第五百十九話 不完全だったものと、完全のそれ
「うぅぅ~~……っ!」
そうして、俺の前で体育座りして拗ねている子がいる。
場所はどっかの建物の中。
俺とフィロメナさんと、そして魔術師親子の他は、誰もいない。
「しかしまさか、マノンがリュネループだったとは……」
額に貼ってあった絆創膏っぽいものは、マルヘリートさんの作った認識阻害系のアイテムで、『第三の目』を隠す為のものであったらしい。
リュネループの目玉はホルンのツノと一緒で、珍品として狙う人間がいるから秘しておく必要があったのだとか。
(それにしても、このふたりが親子だったとは……)
両手に杖を持つと云うのが、共通点と云えば共通点だが、マルヘリートさんのほうは、何しろ顔が見えないからな……。性格もだいぶ違うようだし。
フィーと母さんのような『似たもの親子』ではないようだ。
「先程の試合、お見事でした。流石は王女殿下と並び称される俊英、と云った所でしょうか」
マルヘリートさんはそう云ってくるが、『見事な戦い』と呼べるかは微妙なところだ。
確かに俺は試合には勝ったけれども、それだけだ。
あれは俺が圧倒して勝ったという結果ではない。マノンの慢心の乗っかっただけのものだったとも云える。
何せ、俺には『考える時間』があった。
ツーサイドアップちゃんが勝ち誇って追撃の手を止めていなかったら、そのまま押し切られたのではないか?
「それが出来ないから、この娘は未熟なのです。技量以前に、心が未熟。それはとても危ういことなのです」
いかにも『母親』と云う口調で、ヴェールの魔術師はため息を吐く。
涙目かつジトーっとした瞳で、おしゃまな女の子はお母さんを見つめた。
と云うか、みっつめの瞳も、ジト目になるのね。
「だって、だって、だってぇ……。あたしの『音叉境界』が破られるはずないって思ったんだもん……」
「それで破られていては世話ないでしょう? それに、仮に破られなかったとしても、それが慢心をして良い理由にはなりません」
「うぅ~~……っ」
云い返せないのが悔しいのか、ソファの上を転げ回るマノン。こういう姿は、年相応な感じだねぇ。
一方、マノンマザーは、俺のほうをジッと見つめてくる。
「――貴方は、即座にマノンの魔術の『波形』に気付きましたね?」
「即時じゃないです」
俺には考える時間と、実験をする暇があった。
本来アレは即興でどうにか出来るような能力じゃなかったし、俺自身にも瞬時に破れるような才能は無い。
「竜巻の分解と、境界発動後の水弾発射で、音叉境界の仕組みに気がついたんですよね?」
鋭い瞳でそう問うて来るのは、フィロメナさんである。
俺の思考がどのような道筋を辿ったかを、ほぼ把握しているあたり、流石は宮廷魔術師様と云った所か。
彼女の云う通り、切っ掛けは竜巻を『分解』されたことである。
魔術による攻撃を防ぐでもなく、いなすでもない。
特定の手段によって消し去ることが出来る手合いなのだと認識出来た。
当然、竜巻に干渉した以外の方法でも。
だから、あの結界――音叉境界と云うらしいが、あの波紋のようなゆらぎ、それ自体に効果があるのは、すぐに分かった。
それであの時、『天球儀』の魔力球に変化を与えて、同じ水弾であっても、魔力の質と形が異なるものを発射し、消滅の仕方で力の指向性を把握することに努めたわけだ。
結果として、『波形』を理解することが出来た。
あとはそれに併せた魔力を発動して、突撃するときに『波』を消したわけである。
(そこから先は、ちょっとした『手品』だったけどな……)
それは最後に、マノンが身体強化を使えなかった理由でもある。
ツーサイドアップちゃんは、体捌きによる防御面も優れていた。
俺のへなちょこな槍術では、身体強化を使っても捉えきれないくらいに。
ああ、こりゃダメだと思ったので、結局はいかにして、あの動きを封じるかが肝だったわけだが、それも音叉境界を利用することで解決した。
一瞬だけ、『流れ』を逆転させたのだ。
俺には『音叉境界』は使えそうにない。
ただし『波形』を理解したから、無効化することは出来た。
生のままの魔力と相性もいいから、本当に一瞬だけなら、力尽くで流れをねじ曲げることも出来た。
それが、最後にマノンが動けなかった正体である。
即ち、自分の音叉境界で、身体強化を失ったと云うことだ。
ただ、かなり無茶をした。
戦闘開始前の時点で残存魔力量は、マックスの七割程度。
天球儀でさらに三割くらい減って、最後の『逆流』で、やっぱり三割強は減った。
身体強化にも魔力を割いていたから、今の俺は、ほぼスッカラカン。
もう一戦やれと云われても、もう不可能だ。
それだけ頑張っても、音叉の逆転は一瞬だけ。
全く持って割に合わない。
そもそも、『天球儀』自体が燃費が悪いのだ。
古式魔術一発分くらいの魔力が持って行かれる。
尤も、『一発撃てば終わり』の古式と違って、天球儀は発動すれば暫くは安泰だから、一概に消費魔力のことだけをうんぬんする訳には行かない。
これらの話はつまるところ、俺の『魔力量不足』が問題の本質にあるということだ。
(魔力を無効化するだけなら、本当は根源に干渉してスイッチを切ってしまえば終わりなんだけどな……)
しかし、それを白日の下にさらすわけにはいかない。
根源干渉は、正真正銘、本当の俺の切り札だ。
もしも戦いの中で見せるなら、『相手の命を絶つ』覚悟で臨まなければならない。
いずれにせよ、今回の戦いはマノンの慢心を突いただけで、もう一回やったらもう勝てないと思う。
と云う訳で、さっきの一戦は自己採点の高い試合結果ではなかったが、フィロメナさんは、驚いたような顔をしている。
「常に移動する『波』を完全に捉えて無効化出来るなんて、矢張りキミは天才ですね」
全く違う。
『異なる魔力で攻めてくる』と云うのは、日々の訓練の中でエイベルが当たり前にやっていることだ。
それに合わせて迎撃することが出来ねば、まともな練習にならない。
だからあれは、訓練の成果が出たと云うだけの話。
まあ、それを云うつもりはないんだけれども。
フィロメナさんは、生暖かい瞳で、ツーサイドアップちゃんを見つめた。
「マノン。マルヘリート様の云った通りになったじゃないですか。不完全な技能で慢心すると敗れるのだと、いつも云われていたでしょう?」
ん? 不完全?
あの音叉境界は、完全ではなかったのか?
俺の背中を、冷たい汗が伝う。
フィロメナさんは、こう云った。
「マノンが以前より音叉境界を練習しているのは知っていたんですが、今回のような形になったのは驚きました。実戦で使えるようになっていたのもそうですが、それがマルヘリート様の術式よりも遙かに劣って、別物のようになっていたのも驚きです」
「…………」
アレの完成した姿……?
ちょっと想像もつかない。
双杖の魔術師は、ヴェールの向こうで微笑したようだった。
「見たい、ですか?」
「見られるのであれば」
「…………良いでしょう。本来は知られることそれ自体が不利益になりますが、多くの迷惑を掛けてしまったお詫びと、マノンの鼻っ柱を折ってくれたお礼も兼ねて、『本来の姿』をお目に掛けます。ただし、解説は致しません。ご自分で理解して下さいね?」
長身の女性は、ふたつの杖を手に取る。
その瞬間。
「――――ッ!?」
俺は、戦慄した。
仕組みそのものは、マノンの使ったそれと同じ。
しかし鈴のような音は殆ど聞こえず、波紋を目視することも出来ない。
そして何より驚いたのは、一秒にも見たぬ一瞬のうちに、刻々と『波形』が変化しているのである。
これでは『波の形に合わせる』だとか、『性質を読み取る』だなんて、全くの不可能だ。
つまりこの人相手には、音叉の無効化が出来ないことを意味している。
そして、範囲も広い。
刹那に部屋中に術式が満ちた。
この境界の『本来の姿』は、対個人ではなく、対集団に作用することなのだろう。
マルヘリートという魔術師には、それが魔力の使い手であれば、多人数で掛かっても勝つことが出来ないことを意味している。
数の有利を発生させない力があることを示しているのだ。
音叉境界の真の姿とはつまり、魔術を無効化するだけでなく、破りがたいこと。
発動されたら、全くの打つ手がない術式ということなのであろう。
「…………」
魔術師は杖を手放した。
境界は消滅する。
「如何でしたか?」
「如何も何も、凄まじいとしか。まあ、この力が村むす――こほん。第四王女殿下の為に使われるのであれば、頼もしいとは云えるのでしょうね」
『単一』のチャンネルしか使えなかったマノンの境界が、いかに不充分なものかを目の当たりにした。
ツーサイドアップちゃんは悔しげに、「ふん」と呟いた。
ヴェールの魔術師は、深々と腰を折る。
「貴方にはお礼を云います。これでこの娘も、これまで以上に練習に力を入れてくれることでしょう」
「つ、次はもう、負けないんだから!」
うん。
勝てると思ってない。
そもそも、もう勝負自体をする気がないし。
「後は、筆記と面談ですね。アルトくんならば、きっとどちらも問題ないでしょう」
フィロメナさんが、そう云う。
まあ、ピュグマリオンやマノンと戦ったときのようなイレギュラーはないだろうから、そちらは落ち着いてやれるかな?
面談ってのは、前世からあまり得意では無いのだけれども。
「何か聞いておきたいことはありますか?」
ヴェールの魔術師が尋ねてきた。
それは近習試験に関する質問であろうと思われる。
けれども俺は、せっかくだし気になっていたことを訊いてみることにした。
「えっと、ひとつあります」
「何でしょうか? 何でも訊いて下さい」
「マルヘリートさんって、何でヴェールしてるんですか?」
「――っ!」
その言葉に双杖の魔術師はビクッとし、落ち込んでいたはずのマノンはニヤリと笑った。
しかし、最初に口を開いたのは、フィロメナさんだ。
「普通に『種族を隠す為』ではないのですか? リュネループであることが知れると、色々と面倒なことになるでしょうし」
「チッチッチ! フィロメナ、ちがぁ~う! ただ隠すだけなら、あたしがしている絆創膏を使えば良いだけでしょう? お母様はねぇ……」
「こ、こらっ! マノンっ!」
「もんの凄い、恥ずかしがり屋さんなの! お母様とっても美人なのに、見られるのは恥ずかしいって、ずっと顔を隠してるんだもん。もったいないでしょう? 注目を集めるのって、綺麗な女の子の特権なのに!」
ああ、うん。
うちのお師匠様と同じ理由だったのね。
エイベルがツバの広い帽子を目深に被っているのも、超の付く恥ずかしがり屋さんだからだもんな。
「う、うぅぅぅ~~……!」
背の高い超絶の魔術師は、しゃがみ込んでぷるぷると震えている。
どうやらマノンの言葉は、本当のようだ。
(エイベルは、何をしているだろう――? それから、フィーは泣いてないかな……?)
なんだかとても――大切な家族たちに会いたくなってしまった。




