第五百十二話 手心話
結局、あの『白いの』との戦いは、場所を移してやることになるらしい。
当然、『観客』は先程よりもだいぶ減るようだ。
特別マッチそれ自体が、秘されたものになるみたい。
グレゴリオもファーレンテインもいなくなった。
トルディさんは、丁寧な挨拶をして去って行った。
カスペル老人は――忙しいからか、いなくなりはしたが、どうも『自主的』だった気がする。
ともあれ、小休憩を挟んで、ヤツとの戦いになる。
騎士たちの修練場のようなところが、試合会場であるようだった。
フィロメナさんに手を引かれてそこに向かう途中で、唐突に声をかけられた。
それは、例のヴェールの魔術師だ。
「マルヘリートさん……?」
「本日は、お手間を取らせて申し訳ありません。……非礼を重ねるようで申し訳ないのですが、少しよろしいでしょうか?」
そう云って、背が隠れる程の生け垣の向こうへ、こちらを誘う。
「フィロメナ、貴方は遠慮して下さい」
「……? 私は、アルトくんの保護者ですが」
いつの間にそんなことに。
結局、フィロメナさんを置いて、マルヘリートさんについていく。
そこには――。
(ありゃ、村娘ちゃん)
声に出すのをこらえた自分を、褒めてあげたいと思った。
その場所には、いつものお付きの人ただひとりを従えた、ロイヤル村の娘さんがいらっしゃったのだ。
(ここは『謁見ついたて』じゃないから、今まで通りの対応はマズいよな……)
取り敢えず、その場に跪こうとすると、
「待って下さい。どうか、そのままでいて下さいませ」
いつも通りの村娘ボイスで、俺を立たせたままにしてくれる第四王女殿下。
すぐさま、お付きの人が顔色を変える。
「殿下……!」
「良いのです。今は非公式のお忍びなんですから、わたくしは『村娘ちゃん』ですよ?」
「む、村娘ちゃん、ですか……?」
マルヘリートさんが首を傾げている。
まあ、意味わからないだろうからな。
「――ですので、貴方様も、そう呼んで下さいね?」
お月様な笑顔を、俺に向けてくる村長の娘さん。
これはアレだな。
俺に気を遣ってくれているんだろうな。
この娘のほうから『村娘ちゃんと呼んでね』と云われなければ、流石にこの場でそう呼ぶわけにも行かないだろうから。
と云う訳で、俺もご要望に応えることにする。
「分かったよ、村娘ちゃん。――久しぶりだね?」
「はい。お久しぶりです」
流石に、『こんにちは』はやめておく。
彼女はいつも通りの、折り目正しい礼をする。
この娘って背がちいさいから、凄くコンパクトに見えるのよね。
「それで、今日はどうかしたの?」
「はい、実は貴方様に、お礼を伝えたいと思いまして」
「お礼?」
「はい。本日は、わたく――こほん。第四王女の為に、こうして近習試験を受けて頂けましたから」
あくまで、ここにいるのは王女ではないという理屈なのね。
「…………」
けれども、俺は苦笑して目を伏せた。
だって試験を受けたのは、この娘に寄り添う為ではなかったのだから。
笑顔を頂くのは、忸怩たるものがある。
けれども、彼女は云う。
「――貴方様にも、きっと色々な事情があるのだとは思います。ですが、わたくしは嬉しかったのです。信頼できる方がいると云うのは、幸福なことだと自覚しておりますので」
それは、『俺』を信頼してくれていると云うことだろうか。
表面上だけで考えれば、この娘とは世間話しかしていないから、やっぱりお母さんのことも込み込みなんだろうなァ……。
でも実際、この娘の立場なら、地位なり能力なりを当て込んで近づいてくる連中も多いだろうから、信頼できる『友』は、ひとりでも多く欲しいのは事実だろう。
当然、『俺』以外にも。
(あの娘は――)
あの誇り高く、がんばり屋さんで、でもちょっと素直になれないあの少女は、村娘ちゃんの『友』になれるだろうか?
もしもそうなってくれたなら、少し安心できるのだが。
(本当は、フィーの友だちも欲しいんだけどな……)
キシュクード島のマイムちゃんとは仲良くやれていたが、それ以外が、ちと弱い。
うちの妹様も既に五歳なのだし、そろそろ親友が出来てくれると嬉しいな。
(まあ、そういうことを考え出したら、俺も今世では友だちが少ないんだが)
何にせよ、ロイヤル村の娘さんは、わざわざ俺に礼を云いに来たと云うことなのだろうか。
「それから伝えたかったことは、もうひとつ、です」
「もうひとつ?」
「はい……。先程、貴方様の戦い振りを見せて頂きましたが――」
「ああ、うん……」
あまりスマートな勝ち方では無かった気がするので、ちょっとこそばゆい。
しかし村娘ちゃんは、お月様のような、控え目なのにクッキリと目立つ笑顔で、はにかんだ。
「そ、その……。とっても、素敵でした……っ」
「そ、そうかな……? ありがとう……」
ここまでの笑顔で、素敵と云って貰えるような内容だっただろうか?
すると、傍にいた長身の女性がコソッと耳打ちをしてくる。
「シーラでん……いえ、む、村娘ちゃん様は、貴方が自分の為に懸命に戦って下さったことが、嬉しいのですよ」
「もう……っ! マルヘリート先生! 聞こえておりますよ……っ!」
頬を赤くして、拗ねた様子を見せる村娘ちゃん。
この娘って、心を許している相手の前だと、年相応の女の子の姿になるよね。
ブンブンと振られる握り拳が愛らしい。
「あ……っ」
俺の視線に気付いた村娘ちゃんは、恥ずかしそうに俯いてしまう。
けれども、すぐに咳払いをひとつして、真面目な顔に戻った。
「――『あの子』は強いですよ?」
「うん。知っているよ」
或いは村娘ちゃんは、それを云いに来てくれたのかもしれない。
ピュグマリオンは強い。
少なくとも、俺よりも。
「マルヘリート先生は、『あの子』は危険だと仰いました。それは実は、わたくしも同じなのです。正直、面識のない方を悪し様に云うのは気が引けますが、あの方は、良くない感じがするのです……」
この娘って、確か第六感持ちだったよな。教師役の、マルヘリートさんも。
村娘ちゃんは目を伏せたまま、もう一度腰を折った。
「貴方様には本来、無関係の話ではありますが、どうかわたくしを、護って下さいませ――」
こんなことを云われたら、やらにゃしゃあない。
そもそもあのピュグマリオンからして、『不幸をバラ撒くこと』を公言しているのだから、排除せねば寝覚めが悪い。
問題は、勝てるかどうか。
それだけの、シンプルな結論だ。
※※※
試合場に到着した。
出入り口には騎士がいたが、中にはまだ、誰もいない。
これは観戦者が少ないとは云え、貴人が移動してくるから時間が掛かっているということなのだろう。
「私たちが一番乗りですね」
手を繋いだまま、フィロメナさんが云う。
俺も頷こうとしたのだが――。
「酷いなァ。ボクだっているのに」
「――ッ!?」
いつの間にか、俺とフィロメナさんの間に割り込んで来ていた者がいる。
それはあの、『白い子ども』に相違なかった。
俺の手は、気がつくとピュグマリオンの白い手を繋いでいた。
乳白色の、ちいさな手を。
「あ、貴方っ。いつの間に……!? ど、どうやって……!?」
「はいはい、離れて離れて。ボクとアルトの貴重な時間を奪うつもり?」
しっしと手を払う乳白色の子ども。
そいつは俺の手をしっかりと握りなおし、にんまりと微笑みかけてきた。
「やあ。さっきぶり」
「…………」
「どうしたのさ? 挨拶は大事だよ? 『また会えて嬉しいよ』くらいは云ってくれても良いと思うんだけどねぇ?」
言葉にならない。
どうやって、こんな状況を作り出したんだ……!?
「そんなにビビらなくても良いんだぜ? まだ試合前だから、痛いことはしないよ。あぁ、でも、また誰かと手を繋いでいたら、今度はつねるくらいはするかもしれないけどね」
ニヤニヤと笑ったまま、ブンブンと繋いだ手を振るうピュグマリオン。
やけにひんやりとした手だった。
柔らかくなかったら、無機物だと思うくらいの。
「さて。いい勝負にしようじゃないか。せっかくの人生なんだから、楽しまないと損だからね?」
ロルフとの実技も。
今この瞬間も。
俺はピュグマリオンの動きに対応出来なかった。
『勝利する』以前に、勝負になるのだろうか――。
「大丈夫だよ。手加減くらいはしてあげるからさ? 頑張って勝利をつかみ取って欲しい。ボクを倒せたら、ご褒美にキスくらいはしてあげても良いんだぜ?」
「へ、へぇ……。手加減は、してくれるのか……」
「うん。だって――」
「――――――――ッ!」
握られてきた手から伝わる魔力。
膨大でありながら、明らかに制限した量と分かる魔力。
アルト・クレーンプットを遙かに上回る、凄まじい量の魔力。
「舞台上で解放するだけで、キミは一発でリングアウトしちゃうだろ? 防げるって云うのなら、まあそれでも良いんだけどさ」
「…………」
こいつの言葉は、本当だろう。
この魔力量を放つだけで、俺はきっと負けることになる。
「だから、手加減。――魔力量も、使用する魔術も絞ってあげるよ。ボクからのキスを目指して、頑張って欲しい!」
「大した自信ですね。それで負けてしまったら、赤っ恥ですよ?」
僅かに引きつりながら、フィロメナさんが挑発の言葉を投げかけた。
赤い瞳が、ネコのように細まった。
「これはボクとアルトのゲームだ。『他者』の評価なんか、初めから必要としていない。もっと云えば、キミなんぞはお呼びではないんだよ」
風が吹いた。
いや、それは風ではなく、魔力の解放。
「きゃ……っ!」
それだけで、フィロメナさんは吹き飛ばされそうになる。
乳白色の子どもは、白い唇を皮肉げに歪めた。
「これを何とか出来ないなら、そもそもボクと戦う資格は無い。精々、遊んであげるくらいだ。尤も、キミは『遊ぶ』と云う領域にすら踏み込んでこられないけどね」
ハエか蚊でも追い払ったかのように、ピュグマリオンはフィロメナさんを顧みなかった。
俺に対して、ニコニコと微笑みかけてくる。
「じゃあ、ゲームを始めようじゃないか。敵対する立場ではあるが、心の底から応援するよ。――アルト、どうか頑張って!」
俺の頬にキスをし、離れていく『白い子ども』。
相手は俺の、遙か格上。
手加減されていても、勝つことは難しい。




