第五百三十九話 追跡の先に
間が空いてしまい、申し訳ありません。
(良かった……。殿下に笑顔が戻って、本当に良かった……)
ルカンは心の底から、そう思った。
同時に、既にこの世にはいない同僚の姿を思い描く。
(ガレオスよぅ……。お前ェはまだ赤ん坊だった殿下の行く末を心配していたが、支えてくれる者は、いたようだぜ)
もしも彼が生きていたら、矢張り自分のようにアルト・クレーンプットに挑んだのだろうなと思われ、老騎士は笑う。
その様子に、ピストリークスが小首を傾げた。
「ルカン殿。どうなされた?」
「……いんや、何でもねェよ……。それより――スクアーロの野郎はどうした? 殿下の近習試験なんだから、あいつも大張り切りでやってくると思ったんだがな?」
「少し遅れるとは聞いておりましたが、確かにそれでも遅いですな」
「……仕方ねェ。ちょいと見に行ってやるか」
ルカンは第三王女のいる部屋に、くるりと背を向ける。
ピストリークスは、ルカンの発言は同僚を心配しているのではなく、今の自分の顔を王女殿下に見せたくないからなのだろうなと思い至ったが、口にはせずに彼に続いた。
ふたりの四騎士は外に出て、王城の建物のあるほうへと向かう。
最後の同僚の姿を遠くに見つけたのは、そんな時だった。
「スクアーロの野郎、あんなところに居やがったぜ。しかし妙だな、どこへ行く気だ?」
「あの先は、王城内の『裏道』のような場所で、何もないはずなのですがね?」
両者は顔を見合わせ頷くと、気配を消して後を追うことにした。
辿り着いたのは、寂れた建物裏である。
周囲に重要な施設もなく、ここへ来るには別の場所で見張りの目を突破しなくてはならないから、見廻りもほぼいない。そんな真空地帯。
そこに、スクアーロと――もうひとりがいる。
(何だありゃァ……。魔術師か……?)
やけにちいさな人影が、ローブをしっかりと着込んでいる。中の姿は、まるで見えない。
そのローブの人物と、スクアーロは何かを話しているようである。
遠くに見える同僚の様子は真剣そのもので、ただならぬ雰囲気を感じさせる。
そのうち、スクアーロは人影から何かを受け取って歩き出した。
どうやら『密会』は終わったようで、両者とも別々の方角へと去って行く。
「……ルカン殿、どうされますかな?」
「決まってんだろ。後を追う。ピストリークス。お前ェはスクアーロの野郎を追え。俺は、あの妙な魔術師を探る」
「承知」
ふたりの四剣士も、また別れた。
ルカンはより慎重に、ローブの人影の後を付けた。
(何だァ……? また誰かと密会するのか?)
ローブ姿が迷いなく歩いて行く先は、矢張りここと同じような寂れた建物裏の方角である。
一体、何をするつもりなのだろうか?
先程の現場から充分離れた建物裏で、ローブ姿は立ち止まった。
しかし、ルカンの予想は外れた。
他には誰もいなかったのである。
何かをする様子もない。
(これから誰かが来るってぇことか……?)
首を傾げながら物陰に潜むルカンのいるほうに、その小柄な人影は振り向いた。
「出ておいでよ。付けて来たのは、知っているんだ」
「――!」
ルカンは一瞬、身を竦ませる。
彼は追跡能力には自信があった。
だから己の他に、付いてきている者がいたのかと考えたのだ。
「あれぇ? 栄えある『楼の四剣士』ともあろう者が、ボクが恐ろしくて出てこられないのかな?」
のんびりとした――けれども、どこかあざ笑うかのような声。
子どものような、声。
(野郎、本当に俺に気付いてやがったのか……!)
ルカンは剣を引き抜き、握ったままに姿を現す。
『誘い込んで来た』以上、高い確率で戦闘になると踏んだ。
一切の油断はしない。
「お? やっと出て来たね? 慎重なのか、臆病なのか」
「手前ェは、何者だ……?」
「いやだなァ……。付けて来たのは、そっちじゃないか。こういう場合、不審者はそちらだと思うんだけどねぇ……?」
「……ますは、フードを取れ。ツラぁ見せな」
「えー? それはイヤだよ。ボクはキミには興味がないもの。何で、好きでもない相手の『おねだり』を聞いてあげなければならないのさ?」
そう云いながら、人影は短剣をひらひらとさせる。
(武器……? 魔術師ではないのか……?)
ルカンはより一層、警戒を強めた。
「答えろ。お前ェは何者で、ここで何をしていた!?」
人影は、笑ったようだった。
また、はぐらかすのかと思いきや、今度は問いに答えてくる。
「ボクは『趣味に勤しむ者』で、ここへはその為に来た。もう少し具体的に云うと、だからキミをこの場に誘い込んだわけだね」
「ほぉう……? 計算づくで、俺を誘い込んだだと?」
「うん。『楼の四剣士』を、皆殺しにしてみようかと思ってね」
明日の予定でも決めるかのような気楽さで、人影は云う。
ルカンは鋭く眼を細めた。
「――皆殺したぁ、大きく出たな。だが、それならばスクアーロの野郎には手を出していなかったのは、どういう訳だ?」
「彼には『仕事』を頼んだからね。アレが死ぬのは、まぁ、その過程かな?」
「奴に、何をさせるつもりだ? 何故、俺たちを殺そうとする? いや、そもそも――手前ェは一体、何者だ?」
ルカンは地を蹴った。
それはアルト・クレーンプットに斬りかかったときよりも、なお速い。
一刀のもとに脚を切り落とし、それから口を割らせるつもりだった。
しかし、楼の四剣士の高速の一撃は、いともたやすく宙返りで躱される。
二間ほど先の距離に、ローブの人影は着地した。その衝撃で、フードが外れる。
「お前は……」
ルカンが睨んだもの。
それは『白』く。
どこまでも『白』く――。
ペンキを塗りつけたかのようなのっぺりとした白い髪と、大理石を彫り出して作られたかのような皮膚を持った、『乳白色』の子どもの姿だった。
※※※
ピストリークスが後を付けたスクアーロも、矢張り『白い子ども』と同じように、人気のない場所へとやって来る。
何かを抱えたまま周囲を窺い、荷物を確かめているようだった。
(何だ、あれは……? 魔道具か……?)
魔導に昏いピストリークスも、同僚が持っているものが魔術に関するものだということに気がついた。
だが、それが何かは分からない。
彼の見たことのないものであった。
しかし、より単純に。
目の前のスクアーロがやろうとしていることは、『善事』の類では無いだろうと当たりを付ける。
(もしもアレが『良くないもの』であった場合、『発動してからでは遅い』ということにもなりかねん……)
ピストリークスは様子見を止め、直接問いただすことに方針を切り替える。
いつでも抜剣出来る状態のまま、同僚の背後に立った。
「――はッ!?」
スクアーロは、即座に振り返る。
ある程度まで近づかれれば、気配を消していても気づけるだけの力量が、この四剣士にもあったのだ。
彼は、後背に現れた同僚を見て驚きの声をあげた。
「ピ、ピストリークス……!」
「……こんな所で何をされているのですかな、スクアーロ殿」
「…………」
スクアーロは同僚の瞳に、悪事を逃すまいという光が宿っていることに気がついた。
四剣士最年少のピストリークスは、年長者や上司相手でも、引かないときは引かない性格だと知っている。
きっと厳しい追及をしてくるに違いないと考えた。
「ピ、ピストリークス」
「はい」
「今は何も聞かないでくれ。事情は、後で話す……」
「ほう? 後で。……ではこう訊きましょうか。――今貴方がやろうとしていることは、閣下や殿下に胸を張れることなのですかな?」
「――ッ」
スクアーロは、思わず目を逸らした。
後ろ暗いことに関わりがあるのだと、それでピストリークスは理解する。
しかし同時に、胸中で首を傾げた。
(スクアーロ殿が何をやろうとしているのかは知らないが、それが良くないことだというのは分かる。しかしならば、何故に先んじてエフモント様がこのことに気付かれなかったのか……?)
彼は、かの予言者の能力が凄まじいことを知っている。
それなのに、今日は四剣士のひとりのこの行動を警戒した様子がない。
クラウディア殿下の、大切な試験日だというのに。
(それはスクアーロ殿のやろうとしていることが、黙殺しても良い程に大したことがないからなのか、もしくは、後ろ暗くても『良き事』に属するからであるのか――)
或いは。
そう、或いは。
あの予言者の力をねじ曲げる程の、『何か』が、係わっていたりするのかと。
ピストリークスは、ギュッと拳を握りしめる。
毒の後遺症で、利き腕が痛んだ。
その瞬間に、スクアーロの表情が暗い影を帯び始めた。




