまった。
「まあ、周囲はわしが定期的に探っておいてやるから、お主らは存分に楽しむがええ」
ほっほっほ、とか笑っている賭博狂。
孫娘ちゃんはまだ照れているが、俺は一瞬、真顔になってしまった。
エフモント・ガリバルディという人物の未来視は破格だが、全くのノーリスクというものではないらしい。
俺がこの老人の能力の知識を得たのは、この人本人からの申告ではなく、別口――おませ少女マノンのママンこと、ヴェールの魔術師・マルヘリートさんからだ。
双杖の魔術師曰く――。
「かの人物の能力は、『個人に対して働くもの』と、『周囲全体に張り巡らせるもの』の二種類があるようです」
個人に対しては、そのままズバリ対象のみの未来が見えるのだと云う。
後者のほうは、能力が発動した範囲の情報全てが入ってくるのだとか。
「前者は兎も角、後者のほうは大変でしょうね。たとえば人間は多くの音を聞き分けますが、一斉に喋られたら、何が何だか分かりませんよね? しかし放浪の予言者は、ある程度は『何があるのか』を知る事が出来るようです」
まるで聖徳太子みたいな――とも思ったが、ヴェールの魔術師は首を振った。
「見たくもないものを見、知りたくもない事を知る。それは想像を絶する世界でしょう。何より問題なのは、情報量が大きすぎて、脳に負担が掛かる事です。私には、かの魔術師がその辺をどう折り合いづけているのかが分かりません。ですが後者を発動するときは、確実に何らかのリスクを負っているはずです」
ミチェーモンさんは普段は未来視の能力を閉じているらしいし、頼まれても使いたがらないのは、政治的に利用される事がイヤだというだけではないのだろうなと思った。
けれども今は、この『孫娘』の為に、それを使っているのだ。
軽い感じで云った『探っておく』という言葉に、どれだけの想いが込められているのだろうかと考えた。
ミチェーモンさんの力に詳しいのですねと尋ねる俺に、双杖の魔術師はヴェールの向こうで苦笑したようだった。
「彼を知り己を知れば、と云うのは、あらゆることに対する鉄則です。こんな世の中ですので、いつかは轡を並べて共に戦う日もあるかもしれません。――或いは……」
彼女は、『その先』を云わなかった。
――或いは、相対する事もあるかもしれない、ということなのだろう。
あの人は何よりも村娘ちゃんが大切で。
他方、ミチェーモンさんは今もこうして、クララちゃんの為に力を使っている。
優先順位がハッキリしているから、悪い方向に噛み合えば、きっとあのふたりは争う事になってしまうだろう。
(そういう景色は、絶対に見たくはないな……)
今のところは国内は平和だし、クローステル侯爵家とヴェンテルスホーヴェン侯爵家も、仲良しではないが、敵対もしていない。
このまま何事も無く、皆が幸せになれると良いんだけどね。
「む……?」
ミチェーモンさんは、首を傾げる。
クララちゃんが、すぐに顔を上げた。
こういうちょっとした変化にもすぐに気付く辺り、孫娘ちゃんもご隠居様が大好きなのだろうな。
「エフモント様、どうされたのですか……?」
「いや……。うむ……」
バクチ大好きのお爺さんは一瞬だけ迷った顔をしたが、すぐに正直に話すつもりになったらしい。
「少し妙でな……。わしの能力で、見えぬ場所が出来ておる……」
「見えない場所が……」
「出来ている――のですか……?」
驚いた顔を見せたのは第三王女様と、物静かに室内に立っていた三十代くらいの渋いイケメンの、ダンという名前の騎士だ。
ふたりの様子から、『見えぬ場所が出来ている』というのが、滅多にないことなのだということが分かった。
「今更隠しても仕方がないからハッキリ云うがの、これは余程の事が起きているのだと思う」
「しかしエフモント様。それは我らヴェンテルスホーヴェン侯爵家に関わりがあることなのかどうか、不明ということではないのですか? 当家とは無関係の可能性もありますし、まずは人をやって調べさせるべきでは……?」
イケメン騎士の言葉に、老爺は首を振る。
「わしと無関係であるならば、『見えぬ場所』が出現するはずがない。これはわしの能力を知った上で、その対策術式ないし強力な隠匿性の魔道具を使用しているのだと思う。つまり、こちらに対する妨害じゃな」
「……その前提であるならば、それはエフモント様か、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家に対して、何かを仕掛けて来ている……ということになりますな」
「今日はクラウディアの近習試験の日じゃからな。騒ぎを起こすほうにも、乗じやすい背景があるのじゃろう。早急に調べるべきだと、わしは思う」
「では、そのように致しましょう。場所の指示を戴ければ、私がすぐに調べて参りますが?」
「一カ所ではない。二カ所じゃな。これは分散を誘っておるのか、或いは隠したい場所が、そのふたつだっただけか……。四剣士たちがおれば、片方をお主、もう片方をあやつらに頼んだのだがな?」
「ルカン殿らは、折悪しく出払っておりますな」
「では、わしが出向くしかあるまい。すまんがダン。もう片方へは、お主に行って貰いたいのじゃが?」
「承知致しました。――クラウディア殿下は、このままこちらに? それとも王城内に、避難していただきますか?」
騎士ダンの言葉に、クララちゃんは身を竦ませた。
自分の名前が出て来て、不安になったのだろう。
老魔術師は云う。
「大した距離ではないし、クラウディアは連れて行く。そこらの騎士団に囲まれているより、わしの傍にいるほうが遙かに安全じゃろうからな。――そして、じゃ」
ミチェーモンさんは、俺を見つめた。
「お主を巻き込む事は本意ではないが、このままクラウディアの護衛に加わってはくれぬかの? 何、万が一戦闘があれば、それはわしが受け持つし、お主の身も守ろう。その幼さで、既に段位魔術師となれば、守護者として、充分以上にあてに出来る。それに何より、アルト・クレーンプットであれば、クラウディアも安心してくれることじゃろう。――どうじゃ? 無理強いをするつもりはないが、引き受けてくれるとありがたい」
危険に近づかない事が最高の護身だと思ってはいるが、流石にクララちゃんを見捨てるわけにはいかないよなァ……。
たとえばこの騒動が、ミチェーモンさんやヴェンテルスホーヴェン侯爵家ではなく、王女クラウディア殿下を標的にしている、という可能性もあるわけだしね。
「…………」
クララちゃんは、泣きそうな顔で俺を見つめている。
まずは彼女を安心させてあげる事が先かな?
「クララちゃんには、『感謝の花』を貰っているからね。その意に応えるくらいのことはさせて貰うよ」
「……っ! あ、ありがとう、ございます……」
ちいさな王女は、心底安堵したように呟いた。
「見捨てられなくて良かった」という独り言は、彼女の心情と境遇を明確に語ったものだったのだろう。
仮に俺がここで保身を選択していたら、彼女は大きく傷付いたに違いない。
イケメン騎士も、ホッとしたような顔で、俺に深々と頭を下げた。
「まだ殿下の近習となったわけではないのに、同行して下さる事、心より感謝申し上げる! 貴殿のご厚意には、いずれ必ず報いさせていただきまする!」
まだ近習となったうんぬんと云われても、俺はそもそも、近習自体になるつもりがないんだけどね……。
「――では、行こうかの。各々、戦闘になる可能性も考慮せいよ?」
俺たちは立ち上がり、二手に分かれた。




