第五百二十四話 ハイエルフの里へ
神聖歴1207年の二月――。
今日は、ハイエルフの里である、シアックという場所へ出かける日だ。
昨年の九月に出会ったハイエルフのお姫様、フィルカーシャ嬢の家に、今まさに新たな生命が誕生するのだと云う。
予定日は既に過ぎていて、本来ならば生まれたての赤ちゃんを見せて貰えるはずだったのだが、ハルモニア家の新しい家族は、未だお母さんのお腹の中にいるみたい。
本当は、その子が産まれてからお邪魔する予定だったのだが、二月の後半はクララちゃんのほうの近習採用試験があるからね。前倒しで里を訪ねることになった。
「我々が行く頃に、ちょうど産まれるかもしれませんねっ!」
目を輝かせているのは、同行者のフェネルさん。
俺の馭者術の師匠であり、優れた従魔士でもある彼女が、我が家の護衛の名目でついてくる。
護衛はもうひとりいて、そちらは毎度おなじみのヤンティーネだ。
つまり、セロに行くときと同じメンツってことだね。
「この時期にフェネルに抜けられるのは本当にキツいと、商会長も云っていたけれど……」
槍術の先生は、そんなふうにため息を吐いている。
しかし、従魔士様はどこ吹く風だ。
「大丈夫ですよ。どうせ当商会はいつだって忙しいんです。なら、抜けるべき時に抜けておくべきでしょう!」
「……フェネル、それはミィス先輩が使うような論法ですよ……」
そうは云ってもそれ以上は追及しないところを見ると、『いつでも忙しい』というのは事実なのだろうな。
或いは、赤ちゃん見たさにはしゃいでいる同僚を止めるつもりが無いだけか。
第三者ぶってふたりを見ていると、ポニーテールのエルフは、こちらに視線を向けてきた。
「ここまで忙しくなったのは、どこかの発明家様のおかげなのです。商会は潤い、お客様にも満足を頂いております。ありがたいかぎりです」
目が笑ってないんですが、それは。
しかし確かに、俺のせいで用地の買収だとか漁業権を押さえるだとか、流通の整備をしなければならないとか、『単なる発明品の販売』を越える仕事がたくさん発生しているのも事実だ。
多忙の原因として、しおらしくしておくべきだったか。
フェネルさんも、それに乗っかってくる。
「どの商品も、問い合わせが殺到しておりますよ。貴族階級から特に多いのは、『写真機』についてですね。現在、写真館の準備を鋭意すすめておりますが、写真機そのものを売ってくれないのかと催促が多いのです。これらを躱すだけでも、大変な時間が掛かっております。それから、大浴場――オオウミガラスの公開はまだなのかと云う問い合わせも多いですね。何せ、第三、第四、両王女が既に視察し、方々で絶賛したので、注目が高まっています」
まあ確かに、どれもこれも商会だけで抱えるのは大変だろうからな。だから仕事が増えていくのだろう。
かつて過労死した俺が、お世話になってる人たちを重労働に追い込んでいるというのは、何気に笑えないことだ。
しかし、フェネルさんはしっかりとした瞳で云う。
「稀少な発明品も、珍奇な動物も、我々だからこそ保護できる、と商会長は自負しています。これが利を貪り我が身だけを大切にするメルローズ財団が係わっていたら、大変なことになるでしょうからね。忙しいのは、彼らを排除できている証と云う見方も出来ます。どうかアルト様は、何もお気になさらぬよう」
う~ん。
これは気を使わせてしまったかな?
フェネルさんは、相変わらず優しい人だ。
デレデレとしながらマリモちゃんをだっこしているが、如才ない人なのだ。
そこに、帽子を被ったエルフと、フードを被ったエルフがやって来る。
云わずとしれた、世界最強の姉妹である。
「……ヤンティーネ、それにフェネル。私たちが合流するまで、アルたちをお願い」
「はっ。命にかえましても!」
「謹んで拝命致します」
ふたりは恭しく頭を下げた。
そうなのだ。
実は高祖姉妹は、後で合流する手筈になっている。
俺たちを『門』で送った後、一旦、別行動を取ることになった。
理由はあの『白い子ども』――ピュグマリオンである。
アレ関連で、先にいくつか調べたり見回ったりする必要があるのだそうだ。
里に来るのは、それからになるのだと。
「――神代の魔術を行使する異相の子ども、などと云う怪しい存在ですからね。警戒しすぎてしすぎると云うこともないでしょう」
リュティエルはそう云う。
『念のため』と云う口ぶりだが、それにしては、かなり注意を払っているようだ。
エイベルも行動することからも、その警戒度が大きいことが窺われる。
「……何もなければ、すぐに合流する。アルたちは普通に里を楽しんで欲しい」
うちの先生はそう云って、俺に微笑を向けてくれた。
※※※
そうして、俺たちは里の傍の森へと辿り着いた。
そこはまさに、景勝の地。
白い木肌の神秘的な樹木が林立し、深い森なのに暗くなく、木漏れ日は森を優しく包む。
幻想的な光景とは、このような場所を指すのだろうか。
「ふぉぉぉ~~~~っ!」
妹様も、おめめをキラキラと輝かせているが、これは無理もないことだ。ここの大森林は、本当に綺麗だからね。
以前お邪魔した『万秋の森』の紅葉も絶景だったが、こちらはまるで空想の世界のような、世間一般からは隔絶された美しさがある。
絵画か、絵本の中にでもいるかのようだ。
「にーた! ここ綺麗! ふぃー、この景色を持って帰りたい!」
腕の中でジタバタと暴れている。
フィーがこうして喜んでくれただけでも、今回の外出には価値があったと断言出来る。
「ふふふー。景色を持って帰るのは無理だけど、エイベルが合流したら、皆で写真を撮りましょう! そうすれば、いつでもこの風景を見られるわよ?」
「あきゃっ!」
母さんが良い提案をしてくれる。
なおマリモちゃんは球技のボールのように、マイマザーとフェネルさんの腕の中を、行ったり来たりしている。
ふたりとも、ノワールをだっこするの大好きだからな。譲り合いなのか取り合いなのか分からない状況になっているのだ。
「お待ち申し上げておりました!」
そして向こうからやって来たエルフの騎士っぽい人たちが、柔和な笑顔と礼儀正しい動作で一礼してくる。
彼らは里の守り手であり、エイベルたちをもてなす為に出迎えに来てくれたのだ。
尤も前述の通り、うちの先生はここにはいないのだけれども。
「フェネル様。貴方程の方が我らの里へ足を運んでいただけたことを、光栄に思います」
「可愛い赤ちゃんが生まれると聞いては、千里の波濤もものともしません」
うちの家族だけでなく、フェネルさんにも丁重な扱いだ。
そう云えばこの人も、エルフの名族の出身なんだっけか。
彼らに案内をされ、美しい森の中を通る。
それは西の離れにある『ひみつきち』の中を進むにも似て、奇妙なわくわく感があった。
フィーなんかは、始終口を開きっぱなしだ。
(所々の樹木に、術式が刻んであるな……)
これは警戒用のセンサーなのか。それとも正しい道順を通らなければ突破できない迷路でも造っているのか。
いずれにせよ、案内役が『特別な樹』を基準に進んでいるのは間違いないようだ。
だが騎士たちには、必要以上に警戒した様子もない。
つまり、この森は平和なのだろう。
「さあ、つきましたぞ。あれが我らの里、シアックです――。皆様、ようこそおいで下さいました!」
その先にあったもの。
それは子どもならば目を輝かせるような、自然と一体化した里であった。
瀟洒なツリーハウスが見える。
ビルくらいの大きさの木の一部がくりぬかれ、家になっている。
それらの間を、吊り橋が渡している。
地上部分には、地球人の目から見てもオシャレと感じるログハウスがあり、綺麗な色の葉っぱで作られたテントのようなものも見える。
木漏れ日の射す湖。
森と一体化したような畑。
咲き誇る花々。
住人を恐れず、当たり前のようにくつろいでいる動物たち――。
水彩画のような景色には森の奥特有の暗さはまるでなく、どこまでも明るい。
あちらこちらを歩いてみたいと思わせる『楽しさ』に満ちていた。
(これが、エルフ族の里なのか……)
率直に云って、感動した。
綺麗な場所なのだと心から思えるところだったのだ。
「にーた! ふぃー、ここを探検してみたい!」
妹様はもう、大喜びだ。
俺の服をしきりに引っ張って、あっちへ行こうと促してくる。
(お。ブランコ発見……)
木の板と植物の蔓で作られた遊具も見える。
そういえば以前エイベルは、この世界だとブランコは高祖の誰かが作ったと云っていたから、この里にもあるのだろう。
「お客様だーっ」
「人間だーっ」
「フェネル様だーっ」
エルフ族の子どもたちが、物珍しそうにこっちを見ている。
『お子様大好き』なお二方が、だっこしに行きたい衝動を必死に抑えてていた。
「まずはフィルカーシャ様の元へと案内させていただきます。里を見回りたいのであれば、その後に各所を紹介させていただきますね」
騎士は柔らかい表情で云う。
この里には、トゲトゲしたいやらしさがない。
それだけ、世俗の垢とは無縁の場所なのだろうな。
(この里で産まれる命なら、きっと良い子に育ってくれるに違いない)
間もなく誕生するであろう新しい生命に、俺はそんな期待を抱いたのだ。




