第五百三十三話 楼の四剣士
神聖歴1207年の二月――。
第三王女、クラウディア・ホーリーメテル・エル・フレースヴェルクの近習試験の近づいたある日。
ある侯爵の前に、三人の老騎士が頭を下げていた。
「卿らは、本気でそれを主張するのか……?」
困った風に呟いたのは、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の現当主、フィリップである。
王妃ティネケの実の父であり、第三王女クラウディアの祖父でもある人物だった。
その侯爵に対して頭を下げているのは、いずれも鍛え上げられた肉体を持つ老人たち。
彼らは侯爵家麾下の中でも勇士として名高く、『楼の四剣士』と呼ばれる優れた騎士でもあった。
四人のうちの一名は死亡しており、『四剣士』と云う名は既に欠けてはいるが、それでもヴェンテルスホーヴェン侯爵家を代表する武人たちである。
その三者が、揃って今年限りの引退を願い出てきたのであった。
「…………」
主君であり侯爵でもあるフィリップの言葉に、三者は黙って頭を垂れている。
そこには強い意志が滲んでいた。
説得にも、耳を貸す様子もない。
侯爵は困り果てて、すぐ傍を見る。
そこにはフィリップの父――つまりは先代侯爵だ――の友人であった老魔術師と、侯爵家きっての剣の達人にして王妃ティネケの護衛役である、ダンの姿がある。
この中でただひとりだけ『貴族位』を持たぬ平民の老爺は、肩を竦めて侯爵を見た。
「やめたいと云うのでは、仕方ないんじゃないのかのぅ? わしだって、望まぬ予言は断っておるぞ? お偉いさんに強制されることには、良い思い出が無いからのぅ……」
「エフモント様……! それは、あまりな……!」
当てが外れた侯爵は、悲しそうな顔で魔術師を見つめた。
幼い頃から世話になっているこの老いた平民には、彼とて頭が上がらないのである。
フィリップは、エフモントに騎士たちを説得して欲しかったのだ。
一歩前へ出たのは、娘の護衛役であるダン。
「閣下。ルカン殿とスクアーロ殿は兎も角、ピストリークス殿の引退は仕方なきことなのでは?」
四剣士最年少のピストリークスは、現在五十五歳。
最も若いだけあって、去年も率先して魔物討伐に出向いていたのだが、昨年の戦いでモンスターの毒を受け、その後遺症で身体の自由が利かなくなってきている。
ピストリークスは、無念そうに頭を下げた。
「未だに剣を振るう体力はありますが、我らは不覚を取ることが許されぬ身……! 断腸の思いで、引退を決断致しました……。叶うならば、まだまだ侯と姫君の為に、この身を捧げたかったのですが……」
楼の四剣士の名は、ヴェンテルスホーヴェン家のみならず、国中の者が知る。
病で衰えたという明確な弱体理由があっても、万一にも戦死をするようでは、家中に大きな動揺を与えてしまう。
侯爵は渋い顔で云う。
「ピストリークスに関しては、仕方なきことではあろう。――しかし、ルカンにスクアーロ。そなたらまでもが引退することは無かろうに」
その言葉に、ふたりの老騎士は顔を見合わせて頷く。
「元気者のピストリークスと違って、我らは衰えました。既に前線に出るだけの力はないのです」
「ここらへんで、休ませて頂きたく……」
両者の表情もセリフも、ほぼ同じものであった。
しかしエフモントは、片方の言葉に、僅かに眉を顰めた。
その様子に気付いたのは、ダンのみである。
フィリップは腕を組んで唸った。
「うぅむ……。しかしなぁ。そなたらは、我が侯爵家の『武の代表』であろうが」
「恐れながら。我ら四名が全盛期の時でさえ、そちらに控えるダン殿には及びませぬ。それは侯爵様もご存じのはず」
「つまり我らは、既に武の代表でもないのですよ……」
「――だが、そなたたちは剣士としてだけでなく、指揮官としても一級品であろう? 何も無理に退かなくとも、軍務に携わり続けることも出来ように……」
「どうか、ご容赦を。我々もそろそろ隠居生活を楽しみたいのですよ」
「我ら老兵が、いつまでも後進の道を阻むわけにも行きますまい」
矢張り、決意は固いようであった。
侯爵は愚痴をこぼす。
「我が孫娘の近習を取ろうかというその時に、そなたらが抜けてしまうとは……」
「閣下、逆でございます。殿下に近習がつくからこそ、我らも大手を振って退役できるのですよ」
老齢と云う真っ当な理由を前に訴えを却下することも出来ず、侯爵は「よく分かった。少し考えてみよう」と云う、曖昧な返事をするだけであった。
※※※
「エフモント様!」
「おう、ダン。ご苦労じゃったの」
「それはこちらの言葉でございます。翁は当家の家人ではありませんのに、会合に出ていただいて――」
一応の『話し合い』が終わった後、エフモント・ガリバルディは、王妃の近衛騎士に呼び止められていた。
ダンとエフモントは面識があるので、どちらも先程よりも、随分と気安い空気を纏っている。
「まあ、わしはクラウディアの近習試験が終わったら、暫く王都を離れるつもりでおるからな。それまでの間、世話になっておる場所に恩返しをしておくのも悪くは無かろうて」
「そう云っていただけると……」
折り目正しく頭を下げる侯爵家の騎士に、エフモントは真顔になる。
彼の知る老爺はいつも飄々としているので、こういった表情は珍しい。
だからダンは、首を傾げた。
「……エフモント様、何かございましたか?」
「うん? 何かとは、何じゃ?」
「差し出がましい口をききますが、翁には何か、懸念があるのではありますまいか。先程の会合でも、眉を顰めておられましたが」
その言葉に、背の高い老人は苦笑して肩を竦める。
「気付いておったか。お主は怖いのう。――いや何。こいつは予言とは違う話ではあるがの。貴族――というものは、中々に難しいと思ってな」
「と、云いますと?」
「つい先程、フィリップ坊やに頭を下げていた三人。あれは全員、貴族じゃろう?」
「そう――ではありますが、亡くなったガレオス殿も含めて、四名とも爵位のない貴族です。あまり大きな騒動に巻き込まれる立場ではないと思いますが……?」
――貴族は難しい。
老いた予言者の云ったセリフの意味を、ダンは『トラブルに巻き込まれることを案じている』と解釈した。
同時に、その身分故の安全性があることにも、思い至っている。
そもそも、彼ら四剣士は、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の傘下なのである。
その彼らに手を出すと云うことは、侯爵家そのものを敵に回すことにもなりかねない。
そんなことが出来るのは、同格の侯爵家か、格上の三公爵家及び、唯一の大公家くらいのものだろう。
(あとは『メルローズ財団』を有するケーレマンス伯爵家だが……)
『楼の四剣士』は、武威と名声はあるが、別段、商売上手と云う訳でもない。
商業を重視する件の伯爵家とも、あまり縁はないであろう。
「エフモント様は、彼らが何事かに巻き込まれるとお考えでありますか?」
「さての。『逆』……ということもあろうよ」
「逆、とは……?」
「そうさな。お主も、『ボルストラップ子爵家』のことは知っておろう」
「もちろん、存じております。血において尊貴、しかれども権勢においては衰微。口さがない連中が、酒席に並べる話題のひとつではありましたからな」
片眉を上げ、不機嫌そうに呟いたのは、別にダンがその子爵家と親しいからではない。
『悪口を云う連中』が話題にあげるのは、彼の敬愛して止まないティネケ王妃と、その娘である第三王女も、だからなのである。
故に、この近衛騎士は陰口の類を嫌う。
「わしも酒場にはよく行くので、その辺の噂話はよく耳にしたがの。――かの子爵家は、ある名家に取り入ったと」
「……ベイレフェルト侯爵家でございますな。実際そこに、子爵家の次男が婿入りしておりましたが……」
「左様左様。だが実際のところ、わしはボルストラップ子爵家がベイレフェルト侯爵家に取り入ったのかどうかの実相を知らん。しかし貴族の身の振り方として、『寄らば大樹』という考え方が分からぬでもない。――ま、わしはそういう生き方は、あまり好きではないがの」
「しかし、貴族階級ともなると、『好き嫌い』で生き方を決められないとは思いますが」
「そう。まさに肝心なのは、そのことじゃ。貴族というヤツは、色々と融通が利かぬ。望むと望まざると、『立場』に翻弄されてしまう。自らの意志を、ねじ曲げてな」
「つまり――かの御仁たちが、何かをしでかすと?」
「さて、の。しかし、今は大事な時期ではあると云っておこうか。――わしの腕は、そう長くはない。届くのは、クラウディアくらいまでじゃな」
「……で、あるのであれば、ティネケ王妃とヴェンテルスホーヴェン侯爵家は、この私がお守り致します」
「うむ。それでええ。守れる範囲の者を守る。出来ることと云えば、結局はそれだけじゃろうからな」
そう呟いた老魔術師に、侯爵家きっての剣の達人は真剣な眼差しを向けた。
「――あの平民の子どもを遇するつもりなのも、その一環でありますか?」
「……無い、とは云わんよ。じゃがの、核にあるのは、もっと当たり前の理由じゃよ」
「それは?」
「決まっておろう。クラウディアには、良き友が必要じゃ。ただ、それだけじゃ」
老爺の瞳は、深く澄んでいた。
ダンはこの老人の行動を信じることにした。
「エフモント様。どうか、殿下のことをお頼み致します」
「おう。任せよ。――さて、景気付けに、ちょいと賭場にでも顔を出してくるかのぅ!」
ウキウキと話す老人に、ダンは「やっぱダメかも」と引きつった笑いを浮かべた。




