第五百三十四話 第三王女殿下の近習試験場
「えぇっ!? 試験……やらないんですか……?」
「やらんのではない。その必要が無いと云うておるのじゃ」
神聖歴1207年の二月。
クララちゃんことクラウディア殿下の近習試験を受けにやって来た俺は、久しぶりにあったミチェーモンさんに『試験がない』と云われて、困惑していた。
いや。いきなり別室に通されたから、『何事だ?』とは思っていたんだ。
そこで、へべれけ爺さんと再会したと思ったら、冒頭の展開になったわけである。
「ええと、ミチェーモンさん」
「なんじゃらほい?」
「他の受験者って、筆記とか実技とか受けているのでは?」
「『他』は関係なかろう。必要が無いと云われておるのは、お主じゃろうが」
「え……。でも、最低限の筆記くらいは――」
「全くの無学文盲ならば兎も角、魔術試験の筆記で満点取るような奴に、何を試せと云うのじゃ?」
「実技は――」
「段位持ちの魔術師が強いかどうかを、今更問うてどうするんじゃよ?」
「…………」
そう云い切られると、返す言葉がない。
確かに合理的な判断ではあるんだろうが、それで良いのかな?
「そもそも、じゃ。クラウディアに必要なのは、共に笑い、共に泣いてくれる血の通った存在じゃろう。武によって立つのでなく、智によって支えるのでもない。心に寄り添ってくれる者こそが重要なのじゃよ。単なる腕自慢だの小才子だのは、ハナからお呼びじゃないのでな」
「それで、心……ですか」
「つまりは、まぁ、『良き臣下』よりも、『良き友』を見つけてやりたいと思ってな」
御説はいちいち尤もなんだけど、この試験って『部下を見つける』ためのものじゃないの?
俺がそう思っていると、『心』でも読んだかのように、賭博老人はニヤリと笑った。
「試験を開催したおかげで、お主が釣れた。充分な釣果じゃろう、これは」
まだ針を口に含んだつもりはないんだけどねぇ……。
いけすの中には、入っているとしても。
「クラウディアの交友関係は、どうやら『狭く深く』になりそうな気がしての。……王族として、それはどうなんじゃと思わなくはないが、性急に改善させる必要も、またなかろうて。――と云うわけで、まずはお主ら家族じゃ」
「え? 俺だけじゃなくて、うちの家族もですか」
「おうさ。お主の家族。ボードゲームで遊んだときに、すぐに打ち解けてくれておったからの。クラウディアの傍にいて貰うには、打って付けじゃろう? クレーンプット家の面々は、あやつを色眼鏡無しで、ありのままに見てくれるからな。それが一番、重要なんじゃ」
色眼鏡無しねぇ……。
まあ、うちの母さんはそうだろうなァ……。
フィーは――ただ単に、頓着しないだけかな?
「ありのままを見てくれるから、『誰か』と自分を比較することもない。純粋に現在を楽しめる。だからこそ、あれはお主らの前では笑えるのじゃろうよ。――あの娘だって幸せでいて良い。そうは思わんか?」
「思いますよ」
「ほう、迷いなく云いきるのぅ! そうかそうか。お主も、クラウディアを気に入ってくれておったか」
「別に、クララちゃんだけじゃないですよ」
上機嫌でヒゲをしごくご隠居様に、俺はそう云った。
老人は、怪訝そうに首を傾げる。
「それは一体、どういうことじゃ?」
「クララちゃんだけでなく、子ども全員がそうだと思うだけです。――子どもっていうのは、無条件に幸せで良い。いつも笑っていてくれて良いんですよ」
「ほぉう……。成程のう……」
呟くミチェーモンさんの表情は笑顔であっても、どこか暗い。
俺の視線に気付いた織物問屋のご隠居様は、苦笑する。
「これはいかんな。顔に出ておったか。――何。わしが子どもの頃は、周囲にそんなことを云う大人はいなかったなと思っての。……お主はまあ、大人ではないけどな」
ミチェーモンさんがぽつりぽつりと断片的に語るところによれば、彼の幼少期は、子どもを食い物にしようとする奴と、奴隷のようにこき使う者。そして都合良く利用しようとする輩の、どれかしかいなかったのだと。
「だからまあ、わしも少し捻くれておってな。今にして思うと、シャレにならなんこともいっぱいやったわ。――そう考えると、落ち込むだけで周囲に当たり散らさないクラウディアは立派じゃなぁ……」
結局は、お孫さん自慢になるのね。
「ま。この爺の話は、もういいじゃろう。これ以上お前さんを独占していると、クラウディアがむくれるかもしれんでな」
「どういうことです?」
「単純な話じゃよ。アレはお前さんが来るのを楽しみにしておったのよ。どんな話をしようか。失礼の無いようにしないと。またボードゲームで遊んでくれるかなと、ソワソワしておったわ。というわけなんで、今日はめいっぱい、あやつと遊んでやってくれい」
試験に呼ばれて、遊ぶことを要請されるとは。
読めなかった、このアルトの目をもってしても!
「『遊び』という言葉に抵抗があるならば、こう考えればええ。『これは面接』だとな。実際、クラウディアと波長が合わん奴は、どれだけ優秀であっても採る意味はないからな。じゃから、アレを存分に楽しませてやってくれ。クラウディアのやつも、待ち焦がれていることじゃろう」
孫バカ爺さんだよねぇ、本当に。
ともあれ、まずはクララちゃんに会ってこなくては。
そこに、コンコンという音が響いた。
「うん?」
移動しようと立ち上がろうとした矢先に、扉がノックされたのだ。
「失礼致す」
ミチェーモンさんの返事も待たずに、扉が開く。
俺は呼び出された平民だし試験を受ける側だから別に良いけど、これ、結構非常識な行動なんじゃないの?
「なんじゃ、お主ら」
入って来たのは、大柄な老人がふたり。
歴戦の戦士とでも云うべき風貌をしている。
セロに住む俺の祖父――シャーク爺さんに、ちょっと纏う雰囲気が似ている気がする。
尤もマイマザーのパパンは、便宜上『祖父』と呼んでいるだけで、実際はまだ四十代だし、しかも髪の毛がふさふさなのであまり年が行った感じがせず、実情は寧ろ『おっさん』と云うべき容姿なのだが、こちらのふたりは完全に『老人』だな。
髪も白いし、片方は少し薄いし。
その大柄な老人たちは、俺をギヌロと睨み付けている。
いや、敵意は感じないから、本当は睨んでないのかもしれない。ちょっと目つきが鋭いだけで。
でも、気弱な子だったら、この眼光を向けられたら泣くかもしれないね。
「これが、殿下の近習候補の少年ですか」
声までが野太い。
だが、粗野な感じはしない。
それなりの身分か、立場がある人たちなのかもしれない。
ミチェーモンさんは、眉を上げて問いただす。
「何しに来たと聞いておる。今日が大事な日であることは、お主らも知っておろうが」
「非礼は詫びまする。しかし、我らに代わって殿下をお守りするかもしれない者とあっては、ひと目見ておかぬ訳にはいきませぬ!」
「左様! 試験の結果が出てからでは遅い。殿下を安心して任せられるかどうか、是非にも見極めねばなりません!」
暑苦しい爺さんたちだな。
だが、目がマジだ。
言葉通りに、本当にクララちゃんが心配なのだろう。
妙に熱が籠もっている感じだ。
ミチェーモンさんは表情を変えぬまま、いつもより少しだけ低い声を出した。
「……それは、わしの目が信じられんと云うことか? そもそも、客人に失礼を働き、近習試験に横やりを入れるなど、クラウディアやフィリップ坊やに対しても無礼であろうが?」
「――っ!」
ゴツい爺さんたちが、それだけで目に見えて立ちすくんだ。
織物問屋のご隠居様って、怒らせると怖いタイプなんだろうか?
「のう、お主ら。わしが判断を見誤ったことがあったか?」
「……『今日はバクチに勝てそうだ』と云って、負けて帰ってくることばかりですが」
「…………」
あ、爺さん、無言で目を逸らしやがった!
ちょっと元気が戻った老人ふたりは、改めてこちらを見る。
「非礼は承知で申し上げます。どうか我らに、この少年を見極めさせていただきたい!」
「是非に。是非に」
彼らは必死である。
ここまで食い下がるだけの理由が、あるということなのだろうか。
そもそもこの人たち、一体、何者なんだろうね?




