第五百二十三話 二月のアルトの予定です。
この俺、アルト・クレーンプットにとって――。
神聖歴1207年の二月というのは、何かと忙しかったりする。
まずは、つい先日に終わった村娘ちゃんの近習試験。
それに関連して、後日にフィロメナさんが話があるとかで訪ねてくる予定があるし、我が家がお世話になっているショルシーナ商会の局長であるフェネルさんが楽しみにしている、エルフ族の王族――フィルカーシャ嬢の生家であるハルモニア家に、新しい命が産まれるとかで、そこにもお邪魔する予定だ。
それが終わったら、クララちゃんこと第三王女殿下クラウディア様のほうの近習試験がある。
あと俺には直接関係ないが、あのリュネループのオシャレな少女、マノンの誕生日もあるんだな。
他、二月ではないが、今年中にやった方が良いものとして、ツインテールのメイドさん、イフォンネちゃんの、(あとついでにミアの)為の、『魔術結社』を立ち上げがある。
それからそれから、当家の妹様が昨年の十一月に御年五歳になられましたので、当家の母上様より、乗馬訓練の許可が出たので、そちらの練習もぼちぼち始まるようだ。
「アルちゃんはしっかりしていたから大丈夫だったけど、フィーちゃんはちょっと危なっかしいから、よろしくね?」
母さんにそんなことを云われた。
商会所有の果下馬のうちで、小柄で気性の良い子を借り受けて、マイエンジェルも訓練をするのだ。
と云っても、母さんの懸念通り、フィーはどこか危なっかしい。
無理に今年中に形にするのではなく、年単位でゆっくりと覚えて貰えばよいのではないかということで、うちの家族とヤンティーネの間で話が纏まっている。
当のご本人は乗馬よりも、棍棒の訓練をしたいみたいだが。
「棍棒はうちのお父さんが得意よー? 斧とかハンマーとかも、使えるみたい」
マイマザーは、セロに住む祖父の話題を出した。
フィーの大きな青いおめめがキラキラと輝いたのは、云うまでもない。
今年セロに里帰りしたときに、祖父と孫娘の交流があるかもしれない。
(後は、期限無しで商会から頼まれている、ボトルシップの追加分の作成か――)
期限無しと云えば、ガドから頼まれている『精霊銀』の強化なんかも手つかずのまんまだしね。
ああ、忙しい、忙しい。
一方、不出来な弟子と比べて、超優秀なお師匠様のほう。
彼女は今年の初めに、いくつかの薬品その他の開発を完了させている。
「……アル、これを」
そう云って渡されたのが、『バニラエッセンス』である。
お菓子作成における必需品。
俺の拙い説明から、エイベルはこれの抽出に成功している。
そして商会に回されるふたつの新薬が、『鶏卵用の浄化剤』だ。
片方は日々の飼料に混ぜる。
もう片方は取り出した卵に霧吹きで吹き付ける。
するとあら不思議。
卵を生や半熟でも食べられるようになるのだという。
「……ん。これで卵料理の幅が広がる。鶏卵も増産できるから、プリンも作れる……!」
無表情なのにとても機嫌の良いマイティーチャーなのであった。
この鶏卵用の、効果のもの凄い薬品は、『プリマ』が開発した品と云うことになっている。
エイベルは自分の名前が出ることをとことんまで嫌うし、商会のエルフたちも、敬愛する高祖様を面倒事に巻き込みたくないみたいで、利害が一致した結果だ。
一切が自力開発じゃないので、ちょっと据わりが悪いが、こればかりは仕方がない。
逆に云えば、『プリマ名義』を活用することで、エイベルの功績を今後も覆い隠すことが出来ると云うことでもあるのだから。
ともあれこれで商会は、『エルフ米』に続く新ブランド、『エルフ卵』を堂々と売りに出せるわけだ。
生食出来ます、ふわとろの親子丼も作れます、と云うのは、大きな宣伝効果になることだろう。
そして、『エルフ関連』と云えば、もうひとつ。
偉大なる高祖、『天秤』のリュティエル様が、現在我が家に来ているのであった――。
「エイベル! イチゴを譲ってくれないとは、どういうことなのですか!?」
「……言葉通り。いかにリュティエルと云えども、『庭園』のそれは譲れない。絶対に。そう、絶対に」
到着早々、訳の分からない話題で火花を散らしている。
彼女等の名誉の為に補足しておくと、リュティエルがやって来たのは、俺があの『白い子ども』――ピュグマリオンの報告をしたからだった。
「詳しい話を聞きたい」と、エイベルの妹は、はるばるムーンレイン王国までやって来たのである。
そして何故か……開口一番に、エイベルの『庭園』で収穫されたばかりのイチゴの話題になってしまった。
「貴方はどうして、昔からイチゴを独り占めにするんですか!? 幻精歴の頃からですよ!? 信じられません。ラミエルがイチゴを発見してからというもの、いつも自分ひとりで楽しんで」
「……理屈が意味不明。私が育てたイチゴは、私の私物であって共有の財産ではない。イチゴが欲しいなら、商会から買えば良い。近年は『地上』で作られた品でも、それなりに美味しくなっている」
必死に食い下がるリュティエルもリュティエルなら、ただひとりの妹にすらテコでも譲ろうとしないエイベルもエイベルだな……。
まあ、エイベルって他の『庭園産』の果物は分けてくれるし、神代に絶滅した薬草や植物なんかも、うちの家族には惜しげもなく使ってくれるから、矢張りイチゴだけが特別なのだろうが。
「何も私は、タダで寄こせとは云っていないでしょう? 対価を支払うと云っているのです!」
「……イチゴに勝る対価が、どこにあると?」
「あうぅ……っ! イチゴ……っ」
これが全エルフ族の頂点に立つ、両高祖様のありがたい会話ですよ。
こんな感じで、二月は色々と忙しいのは分かっていただけたと思うが、俺には『日課』もあるのだ。
それは――。
「にいいいいいいいいいたああああああああああああああああああああああ!」
云わずと知れた、マイエンジェルを構ってあげることである。
これは俺のライフワークでもある。
いつかフィーが巣立っていったら、抜け殻になるかもしれんね。
「にーた、にぃたぁぁっ!」
今日も今日とて、お気に入りの子ブタさんスーツを着て突撃してくる妹様を抱き上げる。
ノルマの勉強を終え、一刻も早く遊びたかったみたいだ。
「にーた! ふぃー、今、とっても困ってる! にーたに、助けて欲しいの」
「うん? それは……?」
「ふぃー、今日はにーたと、ボールで遊びたい! でも、一緒に積み木もして欲しい! お外行くと積み木出来ない! おうちにいると、ボールで遊んで貰えない! ふぃー……ふぃー、どうすれば良いッ!?」
そんな泣きそうな顔で。
フィーは困惑しながらも、俺に頬を押しつけることをやめようとはしない。
見かねた母さんが、腕の中で眠っているマリモちゃんを撫でつつ、長女様に苦笑を向ける。
「ねぇ、フィーちゃん。今日はどちらかを選んで、もう片方は明日以降にアルちゃんに遊んで貰えば良いじゃない?」
「それ、ふぃーも思わなくもない……。でもにーた、ずっと忙しい云ってる……。ふぃー、にーたのお邪魔をしたくないの……」
おっと、まさかまさかの俺を気遣っての葛藤だったとは。
うちの妹様、とっても優しい娘なんですよ。
「フィー。大丈夫だよ。どんなに忙しくても、毎日ちゃんとフィーの相手をさせて貰うから」
「ほ、ほんとー……? にーた、ほんとうに、毎日ふぃーと遊んでくれる……?」
「うん。もちろん。フィーと遊ぶのが、一番大事で、俺にとっても貴重な時間だから」
しっかりとサラサラの銀髪を撫でておく。
不安そうだったその顔が、すぐにお日様のような笑顔に変わる。
気遣いや我慢を覚えてくれるのは嬉しいけど、やっぱりフィーは、いつも笑顔でなきゃね。
「ふふふー。良かったわねぇ、フィーちゃん」
「う、うん……っ! ふへへ……っ。ふぃー、にーた好きっ! 大好きっ!」
ぷちゅっと、キスされてしまったぞ。
「それで、フィー。今日はどっちで遊ぶんだ?」
「なら、ふぃー、イチゴを食べたいっ! にーたと一緒にイチゴ食べる! それきっと、幸せ!」
ボール遊びでも、積み木遊びでもないじゃん!
と云うか、エイベルたちの会話、フィーも聞いていたのね。
その言葉に頷いたのは、妹のほうの高祖様であった。
「私も、既にイチゴを食べなければおさまらない状況になっています。――ヤンティーネ。商会に在庫はありますね?」
「は。充分にございます、高祖様」
「では申し訳ないのですが、ここにいる皆の分を急ぎ購入してきて下さい。貴方の分もですよ?」
妙に可愛らしい財布からお金を取り出し、ティーネに渡している。
ハイエルフの女騎士は恐縮しつつも、高祖自らがお金を出すことに口を挟んだりはしないようだ。
リュティエルって本来は厳格な正確らしいから、きっちり自分で出さないと気が済まないタチなのかもしれない。
「うふふー。エイベルの妹さん、優しい子よね」
しかし母さんは、そう云って微笑んでいる。
(ああ、成程。俺が難しく考えすぎただけで、これは単純に『上司』からの気遣いか)
すぐに『優しさ』と判定できた母さんに、人間の大きさで及ばない俺なのであった。
「……高祖様、このお金、全額で、イチゴを購入するのですか? もの凄い量になると思うのですが」
「だって…………たくさん食べたいですから」
ふいっと横を向いて、『天秤』の高祖は呟いた。
姉妹揃って、大のイチゴ好きじゃんか。
その日は結局、夕食に支障が出る量のイチゴを食べることになった。
何で俺以外、それでも全然平気そうなんでしょうかね?




