第五百二十九話・弐
ユーラカーシャ、と云うのが、その赤子に与えられた名前である。
姉がフィルカーシャ。
お母さんが、ヤムカーシャ。
ハルモニア家の次女であり、ハイエルフ族の新たなお姫様となる、女の子だ。
子ども大好きな母さんとフェネルさんが、他所のうちの子なのに、我が家のことのように喜んでいる。
「めでたい話です! この娘には、愛称が必要ですね!?」
「ふふふー。そうよねぇ。ユーラカーシャちゃんって名前だから、ユーラちゃんか、ユラちゃんか……。もしくは、ユーちゃん?」
「だー」
「あら、最後のが気に入ったのかしら、なら、ユーちゃんね?」
「きゃーっ」
おいおい、母さん、勝手に決めてしまって良いのかよ。
しかし、ユーラカーシャ嬢の肉親ふたりはニコニコとしている。
じゃあ、ユーちゃんで良いのかな?
「うふふ……。良かったわね、ユー?」
お母さんが微笑んでいる。
どうやらマイマザーによって勝手気ままに決められてしまった愛称が、本採用されたみたいだ。
ユーママことヤムカーシャさんは、クレーンプット家三兄妹を見ながら云う。
「実は、貴方たちにお願いがあるのです」
「んゅ? ふぃーたちに?」
マイエンジェルが、俺とマリモちゃんを、ガシーッと抱きしめる。
すると、マリモちゃんも一緒に、ガシーッとノリノリだ。
うちのふたりの妹様は、スキンシップが大好きだからな……。
ユーママがそんな様子を見て、クスクスと笑っている。
フィルカーシャ嬢とフェネルさんは、手をわきわきさせているから、うちの子たちをだっこしたくなったのだろうな。
「ええ、可愛らしい、貴方たちにです。――産まれたばかりの私の娘、ユーのお友だちになって欲しいのです」
「みゅみゅっ、おともだち?」
「あきゃっ!」
「だー?」
ユーママは、厳かに頷く。
「ええ、お友だちです。この娘は里長の娘として産まれましたから、他所のハイエルフたちでは、遠慮が出てしまうかもしれません。一線を引かれてしまうかもしれません。ですが、より良い人生を生きて行く為には、『良き友』が絶対に必要です。私はこの娘の親として、『対等』であってくれる友だちを、是非にも作ってあげたいのです」
その気持ちは、俺もよくわかる。
フィーもマリモちゃんも基本的には離れの中にいるから、友だちが少ないからなァ……。
幸い既に、マイムちゃんやエニネーヴェ、ぽわ子ちゃんにセロ勢と、『対等』に仲良くしてくれる子たちはいるけれども、友だちは、もっといてくれても良いはずだ。
考えていると、うちの母さんが歩いて来て、子ども三人を一抱えにした。
「ふふふー。よかったわね、フィーちゃん、ノワールちゃん。ユーちゃんが、お友だちになってくれるって」
うん。
ユーママが『お願い』して来たことに対して、『お友だちになってくれる』と云う言葉を持ち出すことで、より対等に話を持っていく母さんの心遣いよ。
「だ……っ! だ……っ!」
まだ何も分かっていないであろう赤ん坊は、こっちに向けて、懸命にちっちゃな掌を伸ばしているが。
「だっ、だっ」
俺が差しだした指を、嬉しそうに握っている。
何年か後は、うちの妹様たちと、手を繋いで笑いあえるようになって貰いたいものだねぇ。
「フィー。ノワール。ユーちゃんの手を、握ってあげてくれるかな?」
「わかったの! ふへへ……、ユーちゃんの手、柔らかい……っ」
「あきゅっ」
「だー」
クレーンプット家の子どもたちが、ユーちゃんの手を握った。
フィル嬢も、ユーママも、それからうちの母さんも、とっても嬉しそうだった。
ここに、ユーラカーシャ嬢の初めての友だちが、そしてクレーンプット家のちびっ子たちに、新たな友だちが誕生したのである。
※※※
二月であるのに、緑葉を付けた木々が立ち並ぶ里の庭に、俺たちはやって来た。
当初の目的も果たし、赤ちゃん様もおねむになったので、外で遊ぶことになったのだ。
子ブタさんスーツを着たマイエンジェルが、嬉しそうに緑の床を駆け回る。
フェネルさんが、ゆるんだ顔でそれを追いかける。
マリモちゃんは母さんと木々を見上げながら、楽しそうにおしゃべりしている。
俺の傍にいるのは、エイベル――ではなく、リュティエルのほう。
うちの先生は赤ちゃん用の薬の譲渡と説明に行っているので、ここにはいない。
『天秤』の高祖の他は、静かに見守ってくれているティーネがいるばかり。
「……貴方たちに里に来て貰ったのは、結果的に大成功でしたね。誘ったのはフィルカーシャでしたが、良い運命が開けたようです」
「……お役に立てたのならば、何よりですよ。新たなメダルもいただけましたしね」
「――そうでしょうっ。あれは良いものでしょうっ!?」
ああ、うん。
高祖様、あのメダルに自信があったのね……。
ユーママとフィル嬢は産まれたばかりの赤ちゃんと一緒の写真を撮れてご満悦。
これからたくさん思い出を残すのだと張り切っていた。
「写真機も、貴方が作ったものだったのですよね、そう云えば」
「ええ、まあ。俺も家族の記録を残したかったので」
「そう――ですね。そう考えられるのは、健全と云うべきでしょう。私の家族は戦いに追われて、『皆で一緒に』という考えには、ついに至れませんでしたから」
それでも、仲は良かったのですよと、『天秤』の高祖様は笑った。
誇らしげなのに、どこか寂しそうな微笑だった。
「この里は美しいでしょう?」
「ええ。そう思います。景色だけでなく、『在り方』が綺麗だと思います。限定的であっても、確かな『平穏』がここにはありますね」
それはキシュクード島で感じたものに、きっと近い。仮初めであったとしても、ひとつの楽園とは云えるのだろう。
「……この風景は、かつて我ら八人が見た理想です。完璧な実現ではありませんが、こういう世界を作りたいと思った。こういう世界を、護りたいと思って、私たちは戦ったのですよ」
そしてきっと、それは今も続いているのだろう。
八人の兄弟は、もう、たったふたりしか残っていないとしても。
「なら、この世界そのものが、写真のかわりなんですね。それに、貴方たちが生きた証だ」
「…………」
『天秤』の高祖は、何も答えなかった。
ただちいさく、フードを被り直しただけで。
(まあでも、彼女が誇りとしているものが、少しは見えたかな……)
世界と、そして同胞と。
けれども、そこには矢張り、『人間』は基本的にいないのだろうな。
どちらかと云えば、それらを破壊する側だろうから。
フードを被ったエルフは、こちらを向いた。
表情は――よく見えない。
「貴方の妹たちには、新たなる命の良き友でいてくれることを望みます」
「……別枠扱いっぽい俺には何を?」
「出来る範囲で構いません。ユーラカーシャを、気にかけてあげて下さい」
ある程度は、年長者としての役割を期待されているわけね。
でも、それで良いのだろうな。
無邪気に一緒に笑うのは、フィーやノワールがやってくれるだろうから。
「この里は明るいし、愛情いっぱいに育つだろうから、ユーちゃんは良い子になるでしょうよ」
「そうでなければ困ります。私の仕事は、道を外れた同胞を処断することでもありますので」
淡々と告げるリュティエルの言葉には、明確な重みがあった。
きっとこれまでも、将来を期待した幼子が育った後に、手を下したことがあったのだろうな。
彼女は云う。
「恵まれた環境で周囲の愛情に満ち足りて育っても、『悪』としか云えないような者になる場合もあります。逆に劣悪な状況に置かれても、捻くれず真っ直ぐに育った子もいます。環境は大事ですが、絶対ではありません。願わくば、ユーラカーシャが心身共に健やかに育ちますように」
きっとそれは、心からの願い。
護ることも断ずることも行うが故の、リュティエルの本音なのだろうと思った。
「にーたぁ! にぃたぁぁっ! ふぃー、あっちでブランコ乗りたい! ふぃーと一緒に、遊んで欲しい! あと、だっこ! ふぃー、そろそろにーたに、だっこして貰いたい!」
子ブタさんが駆けてくる。
両手を突き出し、足元も見ず、ただひたすらに、俺だけを目指して。
(まあ、大切な者を守る為に全力を注ぐってのは、俺もリュティエルと変わらないよなァ……)
それは世界か、この腕の中に抱く子かの違いなだけで。
「にーた、ふへへ……っ! ふぃー、にーた大好きっ!」
どこへ来ても、それだけは変わらない。
この里が平穏であるように、我が家も平和であれたらと、強く思った。




