第五百二十一話 それぞれの思惑
過労状態のゾンビのような気配を纏った少年が、疲れた様子で去って行った後――。
第四王女のいる『面接会場』に、ふたりの人物が現れる。
「殿下。お疲れ様でした」
「マルヘリート先生っ」
ちいさな身体を起こし、シーラは、てててて……、と駆け寄る。
物心付いた頃から師事しているこの人物を、彼女は母の次に慕っていた。
屋内へやって来たのは、前述の通りマルヘリートと、そしてフィロメナである。
三段の位を持つ宮廷魔術師は、顔なじみの近衛騎士に話しかけた。
「どうでした、アルトくんは」
「また強くなっていました。見かける度に、鍛え込まれて行っているのがわかります。余程の鍛練を積んでいるのでしょう」
魔術試験のときに見かける度に、彼女はその身体能力を計っていたのである。
体つきと身のこなしから、エルマはアルトのおおよその身体能力を、ほぼ正確に見抜いていた。
「彼、本分は魔術戦だと思いますよ?」
「私もあの三人組との戦いは見ましたので、武術よりも魔術により才があるのは、分かっているつもりです」
「エルマ様は勝てますか? あのアルトくんに」
「――魔術師三人を向こうに回しても、あの子どもは、なお底を見せていませんでしたね。力量不明の相手に、勝てる負けるを軽々に判断することは出来ません」
勝つも負けるも断言しないところに、あの少年の――そしてエルマの強さがあるのだろうとフィロメナは思う。
彼の魔術の実力を見てなお、試合の範囲の実力であれば、『アレには敗れることはない』と判断出来ているのだろう。
「それにしてもエルマ様、あの子の話をするときは、しかめっ面ですね? せっかくお綺麗なのに、もったいないですよ?」
「あの子どもは、どうにも薄気味が悪い。気に入りません」
「そうですか? 私は気に入りました。彼、とっても可愛いですよね? 一生懸命な感じですし」
「貴方のその趣味は、どうにも理解出来ないです。――それはともかく、アレはどうにも、得体が知れない。何と云うか、『同じ人』と接しているようには思えないんですよ」
「それはアルトくんではなく、あの『白い子ども』にこそ、抱くべき感想では?」
「私から見れば、どちらも変わりません。明らかな『異物』だと思います。胡散臭いものは、殿下より遠ざけるに如かず、です」
どうやらエルマは直感じみた何かによって、あの美形の少年を『異分子』と見なしているようだとフィロメナは思った。
そしてすぐ隣では、シーラが魔術と学問の師に、アルト・クレーンプットのことを相談している。
「……成程。彼は近習になる意思を見せませんでしたか」
「はい……。わたくしは、すぐにそれに気付くことが出来ませんでした。なんだか申し訳ないです……」
「ですが殿下は、彼とは今後も付き合いを続けたいと思っているのですね?」
「は、はい……。そ、その……。あの方は、わ、わたくしの、数少ないお友だち……ですので……。それに……」
もじもじごにょごにょとちいさくなっていく弟子に、ヴェールの魔術師は微笑ましいものを感じた。
(殿下の御為はもちろん、マノンの為にも、あの子は引き入れておきたいですよね……)
シーラ殿下の傍にいて貰う事。
それは重要なことなのだと、マルヘリートは思った。
お月様な幼女は云う。
「あの方に迷惑を掛けず、けれど定期的に会える――そんな方法があれば良いのですが、わたくしには思いつけません……」
「ふむ。『会う』ですか。それは良い着眼点ですね?」
「え? 先生、それはどういうことでしょうか? 『会う』というのは、寧ろ出発点であり、大前提なのでは……?」
「いえ。そうでもありません。――殿下。『会う』ということならば、手はなくもありません」
「え、ほ、ほんとう、ですか……っ!? 教えて下さい、マルヘリート先生っ! わたくしは、どうすればあの方に今後も会うことが出来るのでしょうか……っ」
「ええ、ではお聞き下さい。それは――」
師の言葉に、王女様は真剣に耳を傾けた。
※※※
ある場所に、人影がふたつ。
ひとつは大人のそれであり、もうひとつは子どもサイズであった。
ちいさいほうは、乳白色。
奇妙に白い肌を持つ、幼い姿をしていた。
「予定通り、この国の連中を上手く利用出来ているようだな?」
「イヤだなァ。利用だなんて、とんでもない。相互共助こそが理想の生き方じゃないか。ボクはそれに注力しているに過ぎないよ。まぁその果てに、誰かの不幸があれば、それに越したことはないんだけどね?」
「…………」
乳白色の子どもの言葉に、人影は鼻白んだ。
『同士』であるこの子どもの心底がわからない。
どこまでが本気なのか、それすらも。
だが、妙に機嫌がよいことだけはわかった。
「警戒すべき相手はいたか?」
「ん~……。前評判通り。第四王女と、その師匠。それから直接会ってはいないけど、第三王女についている予言能力持ちの老人は、ボクから見ても厄介だと思うね」
さして興味がある風でもなく、白い子どもはそう話す。
心ここにあらずと云った様子だった。
だから、人影は尋ねた。
「活きの良いオモチャでも見つけたか。顔が弛んでいるぞ?」
「あ、それ聞いちゃう? 実はボクね、ここで素敵な出会いがあったのさ! それはもう、夢中になるような相手がね! 『彼』に逢えたと云う一事だけでも、この国へ来て良かったと心から思えるよ!」
その『彼』とやらは気の毒なことになるな、と思いながら、人影は重ねて尋ねる。
「そやつは奥院とやらの連中か? それとも、宮廷魔術師か?」
「ううん。どっちも違うよ? 近習試験の参加者さ。――すっごい可愛いんだぜ? 思わずニヤけちゃうくらい!」
「待て。意味がわからぬ。その試験とかいうやつは、子どもを対象としていると報告されていたが? まさかお気に入りとは、子どもなのか?」
「まさかも何も、当たり前じゃないか。子どもの大会に大人が参加してたら、大ブーイングものだよ。酷い絵面になるじゃァないか」
「……だが、たかが子どもに、貴様の興味を惹く程の者がいるとは思えぬ。それともまさか、例の第四王女自らが参加でもしていたのか?」
「それこそ、まさかさ。あのリュネループは、ボクを第四王女に近づけるつもりは無いみたいだったよ。初対面なのに、警戒されたものだよねぇ……」
「ほう。貴様が危険であることを初っぱなから嗅ぎつけたか。流石は『禁忌領域』のひとりよな。――しかし、ならば何者が、貴様の目にとまったのだ?」
「それは内緒だよ~……! あぁ……っ! 出来るなら、今すぐにまた逢いに行きたいくらいだねっ!」
頬に両手を添え、クネクネと動く乳白色の子どもに、人影は詰め寄った。
「待て。内緒とはどういうことだ。貴様が気に入る程の手合いだ。相応の強さを保持しているのであろう?」
「ん~……。まあ、見所はあるかなァ……。今のところ、百回やれば百回ボクが勝つし、千回やれば千回ボクが勝つだろうね。でも、一万回やればどうかな? 彼にも勝ち目があるかもしれない。そして彼は、本当に大事な一戦で、『その一回』を引き寄せることが出来る人間なのだと思う。ボクの見る所、アレは格上とも戦えるよう――ううん、格上と戦っても生き延びることが出来るように訓練されていると思うね」
「それは、どういうことだ?」
絞り出すように問う声に、白い子どもは唇に指を当てながら答えた。
「――かつて八人のアーチエルフは、かの聖天使を退けた。いかに『始まりのエルフ』たちが特級の怪物揃いとは云え、たった八人で倒せるような存在じゃないんだよ、あの聖天使は。けれどもエルフたちは、それを成した。『彼』は、その系譜を継げる者なのかもしれないと思ってね。どう? 素敵でしょ?」
まるで、のろけ話のように云う子どもに、人影は血相を変えて詰め寄った。
「貴様に、そこまで云わせる程の者なのか! しかも、まだ子どもの身で! ならばそれは、育てば我らの妨げになるやもしれぬ! そやつは何者だ? 場合によっては、すぐに俺が始末しに行く。――教えろ、ガラテアッ!」
「――――」
白い子どもの顔から、表情が消える。
それはまるで、彫刻のように。
その、瞬間だった。
「ぐお……ッ!? き、貴様……ッ!? 何を……ッ!?」
人影の身体から、乳白色腕が生えていた。
それは、白い子どもの腕が貫通したもの。
一瞬のうちに、強力な一撃が、人影の身体を貫いていたのだった。
ずるりと引き抜かれる、赤い腕。
人影は、地面に倒れ伏した。
白い子どもは無表情のまま、その顔を蹴る。
首が不自然に曲がり、人影は動かなくなった。
「『何を』は、こっちのセリフだよ? 一体、誰に断って、ボクをその名前で呼んでるのさ? 死にたいの、キミ?」
そう云って人影を見おろし、少しだけ困った風な顔をした。
「あ、あれ……? もしかして、死んじゃった……? うっそ、脆すぎだろぉ……? ボクらのメンバーは一騎当千を越えて、万夫不当の猛者揃いって触れ込みだったじゃんかー……」
ピッピと血を払い、それから眉間を押さえる乳白色の子ども。
「アジ・ダハーカのヤツには、『同士』はあまり殺すなって云われていたのになァ……。――あ、でも、よく考えたら先にケンカを売ってきたのはこいつだし、ボクは被害者だ。うん。だからボクは悪くない。少しも悪くないね!」
自己完結し、そう結論付ける白い子どもは、やがて恋する乙女のような表情で、空を見上げた。
「ボクをその名で呼んで良いのは、アルトだけだ……! あぁ……ッ! 今度逢うときは、優しく呼んでくれるかな、ガラテアって……!」
乳白色の子どもは、倒れ伏した人影に雑に火を付けると、そのままその場から歩き去った。
――これが、アルト・クレーンプットと、『天命の三貴子』のひとりとの、出会いの日であったのだ。




