第五百三十七話 王女たちの邂逅(後編)
目を伏せ、幸せそうに微笑むシーラに、ステファニーは大きな瞳をパチクリとさせた。
(お父様が、よくビーラーフラワーを取ることを許したわね?)
国王の趣味は、『植物の世話』であった。
歴代王もこの庭園を大事にしたには違いないが、それはあくまで、希少性とそれに付随する名声の為である。
けれども当代国王は、趣味としてこの庭園を愛した。
おかげで過去の時代より、現代のほうが設備も人員も行き届いている。
結果としてよりよい環境を作り出すことには成功したのだが、花を大事にするが故に、歴代王と比べて、あまり摘み取りの許可を出さなくなっていたのである。
庭園内部には一応、『贈答用』のエリアもあるにはあるのだが、それ以外は全く許さない。
特にビーラーフラワーなどは、不許可の最たるもののひとつであったはずだった。
第二王女は、皮肉げに口元を歪ませる。
「ふーん……? 流石は、お父様のお気に入りのシーラね? あの草花大好きな国王陛下から、摘み取りの許可を取り付けるなんてねぇ」
「いえ、それは――」
云い掛ける妹姫を、姉姫は手で制す。
「いいのよ、別に嫌味で云った訳じゃぁないんだから。貴方はただ単に、事実を述べただけ。私も同じように、現実を云ったに過ぎないわ。――実際問題、シーラ以外が『お願い』しても、お父様は許可されないでしょう?」
「…………」
シーラは言葉につまる。
第二王女は、それを肯定と受け取った。
肩を竦めて、視界の外にある『贈答用』エリアのほうを見つめた。
「あちらのエリアと貴方のエリアでは、植物の希少性がまるで違う。天下の天才王女様にそんな花を贈られる方は、きっと大喜びするでしょうね? 普通の花なんて、霞んでしまうわ」
その言葉に反応したのは、シェダーフラワーを抱きしめて目を閉じていたクラウディアだった。
彼女は思う。
自分の摘んだ花なんて『あの人』に贈っても、第四王女のそれを前にした途端にガッカリされてしまう。
自分に優しい笑みを向けてくれている少年の顔が、失望に変わってしまうと。
(やだ……っ! もう、いやだよぅ……っ! どうしてシーラ様は、いつも私の欲しいものを取っていくの……っ!?)
自分にはもう、何ひとつ残されていないと云うのに。
今日もまた、『自分との差』を見せつけられることになる。
(やっぱり、お父様もシーラ様のほうが大事なんだ……っ!)
私なんて、私なんて、私なんて……!
クラウディアは、ポロポロと涙を流した。
そうとは知らぬ第二王女は云う。
「ケンプトンの王子様は、私から花を贈られるっていう『結果』しか知らないから、まあ気楽だわ。すぐ横からビーラーフラワーを持った手が伸びてきたら、失望されちゃうもんね? シーラ、貴方が私の競争相手じゃなくて良かったわよ」
ぽんぽんと妹の肩に手を置いて、ステファニーは歩き去った。
姉の背中を見送った第四王女は、自分たちのすぐ傍の、背の高い植物のほうをジッと見つめる。
ステファニーとの会話の途中から、シーラは、『そこに誰が隠れているか』に気付いた。
その上で、気付かぬフリをしていたのだ。
けれども去り際の『姉』の言葉を気にしてしまい、ついそちらに目を向けてしまった。
そこで気付く。
『もうひとりの姉』の腕の中に、シェダーフラワーがあることを。
「あ――」
思わず声を出してしまった。
俯いていた女の子は、それで顔を上げた。
同い年の姉妹の目と目が合い、第三王女は自分が隠れていることを知られたと理解した。
「う、うぅ……っ!」
クラウディアは、思わず駆け出す。
――彼女が傷付いていることを知っているから。
だからシーラは、呼び止めることが出来なかった。
ちいさくなっていく『姉』の背中を、見送る以外になかったのだ。
「……わたくしは、またクラウディア様を傷付けてしまったのですね……」
末の姫は、『自分という存在そのもの』が、あの少女を曇らせてしまうと知っている。だから、すぐには追いかけることが出来なかった。
ふたりの姉姫は、ビーラーフラワーの事実を知らない。
シーラが出してきた様々な『結果』に報いようとした父王に、『ならば、花を摘ませて下さい』と以前から申し出ていたことを。
それは父が甘いからではなく、自らが根気よく頼み込み、他の報酬を蹴ってまで得た貴重な成果であったのだと。
彼女もただ真っ直ぐに、『ある人物』に感謝を贈りたかっただけなのだと。
広い庭園に、第四王女はポツンと立ち尽くしていた。
※※※
希望に満ちて歩いたはずの道を、第三王女はトボトボと歩いた。
その手には、美しい花が抱かれている。
(こんな花なんて……っ!)
その場に放り出そうとして、思いとどまる。
このシェダーフラワーは、『自分の都合』で摘んだもの。
この花自体には罪がないのだと、彼女は思った。
「う、うぅぅ……っ」
これから自分は、どんな顔をして『あの人』に会えば良いのだろう?
もう、この花を差し出すことは出来ない。
後から必ず失望されてしまうから。
「…………」
クラウディアは、『あの人』がいるであろう建物を見上げた。
泣きはらしたこの顔では、シェダーフラワーのことを除いたとしても、合わせる顔がない。
(今日はもう、お会いすることが出来ないかもしれない……)
どこかに隠れていようと、背を向けた。
そこに――。
会いたくて。
でも会うわけには行かなくて。
そう思った少年がいた。
彼はゆっくりと近づいてくる。
走り出そうとしたクラウディアは、何故だかそうすることが出来なかった。
(こんな顔、見られたくない――!)
情けない自分が、より一層、情けなく見えてしまうから。
けれども、顔を背けようとしたクラウディアが見たのは、心の温かくなるような微笑を浮かべる『その人』の姿。
母のティネケや、老魔術師エフモントが向けてくれるような、家族に向ける、親愛の笑み。
動きの止まった少女に、男の子は云う。
「ありがとう」
「――え?」
彼が紡いだのは、感謝の言葉。
それは自分が贈るべきものではあっても、こちらが貰えるようなものでは無いはずだった。
彼はそっと指さした。
庭園から持ち出された、その花を。
「ミチェーモンさんに聞いたんだよ。わざわざ俺の為に、花を取りに行ってくれたって。王様に頼んでくれたって。――だから、ありがとう」
「…………っ」
クラウディアは、泣いていた。
何で涙がこぼれるのか、わからなかった。
彼はそんな彼女の姿を、ジッと見守っている。
憐憫も侮蔑もない、本物の笑顔だった。
「こ、こんな……こんな姿……っ。み、みっともなくて、み、見せられ……ませ……」
「人は悲しければ泣くし、嬉しくても泣くよね。だから別に、不思議なことじゃないと思うよ」
その言葉も、きっと本物。
「で、でも、泣き顔、なん、て……」
「うちの妹も、しょっちゅう泣くよ? そして、よく笑う。それを、みっともないなんて思わない。もちろん、クララちゃんの場合もね」
彼は、泣いている理由を問わなかった。慰めの言葉を口にすることも。
ただ代わりに、傍にいてくれるだけで。
そのことが、クラウディアには嬉しかった。
「……こ、この花を、受け取っていただけますか……?」
「もちろん。ここで『やっぱりやめます』と云われては、立つ瀬がないよ」
「で、ですが私は……『もっと良い花』が用意できませんでした……」
その言葉を、彼は笑い飛ばす。
「ここには、『ありがとう』がある。……俺は嬉しい」
――ああ、本物だ。
彼女はそう思えた。
もしもビーラーフラワーが後から出て来ても、この人は絶対に失望なんてしないのだと。
「大事に持ってきてくれたんだね。この花は、少しも傷んでない」
そのことにも、気付いてくれた。
クラウディアは、再び泣き出してしまった。
彼は――アルト・クレーンプットは、そんな彼女と寄り添うようにして、老魔術師の待つ建物へと去って行く。
その様子を、見ていた者がいる。
「――クラウディア様、良かった……」
それは、彼女の同い年の妹。
彼女は、あれ程頼み込んだ花を摘むことなく、『姉』の姿を見守っていたのだった。
「良かったんです……。これで良かったんです……」
第四王女は、静かな笑顔で呟く。
けれども、『あの人』の笑みが。
自分以外に向けられている純粋な優しさを思うと、胸が苦しい。
――シーラは心の底から、クラウディアを羨ましいと思ったのだ。




