第五百八話 折れそうな心と、折れない心
ピュグマリオンは強い。
俺では勝てない。
到達したのは、極めてシンプルな結論だ。
あの妙な『瞬間移動』を使われてしまえば、実際に何も出来ないだろう。
粘水を出す時間的猶予はあるのか?
出せたとして、気付いたらそれをかいくぐり、目の前にいましたでは、対処のしようがない。
現状、アレをどうにか出来る絵が浮かばない。
(ひとつの可能性として――)
試合開始前の時点で根源干渉し、魔術そのものを使わせないという選択肢はあるにはある。
けれどもそれをやれば、俺の能力は白日の下に晒されてしまうことだろう。
クローステル侯爵や、カスペル老人に知られて、ただで済むものだろうか?
勝利と引き替えに、大きなものを失うのではないか?
いや、そもそもそれでも勝てる保証はどこにもないし、命のやり取りで無い以上、ピュグマリオンにも根源干渉を知られることになる。
他者を不幸にする――ヤツのあの言葉が、どこまで本気なのかはわからない。
或いは、単純な冗談かもしれない。
けれども。
そう、けれども、もし。
アレが本当に本音であったら。
将来的に俺は、あの白い子どもと、本気で戦う日が来るのかもしれない。
それを考えれば、俺の能力や奥の手は、この場で晒して良いものではないと思う。
もともと落ちようと思っていた試験で、殊更手札を晒すことは、出来ないだろう。
(しかし、そうなると――)
やれることを縛った上で、自分よりも格上の魔術師と戦うことになる。
ピュグマリオンの身体能力は極めて高い。
身体強化を使っても、上回れるかは、相当に怪しい。
つまり、そちらに活路を見いだすことも難しいのだ。
魔術においても武術においても、俺はヤツに及ばないだろう。
(どうしようもないな……)
いっそ、『前提』を変えるべきだろうか?
勝つことが出来ないのだから、はじめから『負けた後のこと』を念頭に置いて、敗北後の振る舞いを考えておくほうが、ある意味では利口なのかもしれない。
「…………」
俺の表情を見たフィロメナさんは、暗い顔をした。
「アルトくん、やっぱり、勝てそうにないですか……?」
「逆にお聞きしますが、フィロメナさんは、攻略方法が思い付きますか? もし思い付くなら、心の底からアドバイスが欲しいのですが……」
「……ごめんなさい。あんな人間離れした動きを見せられたら、打つ手がありません。手数が多いとか、一撃の威力が大きいとか、そんな事象が児戯に思える異能です。仮に絶対的な防壁を持っていても、意味を成さないかもしれないのですから……」
彼女も、同じ結論であるらしい。
まあ、あんなの、攻略法が思い付かんよなァ……。
宮廷魔術師様は、ため息を吐きながら云う。
「……あの『刹那の移動』が魔術によるのであれば、それは音に聞こえた空間魔術か、場合によっては神代の魔術と云う可能性すら、あり得るかもしれません。『古式魔術』ですら伝説の技法で、使える人間なんてまず存在しないと云われるのに、あんな反則じみた能力では――。流石は奥院が推薦するだけの子ども、と云うことでしょうか……」
「ははは。じゃあ、アレを何とか出来る人間は存在しないかもしれないってことですか?」
「――いえ。第四王女殿下ならば、おそらくそれでも勝つでしょう」
「――!」
フィロメナさんは、確信を持った瞳で云う。
あの能力を見てなお、村娘ちゃんの勝利を信じることが出来るのか。
それ程までに、あの天才は凄いということなのだろう。
ピュグマリオンの異能に比肩するか、凌駕する魔術を所持していると云うことなのだろうか。
(或いは、フィーなら。あの娘の習得している範囲の『古式』なら、戦えるかもしれないが)
残念ながら、アルト・クレーンプットは天才ではない。
俺の手は、きっとあいつに届かない。
トボトボと、自分の試験会場へと向かう。
その途中で、別の一団が実技試験を受けているのが見えた。
フィロメナさんは、力無く笑いながら云う。
「……ちょっとだけ時間がありますし、見ていきますか? 万が一にも、攻略のヒントが転がっているかもしれませんし」
フィロメナさんの声にも顔にも、力はない。
自分で云っていて、そんなことは有り得ないと思っているのだろう。
だが、俺はその提案に頷いた。
攻略うんぬんではなく、気分転換になるかもしれないと考えたのである。
そこには――。
(イザベラ……っ!)
今まさに、実技試験を受けているドリルの少女の姿があった。
彼女の身体は、まことにちいさい。
背丈が低いというのもあるが、年齢がフィーと同じなのだ。
受験者の中では、ぬきんでて劣るのだろう。
加えて、彼女は魔術の勉強はしていたが、武術の修練は積んでいないはずである。
そんな噂話は聞いたことが無いし、俺も、この目で運動している姿を見たことがない。
そもそも一緒に遊ぶときもあるのだから、彼女の身体能力は、おおよそ把握している。
俺の見る限りでは、イザベラの体力は、年相応の少女のそれであろう。
「こちらの試験官も、ロルフ様と同じタイプのようですね」
つまり、叩きのめすタイプの人ということだ。
既に試合を終えたと思われる挑戦者たちの中には、目をこすりながら俯いている者もいる。
余程に厳しくやっているのだろうと思われた。
そしてイザベラは――。
「……あぅ……っ!」
受け身の訓練もしていない幼女が吹き飛ばされ、リングに叩き付けられていた。
彼女は、震えていた。
あんなちいささでは、痛みと恐怖は相当であるはずだ。
だが、彼女は立ち上がる。
立ち上がって、大の大人に挑み掛かっていた。
吹き飛ばされ、それでも立ち上がり、また向かっていく。
イザベラは泣いている。
それでも、決して挑むことを諦めなかった。
「……す、凄い根性ですね、あの娘。試験官のほうが、戸惑っていますが」
「誇り高くて、頑張り屋さんなんですよ……」
云いながら、俺も驚いている。
俺には、腹違いの妹がとても眩しく見えた。
戦力の差があっても。
どれだけ叩き付けられても。
そして、痛みを与えられても。
彼女は、勝ち目のない戦いに挑んでいるのだ。
(俺なんかより、ずっと強いな……)
イザベラは泣きながら、試験官に突進していた。
気がつくと自然に、「がんばれ」と、呟いていた。
やがて無傷であるはずの試験官は、肩を竦めて降参した。
あの誇り高い少女は、そうして自らの未来を勝ち取ったのだ。
「立派な子ですね。結局、ただの一度も魔術を使えませんでしたけど」
医療班が、ちいさな少女に駆け寄っている。
イザベラはかすかに笑い、気を失ったようである。
「おめでとう、イザベラ。それから……ありがとう」
「……? アルトくん、何か云いましたか?」
「――いえ、なんでも。さあ、行きましょうか。俺の試験が待っている」
あの少女は、勇気を示した。
きっとそれは、俺には無いもの。
けれど、願えば手に出来るもの。
遙か格上に挑むことに、最初から諦めていてはダメなのだと教えられた。
そもそも、俺は、あのエイベルの弟子なんだ。
彼女に教わった魔術に、傷を付けるわけには行かない。
あれこれ悩むのは、決着が付いてからで良い。
ちいさな少女に、大切なことを教えられた。
「――やるだけ、やってみようか……!」
あの娘のように、前へ……!
※※※
イザベラ・エーディット・エル・ベイレフェルトは、医務室ですぐに目をさました。
それは彼女の対戦者である試験官が、手加減も上手かったことを意味している。
しかしそれを知る医務室の看護師はそんなことは語らず、「凄いですね」と彼女に声をかけた。
「……私は、勇気を貰ったの」
短く。
本当に短く、イザベラはそうこぼした。
彼女の脳裏にあるのは、『ある少年』から貰った、起き上がりこぼしのこと。
あの木彫りの人形と、差し入れの食べ物に、どれだけの力を貰ったことか。
だから自分は倒れない。
倒れる訳にはいかないのだと、彼女は心の中で呟く。
自分の決意と、それを与えてくれた『切っ掛け』は、誰にも教えるつもりがなかった。
「……あいつ、驚くかしら……? 凄いねって、ほ、褒めて……くれるかしら……?」
知らずのうちに、イザベラの顔はほころんでいた。
彼女は知らない。
『褒めて貰える』と願う対象が、母でもなく父でもなく、そして祖父でもなく、屋敷中の人間に忌み嫌われている男の子の姿が、いの一番に浮かんでいたことを。
そして、アルト・クレーンプットも知らない。
彼女の頑張りの大元が、自分自身であったことなどを。
不器用な異母兄妹は、当人たちの知らぬ所で、互いの心を、支え合っていたのであった。




