第五百二十話 面接の温度差
筆記試験は――あまり楽しいものではなかった。
魔術免許の時のそれは、良くも悪くも知識が試される。
素直に勉強したことを発揮すればいい。
だが、こちらの試験はベクトルが掛かっているというか何と云うか、どうにも政治色が強い。
この国の正当な統治者は誰か? みたいなプロパガンダじみた問題が多くて困惑した。
それだけこの国は権力基盤に色々な問題を抱えているのだろうし、六代前の『王家交代劇』だとか、宿痾となっている大公家の動向を、王宮も気にしていると云うことなのだろうか?
ただ、テスト問題自体はイージーだった。
これは試験を受けるのが子どもだから、それに合わせていると云うことなのだろう。
これなら、イザベラ嬢も何とかなるかもしれない。
俺の試験結果は兎も角、あの娘には幸せになって欲しいからな。
で、面接だ。
こちらも本来は実技試験のときのように、多くの面接官がいて、それぞれの場所で対面するらしい。
『本来は』と云うことは、俺の場合はやっぱり特殊なことになっているということだ。
どうなっているのかと云うと――。
「え? キミが直々にやるの?」
「はい。わたくしの直々です! 特別ですよ?」
目の前には、可愛らしく小首を傾げる満月のような女の子がひとり。
この御方こそ、賤民たるアルト・クレーンプットの面接を担当して下さる、シーラ・ホーリーフェデル・エル・フレースヴェルク嬢その人なのである。
「貴様ッ! 殿下に対して、そして面接官に対して、その態度はなんだッ!?」
と、ブチキレていなさるのが、毎度おなじみのお付きの人。
名前は……え~と、何だっけ?
ぷりぷりと怒るお付きの人を、村娘ちゃんが宥めている。
「良いのですよ、エルマ。今のわたくしは、村娘ちゃんなのです! 一介の村民に敬語を使う方は、あまりいないはずですから」
「で、殿下……!」
この人からすれば、俺は彼女が『村娘ちゃん』を名乗るようになった元凶だろうからな。余計に許せないのだろうな。
すっごい睨んでるお付きの人を他所に、村娘ちゃんは、穏やかな瞳をこちらに向けてくる。
「筆記試験の間に、マルヘリート先生やフィロメナ様に、貴方様の活躍をたっぷりと聞かせて頂きました。とっても凄かったと。――わたくしも、本当はこの目で見て見たかったのですが、お父様やお爺様が、それを許してはくれませんでした……」
ちょっと残念そうな村娘ちゃん。
相変わらず、好奇心旺盛な子だ。
尤も、そうじゃなきゃ魔導試験のときに、わざわざ平民のいるほうのついたてなんぞにやって来ないか。
そう考えると、俺とこの娘の縁は、村娘ちゃんが自分の行動で切り拓いたのだと云うことになるな。
感慨深げに村娘ちゃんを見ていると、お月様な幼女は頬を赤らめて、そっと目を伏せた。
「あ、あの……。わ、わたくしは、あまり殿方に目を向けられることに慣れておりませんので……」
「貴様ァッ! 殿下にいやらしい視線を向けるとはッ! そこへなおれッ! 成敗してくれるッ!」
確かに女の子をジッと見るのはマナー違反だろうし、貴人をジロジロ見るのは不敬だったか。反省反省。
しかしこの娘、もの凄く高貴なのに、相変わらず取っつきやすい子だな。とても話しやすい。
「殿下! 私の直感が告げております! この者は危険です! きっとケダモノの類ですッ! 今すぐ落第にし、王都より所払いに処すべきですッ!」
初対面からずっと嫌われてるよね、この人に。
「エルマ、無礼はダメですよ?」
めっ、って云われて、お付きの人は沈黙した。
そして、ジッと俺を睨んでくる。なんでだよう。
「こほん。それではこれより、アルト・クレーンプット――様の面接を執り行います。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「あ、うん。よろしくね?」
言葉遣いの時点で、俺もうダメじゃね?
まずは型通りの挨拶をして――なんかこの娘、やたらと俺個人の事を聞いてくるな?
好きな色とか、食べ物とか。
面接って、もっとこう、人間性を問うとか、採用するにあたってのメリットをアピールさせるとか、そういうものじゃないの?
「ではアルト様は、果物では梨が好きなのですね?」
「え? あ、うん。好きだけど……」
梨が好きとか、絶対に不要な情報だろうに。
でもなんだかニコニコと機嫌が良さそうな村娘ちゃんに、口を挟めずにいる。
何と云うか、ここだけ他の試験の時と比べて、温度差があるな。
雰囲気がほわほわしていると云うか、イヤな感じがない。打算無しにおしゃべりできる相手だからだろうか。
「わたくしは、プリンが好きです。それから、ソフトステーキ! 貴方様はご存じですか? それは最近ショルシーナ商会から売り出されたばかりのバイエルン様の新作メニューなのですが、これがまた、天にも昇るくらいに美味しいのです! ソフトステーキを食べた後にデザートでプリンが出る日は、わたくしもついつい食べ過ぎて、お母様に叱られてしまうのですよ……!」
あ、ハイ……。
うちの妹様も、そのコンボ大好きですね。
と云うか、面接……。
面接って、何だっけ……?
「――では、アルト様が一番大切に思っているものは、なんですか?」
「家族だよ」
それだけは、即答できる。
大切なものって、場合によっては伏せておいた方が良いパターンもあるんだろうけど、この娘を相手にその辺を誤魔化すのは、何か違う気がした。
果たして、村娘ちゃんはマリンブルーの瞳を輝かせた。
「わたくしも! わたくしもです……っ! わたくしは、お母様がこの世で一番大切です……っ!」
飾らないその言葉は、この娘が心底から、あの優しい王妃様が好きなのだと分かった。
(うん。村娘ちゃんは良い子だ。――だから変な誤魔化しは、やっぱりしたくない)
これは、ちょうど良い機会ではないだろうか?
伝えるべきことを、伝えておくべきだろうと思った。
――俺は、近習になる気はない。
その、一言を。
(本当は、試験関係が全部終わってから、マルヘリートさんに云うつもりだったんだけどな)
あの人は、俺がピュグマリオンやマノンと戦うことに対して、『報酬』をくれると云った。
俺はその『報酬』で、近習を辞退させて貰おうと考えていたのだ。
王宮やら宮廷やらは、俺に合う水ではない。
それ以上に、フィーやノワールを近づけたくなかった。
「あのさ……」
一度顔を伏せ、あげる。
その先にあるのは――笑顔。
つい先程の、ソフトステーキやお母さんのことを楽しそうに語っていた、年相応のそれではなく、どこまでも寂しそうで。
けれども、優しさを感じさせる笑顔だった。
(ああ、俺ってバカなんだよなァ……)
この娘は聡明で。
聡くて。
そして――とっても優しい娘なんじゃないか。
俺の表情で、きっと全てを察してしまったのだろう。
村娘ちゃんは、ちいさな身体をペコリと丸めた。
「申し訳ありませんでした」
「え――?」
何で、村娘ちゃんが謝るんだ?
この子は少しも悪くないのに。
「――貴方様は、きっと最初から、試験を受けるつもりが無かったのですね。お爺様か、マルヘリート先生か、どなたかに云われてやって来てくれたのですね?」
もうそこまで、答えに辿り着いているのか。
この一瞬で。
「わたくしは、貴方様が傍にいてくれるのだと云うことに舞い上がって、心中を察することが出来ませんでした。貴方様のことを、考えてあげることが、出来ませんでした。今この瞬間も、貴方様とおしゃべりできることが、楽しくて仕方なくて、胸に秘めていることに、気づけなかったのです」
『相手のことを考えていない』と云うのであれば、それは寧ろ、俺のほうだったろう。
どこまでも『自分』。
その都合だけで、近習になってくれるかもしれないと喜んでくれていた村娘ちゃんの願いを、叶えてあげようとすら思えなくて。
「――ごめん」
その一言しか、云えなくて。
俺と村娘ちゃんを困惑しながら見やっていたお付きの人は、その表情を憤怒に変えた。
「貴様ッ! まさか殿下を弄ぶために、この場へやって来たというのかッ!?」
「やめて下さい、エルマ。アルト様を巻き込んだのは、こちらのほうです。相応の所より声をかけられれば、断れるはずがないのですから」
お付きの人を宥めた村娘ちゃんは、もう一度、腰を折った。
「本当に、申し訳ありませんでした……」
「俺のほうこそ、ごめん……」
なんだか、空気が悪くなってしまった。
それでもきっと、これは絶対に必要なことだったとは思う。
申し訳ないとは思っても、後悔はない。
うちの家族を、係わらせたくはない。
村娘ちゃんは、今度は寂しさの無い笑顔を浮かべた。
それは夜空に浮かぶ満月にも似て。
彼女は真っ直ぐに、こう云ったのだ。
「わたくしは、お母様のご病気の快癒を、諦めませんでした。わたくしがお救いすることは結果として出来ませんでしたが、それでも諦めるつもりはありませんでした」
「え……? うん……?」
何故急に、王妃様の話が……?
はてなマークを浮かべる俺に、彼女は柔らかく微笑む。
「わたくしは、そういう子なのです」
「え……? あの……?」
「面談は、満点合格とさせて頂きますね? しっかりと本音を語って下さる方のほうが、わたくしとしても、信用出来ますから」
ニッコリとしながら云い切る村娘ちゃん。
俺は首を傾げながら、その場を後にすることとなった。
この変化は、一体、何なのだろうと。
彼女が傷付いていない風だったことは、救いと云えば救いなのだが。




