第五百十六話 アル対マノン(前編)
城内の目立たぬ場所に用意された秘密の闘技場――。
そここそが、アルト・クレーンプットと謎の少女マノンとの、試合の場所である。
マノンは舞台上で、仁王立ちしている。
間もなくこの場に、あの『天才』が現れるのだ。
「やる気だけは、一丁前ですね……」
ちいさく息を吐きながら傍に立つのは、背の高いヴェールの魔術師。
彼女はこの試合の数少ない見届け人であり、審判役だ。
「お母様、ちゃんと見ていてよね? あたしが華麗に勝利する姿を!」
「もう、この娘は……」
マルヘリート・ニリ・ファン・ステーンヴェルヘンは、我が子のドヤ顔に肩を落とした。
ここは彼女が娘の試合の為に、無理を云って借り受けた場所。
試合のことを聞いた数少ない関係者たちは、『あのマルヘリート殿の戦闘が見られるのか!』と期待を抱いたが、実際は『娘の為に』である。
しかし、それは絶対に必要なことであると、彼女は確信していた。
「このままではマノンは、大変な天狗になってしまう――」
上には上がいることを分からせておかないと、きっといつか、大変なことになる。そう思っているのである。
「ふふーん! 噂に名高い『神童』がどれ程の強さなのか、ホントに楽しみっ! ねぇ、お母様は知ってる? アルトって、とってもハンサムなのよ?」
「整った外見をしているのは知っていますが――どうして貴方が、彼の容姿を知っているのですか? アルトと気安く呼んでいますが、まさか知り合いなのですか?」
「うん。今日、偶然に知り合ったの!」
「偶然? それは本当なのですか……?」
「疑ったって、仕方ないでしょー? まあ、どうであれ、勝負の結果は動かないんだけどねっ!」
両手に持った短めの杖を、マノンはくるるんと器用に回した。
「云っておきますが、彼は強いですよ?」
「知ってる。それ、何回も聞いた。だから戦うんじゃない。なりたてとは云え段位魔術師を圧倒できるなら、あたしもすぐに宮廷魔術師になれるってことだもんね!」
「貴方はまだまだ未熟ですし、仮に世界トップクラスの実力があっても、その粗忽さを治さない限りは、誰にも認めては貰えませんよ」
「実力って云うのは、認めて貰うものじゃない。認めさせるものだもの。世界トップクラスの実力があるなら、それを使って認めさせてみせるわ!」
「もう! 何を云っても、通じないんですから!」
矢張り『彼』に頼んで良かったと、マルヘリートは心の底から思った。
――そして、その少年はやって来た。
気負うでもなく、緊張する出もなく、ごく普通に歩いてくる。髪の長い宮廷魔術師に、手を引かれて。
「……まぁたフィロメナと手を繋いでる。甘えん坊か、年上好きなの? アルトって」
過労状態になったゾンビのような気配を纏った少年は、マノンの前にやって来る。
「やあ」
「どーも」
「今回の試合は、普通の魔術戦じゃないって聞いたんだけど?」
「ええ、そうよ。より実戦に近づける為に、『魔術以外』も解禁してるの。つまり、格闘も武器も、使って構わないわ」
そう告げると、男の子はマノンの両手を見つめた。
左右の手には、前述の通り、杖がおさまっている。
「……そっちは、杖を使うみたいだけど? それって、魔術オンリーってことじゃないのか?」
「あたしは、生粋の魔術師だもの。お母様から護身術くらいは習ってはいるけど、魔術こそが私の真骨頂。でも、アルトは違うかもしれないでしょ? そっちも魔術が一番得意で、他は出来ないって云うのなら、それでも全然構わないし、魔術よりも武器術のほうが得意というのなら、そちらを使ってくれても良いってだけの話」
「ふぅん……。成程ねぇ……」
リングの傍には、騎士たちが訓練で使う、刃落としされた武具が置かれていた。木製のものもある。しかしいずれも、子ども用のそれではないようだ。
(これ、武器の扱いが出来ても、大人用だから体格上で不利になるじゃないの……?)
と、男の子は思ったが、武器のあるほうへと歩いて行った。
「へぇ……。アルトって武器も使えるのね? 単に『一応』で用意しただけだったんだけど」
チラリと『母親』の方を見ると、ヴェールの魔術師は、ちいさく首を振った。
それは『武器を扱えることを知らなかった』のではなく、マノンに対するダメ出しなのである。
「む……」
と、マノンはリップの塗られた唇を尖らせる。
彼女の『母』は、戦巧者である。
ある程度の体つきと身のこなしを見れば、それが訓練されているものかどうかを見抜いてしまう。きっと彼女は、アルトが武器を扱えることも、とっくに承知だったのだろう。
母との『差』を感じ、おしゃまな少女は、ちょっと拗ねたのである。
一方、アルト・クレーンプットのほう。
彼は迷わずに槍のほうへと歩いて行き、金属製のそれを手に取った。
「これなら、いけるかな?」
子どもの体躯には、明らかに長い。
けれども彼には、フラつく様子が見られなかった。
奇妙に様になっていたのである。
「ふぅん……? 無理はしてないようね?」
「練習で使うのよりも、軽いみたいからね」
「はぁ? それ、大人用よ? 普段は一体、何で訓練しているのよ?」
「そういう槍だよ」
彼はそれだけ云うとスタスタと歩いて、リングの上で槍を構えた。
ただそれだけで、男の子までの『距離』が、やけに長く感じられた。
(何……? アルトってば、随分、雰囲気あるじゃない……)
チリチリと焼け付くような、妙な気配がした。
感覚と気配で、『強い』と云うことが伝わってくる。
マノンは無意識に、ピンク色の唇を舌で舐めていた。
(良いじゃない……! 強い子と戦える……! あたしはずっと、それを待っていた……!)
好戦的な表情を浮かべる『我が子』に肩を竦めながら、マルヘリートは告げる。
「それではこれより、特別試合を始めます。リングアウトの他は、降参か戦闘不能で試合終了とします。両者、よろしいですね?」
「ええ、もちろん!」
「了解です」
「――では、始めッ!」
号令と共に、マノンは杖に魔力を込めようとした。
彼女には、母親譲りの無詠唱魔術がある。
発動さえしてしまえば、すぐにでも決着が付くであろうと考えた。
――しかし。
「――ッ!?」
一足で距離を詰め、突き込まれた槍は、恐るべき鋭さがあった。
回避を優先したのはマノンの正解ではあったが、予想外の驚きに見舞われたのも、また事実である。
(何これ……ッ! はや……ッ! それに、上手い……ッ!)
的確に急所を突く、矢継ぎ早の攻撃。
しかしそちらを庇おうとすると、少年の攻撃は両手に持つ『杖』をはたき落とそうと変化してくる。
無闇矢鱈に突くのでもなく、速度に任せているのでもない。
それは詰め将棋のように冷静で、『次の一撃』を見据えた攻撃であったのだ。
(こいつ……! あたしを端に追い込む気だ……ッ!)
僅かな突き込みでアルトの意図を察知したマノンも、また優秀であった。
凡な者であれば、あっという間に『間合い』を削られ、突き落とされるか弾き出されるかして、場外負けを喫していたことであろう。
彼女は即座に間合いを取ることに集中し、同時に魔力を練り上げていく。
(対・魔術師、なんて考えは捨てるべきね。目の前にいるのは、超一級の槍術士! そう考えておかないと、簡単に押し切られる!)
しかしギリギリでも躱せると云うことは、魔術を使えると云うことでもある。
並みの魔術師ならば満足に術式を構築できないような状態で、確かにマノンは、魔術を組み上げたのだ。
(まずは、一発。それで様子を見る……!)
左の杖から、水の魔術が発射される。
それは的確で、そして速い。
不充分な状態から強弓の一射を撃てたマノンも、また優秀であったろう。
だが。
「く……ッ!?」
鉄槍を振るう少年は、まるでこれあるを予期していたかのような動きで回転し、そのまま横なぎの一撃を放ってきた。
相手が慌てて回避するか防ぐだろうと思っていたマノンは、完全に虚を突かれた。
それでも鉄の一撃を喰らわずに避けたのは、彼女の回避能力が抜群に高いことを物語る。
「マノン、今のを躱せるんですか……っ!?」
リングサイドにいる宮廷魔術師が驚いている。
段位魔術師からであっても、マノンの動きは瞠目に値するのだ。
だが、慌てて回避しただけと思っているマノンは、喜ぶことは出来ない。
(まさかアルト、未来視か第六感でも持っているの? 今の動きは、そう考えるしか――)
くすりと、笑う声がする。
それはいつか越えたいと願う、母のもの。
「熟練の戦士ならば、このくらいの回避はやってのけますよ。――まして相手は、僅か七歳で段位魔術師となった練達。そのくらいの判断も付かないようだと、貴方はすぐに負けてしまいますよ、マノン?」
「~~~~っ!」
マノンは屈辱で顔を真っ赤に染める。
鉄槍を振るう少年は、困った風な顔をして、マルヘリートを見つめた。猛攻は、止めないままに。
「誤解や思い込みを植え付けることも戦術のうちなんで、こういうのは困るなァ……」
「それは失礼を致しました。もう口は挟みませんので、どうかご容赦を」
大して困っていない風に見える美形の少年に、マノンは底知れなさを感じていた。




