第五百十七話 アル対マノン(中編)
マノンの出した結論。
(うん。アルトは強い。手を抜いたら、負けちゃうわね)
それは両の手の杖を使うと云うこと。
能力を、解禁すると云うことだった。
(ツーサイドアップちゃんの動きが変わった――)
アルトは、避けることに専念し出した女の子の動きに気がついた。
同時に、何をするつもりであるかも看破する。
(この娘、魔力を練っているな? と云うことは、魔術がくる……!)
連続の突きをかわし、リングの端に追い込まれることもなく、しかもこの状況で術式構築の為の集中が出来る――。
「成程。優秀だ……!」
アルトは、感嘆の言葉を漏らした。
「ええ。あたしは優秀。でも驚くのは、これからにしてね?」
左右の杖が輝いた。
同時に現れるのは、無数の水弾。
左右に三十ずつ。計、六十。
「こんな一瞬に、これだけの数を……!?」
「出来るのよ、あたしなら」
一斉に襲いかかる、六十の水。
同時にアルトは一瞬で、後方に跳躍していた。
「槍を即座に手放すなんて判断が速いのね! でも、身軽になった程度で、この数と速度には敵わない!」
確かにマノンの放った水弾は、速く、多い。
傍で見ていたフィロメナは、自分にもこれを撃ち落とせるだろうかと冷や汗をかいた。
三段の位を持つ宮廷魔術師は、先程まで手を繋いでいた少年を見る。
彼は――。
(焦っていない!? ほんの少しも――!?)
それは彼の手札に、『この数』に対抗できる手段があることを意味している。
マノンは笑う。
「良いわ! あたしにそれを、見せてみなさいっ!」
半包囲するように発射される水弾の数々。
『躱す』と云う選択肢すら取り得ないそれに、アルト・クレーンプットは――。
ととん、と、踵を踏みならしていた。
水弾が迫るその前に、彼の周囲に、水で出来た竜巻が発生する。
マノンの放った水弾は即座に呑みこまれ、竜巻を肥大化させた。
(そうか――! アルトくんには、これがあるのですね!? 彼は水系統の巧者ッ! この属性の魔術では、彼を倒すことが出来ないんだ……!)
それは攻撃を無効化し、逆撃を可能ならしめる水術の秘奥。
アルト・クレーンプットは、瞬時に最良と思われる判断を取り、後手でありながらこれだけの魔術を間に合わせ、完璧に構築できる技術を有していることになる。
(宮廷魔術師にも、これだけの構築速度を持つ者が、どれだけいることか――!)
フィロメナは戦慄した。
幾本もの竜巻が、マノンへと迫る。
生半可な魔術ならば弾いてしまいそうなそれを見て、彼女は笑った。
「いいッ! 良いわねッ! それでこそ、あたしが『階梯』と認める相手ッ!」
左右の杖が共振する。
すると竜巻は、もつれた意図がほどけるように、しゅるしゅると分解されてしまった。
アルト・クレーンプットが呟く。
「水と風と生のままの魔術の三重操作で術式を強制的に分解したのか。器用なことをする」
「ステーンヴェルヘンの女は、このくらいの芸当は朝飯前なの。それよりも、いつの間に槍を拾ったのかしら?」
「俺にとって重要な武器なんだから、暇があれば拾うに決まってる」
そう。
いつの間にか、アルトの手の中には、得物が戻っていた。
単純な魔術戦にもつれ込むつもりは無いらしい。
「アルト。竜巻で防ぐというのは、良いアイデアだったわ。並みの魔壁なら、あたしの水弾なら壊せているから。――でも、それももう見た。次は防げない……!」
「そうかい。そいつは残念」
さして残念そうでもなく、アルトは呟いた。
マノンの双杖が輝き、再び無数の魔術を展開させる。
アルトは呆れたように、それを見上げた。
「常人は、一瞬でこんなにたくさんの魔術なんて編めないはずなんだけどね?」
「前提が違うわね。あたしは、『常人』ではないの」
「成程。そうみたいだねぇ」
マノンは再び、水弾を発射する。
魔壁を破壊する自信があり、竜巻もほどくことの出来る彼女に、どう対応するのか?
フィロメナが考えるよりも早く、『答え』は中空に現れた。
「――ッ!? 何、それは……ッ!?」
「それも何も、俺の切り札さ」
その名は、『天球儀』。
彼の言葉通り、アルト・クレーンプットの切り札のひとつ。
魔力核を中心部に持ち、その周囲を公転するように無数の魔力球が浮遊している。
それはまさに、浮遊砲台だった。
水弾に水弾を併せ、即座に撃ち落としていく。
「……くッ!」
そこにあるのは、手数と手数との戦いだった。
マウィーフル・パルハウナが後手に回り、ピュグマリオンが回避に専念した魔力球からの攻撃を、マノンは自らの構築魔術だけで互角以上に撃ち合っていた。
この一事だけでも、マノンが尋常ではない使い手であることを物語る。
(あたしがやるようなことを、自動でやってのけるなんて……! 何なの、アルトって!)
双杖からの魔術が僅かでも打ち消されると見るやいなや、アルトは再び雷霆が発するが如き勢いで突っ込んできて、槍の嵐を見舞ってくる。
少年の動きは、魔術と武術が一切乖離していないのだ。
寧ろ連動し、相乗的な効果を発揮していた。
マノンは、それに気付いた。
(こいつ、初めから『どちらも使いこなす』前提の訓練を積んでいるんだ! 魔術師でもなく、槍術士でもない。魔術槍士として動けるように、訓練されている――!)
単純な手数では、勝つことが出来ない。
そしておそらくは、『一対多』にも対応出来るように鍛え抜かれている。
傍にある審判役が、感心したように呟いていた。
「――余程に良い師に恵まれているのですね、彼は」
それは本当に、ただの独り言。
けれどもマノンの胸の奥に、大きな炎を灯す一言だった。
(ここで負けたら、あたしのお母様の名前にまで泥を塗ることになる――!)
彼女は母親を尊敬していた。
魔術師としても師としても、最高であると信じている。
だから負ける訳にはいかなかった。
自分のプライドだけでなく、大好きな『母』を守る為にも。
(マノンの気配が変わったな――)
アルトは、目の前の少女が何かを始めるつもりなのだと気付いた。
彼女は出力を上げ手数を更に増やし、天球儀を封じるだけでなく、アルトにも発射して、槍の連撃を封じようとしている。
(更に魔力を練っている……。別のことをやりながら術式構築をするのが難しいってのは、俺も『天球儀』を組み立てるときに苦労してるから、よく分かる。本当に、大した魔術師だ)
そもそも、彼女は接近戦を苦としていない。
普通の魔術師は槍の連撃のようなものは苦手であるはずなのに。
それだけでも本当に凄いなと、アルトは思った。
マルヘリートが、かすかに頷く。
「手を抜かないのは、良いことです。或いは、そんなことが出来る相手ではないと云うだけなのかもしれませんが」
りぃぃぃん、と、鈴の鳴るような音がした。
最初はちいさく。
そして、段々と大きく。
それが魔術による振動音なのだと、アルトは即座に看破する。
ふたつの杖の間に、特殊な力場が形成され始めていた。
「――こいつは驚いた……! 結界の類まで使えるのか……!」
「アルト、貴方は強かったわよ。けれど、それもこれでおしまい」
双杖を中心に、波が広がる。
マノンは既に、水弾を発射してはいなかった。
天球儀より放たれた水弾の雨が少女に殺到する。
その時――。
「かき消えた……ッ! これは、マルヘリート様の得意魔術ッ! マノンも既に、使えたのね!?」
フィロメナが叫ぶ。
まるで水が一瞬で砂の塊にでもなったかのように、力場の境界線に触れた瞬間、塵となって消えていた。
『水』の消え方とは、とても思われなかった。
「……竜巻を『分解』したときから何となくイヤな予感がしていたが、アレはとっさにやったことではなく、手慣れていたと云うことか。魔術そのものを崩壊させる別世界を作り出せる能力とはね……!」
「――アルトが妙なオリジナルスペルを使えるように、あたしの一族にも、相伝の秘技がある。対魔術戦において、だからあたしに勝てる者はいない。『魔術師殺し』が、あたしの特性!」
マノンは勝利を確信する。
対戦者の魔術を封じ、こちらは一方的にそれを使えるとなれば、練達の槍使いであっても、圧倒することなど、訳ないのだから。
しかし、彼女は知らない。
アルト・クレーンプットもまた――天性の『魔術師殺し』であると云うことを。




