第五百四十一話 老騎士、乳白色に挑む
白く。
闇のように白く。
その異相の子どもを見て、ルカンは目を見開いた。
「ああ、手前ェかよ……」
「えー? 何その反応? ボクは別に、キミの知り合いじゃないんだけどなァ……」
「ああ。確かに知り合いじゃぁねぇ。――だがな」
老騎士は、剣を構え直す。
「手前ェには重々警戒しておけと、ごく一部で話題になってるんだよ!」
「酷い話だなァ……! ボク、まだ何もやってないよ?」
心外だと云わんばかりに、乳白色の子ども――ピュグマリオンは肩を竦めた。
一方で、ペン回しのように、短剣を掌中でクルクルと回している。
ルカンは、それに目を走らせた。
「そいつがお前の得物か」
「ん? これ? 別にボクの得意武器じゃないよ? ただの小道具だから」
「小道具……だとォ?」
「うん。小道具ー。これでキミを刺して殺すんだけどね? 大事なのは、出所なんだ」
アッサリと殺害予告をしたピュグマリオンは、よく見えるように、短剣を目の前にかざしてのけた。
ルカンの身体が、ピクリと反応を示す。
「そいつァ……。クローステル侯爵家縁の短剣か……っ!」
「うん。そだよー? ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の騎士が、クローステル侯爵家の短剣で殺されている。重要なのは、そこなんだ」
「ハッ! バカバカしい……っ!」
乳白色の笑みを、老騎士は吐き捨てる。
「そんなあからさまな凶器の存在なんぞ、誰が信じると云う!? 両侯爵家の仲違いを狙うなら、もっと巧い事やるんだな!」
「うふふふ……!」
ピュグマリオンは、赤い瞳を細めて笑った。
老人の滑稽さを嘲笑うかのような態度であった。
「こんなもので不和の種がバラ撒けるなら、それこそ拍子抜けだよ。これはね、将来に対する布石なのさ。ボクは今後も、こういうことをするつもりなんだ。しょーもない疑惑でも、回数を重ねれば、周囲は次第におかしくなる。賭けたって良い。人間は、そういう下劣な生き物だろう? 好んで醜聞を集め、それを事実と思い込もうとする。だから――こんなものも用意してみたんだ」
取り出したのは、最高級の金貨がギッシリと詰まった革袋だった。
重そうなそれを、ピュグマリオンはジャラジャラと音をさせながら上下させる。
「キミを殺した後、この革袋を懐に入れておいてあげる。きっと色々な人が、突飛でゲスな想像をしてくれることだろうね。――あ、こっちの革袋には、しっかりとクローステル侯爵家の印が入っているんだよ?」
ケラケラと笑う乳白色の存在に、ルカンは唾棄すべき感情を抱いた。
こいつの目的は、本当に面白半分に混乱をバラ撒きたいだけなのだと。
ただそれだけの為に、人を殺し、オモチャにしようとしているのだと。
「今回のボクの到達点はね。ヴェンテルスホーヴェン侯爵家とクローステル侯爵家の仲が、修復不可能な程にこじれ、憎しみ合い、殺し合ってくれることなんだ。理想を云えば、第三王女と第四王女が、心から嫌い合う関係になってくれると、より面白そうだなって思ってる」
「…………おい」
「んー? なぁに?」
「手前ェのその、犬の糞にも劣る下らねぇ悪だくみは、俺を殺せなければ意味がねェことだろうが! ここで俺がお前を斬れば、何もかもが実行されないってことになる」
「えー? 何さ? もしかして抵抗する気? どうせ無駄なんだから、素直に殺されててよ?」
面倒臭そうな顔をする乳白色の子どもに、ルカンは、こう呟いた。
「――識下流泳」
「へぇ……?」
白い子どもの赤い瞳が、スッと細まった。
「第四王女の近習試験で見せたアレだけで、そこまで辿り着いた奴がいるんだ? 誰? エフモントかな? それとも、マルヘリート?」
「誰だって同じことだろう。一部では既に、手前ェの情報が共有されていると云ったはずだ。――そして、タネの割れた手妻は、俺には通用しねぇ!」
「そうなの? 無駄だと思うけど。まァ、そこまで自信があるなら、良いよ。少し遊んであげる」
乳白色は、笑顔。
けれども、明確な殺意を感じる笑顔。
ルカンは意識の全てを総動員して、ピュグマリオンを睨め付ける。
白い子どもは、口元を釣り上げた。
「ひとつ、忠告だ。ボクの術中に堕ちたくないなら、瞬きひとつほどの時間も、意識を離すんじゃァないぜ?」
「ああ。手前ェが死ぬその瞬間まで、見ててやるから安心しろや」
「そう? 人間の精神力ってのは、そこまで強いとは思えないけどねぇ」
パチン、と、乳白色の指が打ち鳴らされた。
その、瞬間――。
「な……っ!?」
周囲には、色とりどりの花が咲き乱れていた。
名木が林立し、青空の先には、遙か下界が見える。
それは彼が一度しか見た事がない風景。
ムーンレインの『空中庭園』に相違なかった。
(な、何故、俺はこんなところに……っ!?)
戸惑うルカンに返ってきた答えは、強烈な痛み。
背中が、灼けるように痛い。
口からは、血を吐きだしていた。
優美な短剣が、老騎士の背中を貫いていたのだった。
「ぐは……っ!」
グラリ、という感覚。
そして、壁にでも激突したかのような衝撃。
否、それは、ルカンが地面に倒れたことによって起きた錯覚であったのだ。
「あ~あ、だから云ったのに……」
失望と愚弄が綯い交ぜになったかのような声が聞こえる。
ルカンは、自分が『何をしようとしていたのか』。
そして、『何が起きたのか』を悟った。
「お、俺は……、い、意識を……!」
「あのねぇ、ボクから意識を離さないって決意は立派だけどね、ボクは幻術と精神干渉のエキスパートなんだぜ? これを防げなければ、勝ち目はハナからないんだよ。つまり、大半の人間には不可能な事だ。誰が『識下流泳』に辿り着いたのかは知らないが、そいつは、ボクが心に入り込めるということを、知らなかったみたいだね。……まぁそもそも、キミを圧倒するなら、単純な身体能力だけで、事足りたんだけどさ」
「ぐぁぁっ!?」
背中に刺さった短剣を、白い子どもは無遠慮に踏みつけた。
剣はより深く刺さり込み、一部が心臓に到達していた。
「ん~……。やっぱり、ボクの干渉を完全に防いだ『彼』がおかしいんだよな。……でもぉ、うふふ。『彼』はボクのお気に入りだからね。そのくらいのことは、やってのけるのかも……!」
夢見心地と云った様子で、乳白色の子どもは空を見上げた。
その下で、ルカンは呻き声を出す。
「な、何故……」
「あれ? 丈夫だねぇ。まだ息があるんだ?」
「な、何故、手前ェの悪事は……。え、エフモント様でも、見抜けない……?」
「それは応用の問題さ」
幻精歴には、優れた星読みが何人もいた。
その中には、エフモントに匹敵、或いは凌駕するような未来視の使い手も。
そうなれば当然、『次』はどうやって『それ』を防ぐかという話になる。
「たとえばキミに、『対魂防御』と云っても理解出来ないだろうし、意味も伝わらないだろう。だが、ある時代では確かに、星辰の魔術をいかにして防ぐかが重要だったときがある。中でも『北辰』の術者は、ボクの目から見ても厄介だったと思える存在だ。――それと戦ったエルフの高祖・『破滅』は、独自に『対・星辰防壁』なる術式も編み出している。エフモントは、確かにこの時代の中では、突出した魔術師なんだろう。そして、だからこそ、『そこ』で止まってしまうのさ。『同格』があふれていた時代なら、自らの未来視が防がれることを前提に行動出来ただろうからね」
ルカンには、ピュグマリオンが何を云っているのか、まるで理解が出来なかった。
ひとつだけわかるのは、この子どもの形をした闇は、決して野放しにはしてはいけない特級の怪物だという事。
「て、手前ェは、い、一体、何を経験して来たんだ……」
「…………」
ルカンの言葉は、純粋な疑問でしかなかった。
地に伏せていた彼は、だから頭上の子どもが、その時にどんな表情を浮かべたのかを見る事は出来なかった。
「経験ではなく、知識……だよ……」
そんな呟きも、耳に届く事もなく。
自らの運命が尽きた事を知った老騎士は、震える指で地面を引っ掻いた。
(ガレオス……。ピストリークス……すまねぇ……。クラウディア殿下……。貴方に仕えることが出来なかった不忠者を、お許し下さい……)
思い浮かんだのは、ボードゲームに興じる主君の孫の姿。
『宝剣の儀』以来、ずっと塞ぎ込んでいた少女が、笑顔を取り戻せていた事が嬉しかったのだ。
(近習試験が終わったら、俺もバックギャモンを……)
ルカンは、咳のような息を吐いた。
血の塊が口からこぼれ、それ以降、動く事はなくなった。
老騎士を仕留めたことを確認したピュグマリオンは、すぐに顔を上げる。
その方向には誰もいないが、まるで何かが見えているかのように、しっかりと頷いた。
「成程。『逆』だね。エフモントの評価を、一段階上げようか。あの老人は『見えない場所』を辿って、ここにやって来ることに気付いたようだ。自らの力を、よく知悉していると云うべきだね」
ルカンの懐に金袋を押し込み、白い子どもは去って行く。
もとより、『完璧』は望んでいない。
不安定で不確かなイタズラで、他者が右往左往をするところを見たいのだから。
老騎士が死んだ時点で、混乱のタネを撒く事は済んだ。
例のものにも、仕込みは済んでいる。
だから『ここから先』は、何があっても構わなかった。
これ以上の干渉をする気もない。
それでは興ざめだ。
「この国では、年単位で遊ばせて貰わないと! すぐに壊すようなマネは、慎まないとね」
人のいない建物裏に、老人の遺体だけが残された。




