第五百一話 連行先での出来事
連れて来られた先は、落ち着いていて、けれども品の良い二階建ての、館のような場所だった。
華美ではなく、ともすれば地味にも見えるだろうに、それでも全く貧弱さはない。
変に飾り立てた建築よりも、俺はこういう雰囲気のほうが好みかもしれない。
(気のせいかもしれないけど、そっと立っているだけの衛兵たちも、何となく手練れっぽく見えるぞ……?)
だとすれば、ここには凄い『大物』がいるのかもしれない。
引き返せるなら引き返したいが、今はそれも封じられている。
仕方なく付いていくしかない。
「マルヘリート様、アルト・クレーンプットくんをお連れしました」
「ありがとうございます。入って貰って下さい」
扉の向こうからは、落ち着いた女性の声が返ってきたが――。
はて、どこか記憶にある声だな?
通された先は、矢張り落ち着いていて品の良い応接室のような場所だった。
中央にテーブルがあり、お茶の用意がしてあるようだ。
そして、俺を出迎えたのは――。
(試験会場で見た、あの人だ……)
百七十を越えるであろう長身。
スラリとしているのに、ハッキリと目立つ腰の細さ。
足は長く、そして身体にフィットする魔導着の下から自己主張する女性の象徴。
だがそれよりも目を惹くのは、ヴェールに覆われたその『顔』だろう。
初段試験のときに平民マジシャンズに、「あれには絶対に手を出すな」と云われた、双杖の魔術師。
彼女が、そこにいた。
「久しぶり――と云うべきなのでしょうか? 私のことは、憶えておりますか?」
「はい。試験会場でお会いしましたよね?」
「ええ、その通りです。憶えていてくれて、嬉しく思います。――私の名は、マルヘリート。マルヘリート・ニリ・ファン・ステーンヴェルヘンと申します。以後、よしなに……」
「アルト・クレーンプットです。よろしくお願いします」
ぺこんと頭を下げながら、俺は思う。
(この人、名乗りに貴族称である『エル』が入ってないんだな……)
と云うことは、平民の出なのかな?
或いは、『別』の可能性もあるが。
「フィロメナ。ご苦労でした。下がって良いですよ?」
「いえ、ここにおります。アルトくんがいますので」
館に到着しても、ずっと放してくれていない手を、ギュギュッと握ってくるおねぃさん。
この人、フィロメナさんって云うのね。
と云うか、アブナイ人じゃないよね?
そういうのは、間に合ってるからね?
ヴェールで顔の見えないマルヘリートさんが、呆れたような様子で肩を竦めた。
「……気に入られてしまいましたか……。貴方も苦労しますね」
え? 俺に云ったの?
苦労するって、一体何さ?
マジで、アブナイ人なんじゃないよね!?
ちょっとさァッ!
フィロメナさんも、その怪しい微笑みは何ッ!?
「――さて、貴方をここに呼んだ理由ですが……」
そのまま話進むの!?
「まずは――近習試験のことですね。シーラ殿下の為に、受けて下さってありがとうございます」
いや……。侯爵に強制されたからなんだけどね……。
村娘ちゃんとは『友だち』であれれば良いんだから、近習になる必要なんてないだろうし。
「そして、試験を受けて頂くに当たって、個人的なお願いがあるのです」
「願い、ですか……? それって、後ろ暗い話じゃないですよね?」
「ある意味では、非合法かもしれません。ですが、重要なことです」
「…………」
「そう構えないで下さい。これは、シーラ殿下の教育係としての、私からの願いなのです」
「――!」
この人、あの村娘ちゃんの師なのか。
確かあの娘は自分の先生のことを、「大変優れている」と云っていたはずだ。
あの天才の師で有り続けていると云うだけで、この双杖の魔術師が、傑物であると云うことがわかる。
(そんな人が、俺に頼み……?)
このヴェールの魔術師さんからは、イヤな感じがしない。
そもそも、イヤな人なら、村娘ちゃん本人や、あの娘思いの優しい王妃様が、第四王女の身辺に近づけるはずがないか……。
話を聞いてみるくらいなら、良いかもしれない。
尤も、人格の善し悪しと、話の内容の重大さは別だろうから、しっかりと吟味せねばならないだろうけれども。
「近習採用試験は、いくつかの部門に分かれます。魔術や武術、それから学問と云ったような」
それはある意味で、当然の話なのだろう。
近習は多様であるべきであって、脳筋しかいません、では成り立たないだろうから。
「貴方に受けて頂くのは、『魔術』の分野になりますが、そこで負かして欲しい者達がいるのです」
「負かす? それは、試験官をと云う意味でしょうか?」
「いいえ。受験者を、です。――試験は本来、受験者同士で競うものではありませんが、そこは一国の王女の傍に仕える者を決める場所。理由をこじつけることくらいは出来ますから」
「――つまり、落第させたい奴がいると?」
ヴェールの魔術師は、しっかりと頷いた。
「有り体に云えば。……しかし本来、試験は公平なものでなければなりません。そうでなければ、殿下の御名にも傷が付きます。ですので、私にとれる手段は、合法のうちで最強のカードをぶつけること――即ち貴方です。アルト・クレーンプット」
俺が『最強』判定では、この国の未来も暗いと思うが。
しかし、そこまでして負かしたい相手というのは、何者なのだろうか?
「ひとりは――まぁ、本当に個人的な理由なので……。簡単に云えば、天狗になっている子がいるので、鼻っ柱を叩き折って欲しいと云うことですね。『負けたほうが本人の為』と云う場合も、教育には多々ありますので……」
「はぁ……?」
何だろうね?
言葉通り、本当に個人的な感じの口調だ。
ちょっと困った風な様子で、マルヘリートさんは説明している。
昨年の七月にセロに行った折に、シャーク爺さんからブレフの奴を負かして欲しいと云われたことがあったが、あの時に近い感じだ。
「なので、片方は問題ありません。――重要なのは、もう一名のほうです」
「そちらが本命なんですね?」
「ええ。――ところで貴方は、シックスセンスと云う能力はご存じですね?」
「一応は」
別名を、第六感。
インチキじみた、危機回避の能力。
あるだけで厄介という、破格の異能だ。
同時に、敵に回したくない能力でもある。
「えぇと……。まさか相手は、その第六感持ちってことなんですか?」
「不明です。持ってないことを祈るばかりですね」
不明か。
ならば何故、この人は第六感の話題を?
「シックスセンスは、私が所持しているからです。と云っても、そこまでの精度ではないのですが」
うわぉ、この人が第六感持ちかよ。
そりゃ手を出すなと云われるわけだ。
この人の魔術の腕がどれ程かはわからないけれども、第六感を持っているというだけで、もう強者たり得るのだと云いきれるだろう。
尤も、トルディさんの同居人の脳天気エルフ――ピートロネラみたいのなら、そこまでの脅威にはならないのだろうけれども。
マルヘリートさんは、居住まいを正して、続けた。
「――その私の第六感が、『あれはダメ』だと、感じた者がいるのです。あれは絶対に、シーラ殿下に近づけるべきではないと」
「……受験者ってことは、まだ未成年ですよね? 何者なんです?」
「……わかりません。ですが、一筋縄ではいかない相手だと云うことは断言出来ます」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。近習試験の受験者ってことはつまり、第四王女殿下の傍に立つ可能性があるってことですよね? なのに、『わからない』って、おかしくないですか? 身元調査なり、身元引受人なりをハッキリさせることは、前提として最重要でしょう?」
俺が驚いていると、手を握ったままのフィロメナさんが、初めて笑顔を消して、難しい顔を作った。
「身元引受人ですか……。ある意味で、誰よりもしっかりとしていますよ。――その子どもは、王立魔導機関、直々の推薦ですから」
「え、それって――」
宮廷魔術師であるフィロメナさんも、広い意味ではそちらの所属になるのでは?
「広義的には、私も所属します。ですが、『触れることの出来ない部署』と云うのも、またありまして」
裏機関みたいなものがあると?
その『相手』とやらは、そこが押し込んできたと云う訳か。
(おいおいおいおい。マジもんの厄介ネタじゃねーか……!)
困るぞ、そんなところと係わるのは。
俺が青ざめたからだろう。
双杖の魔術師は、落ち着かせるような声で云った。
「難しく考えなくて良いのです。貴方はただ、突如競うことになった同じ受験者を打倒するだけで良いのですから。『そこから先』は、ありません」
つまり、変なしがらみは、そっちで断ち切ってくれるってことか?
うぅむ……。
その言葉が本当ならば、そこまで危険はない――のか?
(あ、そうだ)
突如俺は、ピーンと閃くものがあった。
ある意味で、最重要な確認事だ。
「えぇと……マルヘリートさん」
「何でしょうか?」
「少しばかり、卑しい話をしても良いでしょうか」
俺がそう切り出すと、前の女生と隣の女性が、同時に頷いた。
こちらが何を云おうとしているのかが、わかったみたいだ。
「――報酬の話ですね。それは当然の要求です」
マルヘリートさんは、そう云い、
「なんでしたら、お姉さんがどこかへ連れて行ってあげましょうか?」
フィロメナさんは、キラキラした目でそんなことを云う。
「実は、三月にエルフの商会が、大浴場をリニューアルオープンするみたいなんですよね。そこは、大人から子どもまで楽しめる夢のような場所になるのだと。――一緒に行ってみますか? この辺りでは見られない、珍しくて可愛い動物もいるみたいなんですが」
いえ、俺、今日はそこからやって来たので。
「報酬は、成功したらで構いません。王立魔導機関推薦の相手では、俺程度では勝てないかもしれないので」
「巻き込むのはこちらですので、成否を問わず報酬は支払わせて貰います。――それで貴方は、何を望まれますか?」
「それは、受け取るときに申請させて貰いますよ」
今云い出すのは、ちとマズいだろうからな。
(――うん?)
そこに、奥からメイドさんが出て来た。
それ自体は珍しいことではないのだが、このメイドさん、どこかで見た記憶があるが。
彼女はヴェールの魔術師に近づくと、ぽしょぽしょと耳打ちをした。
「もう焦れちゃったのね……。仕方がないですね」
マルヘリートさんは苦笑しているようだった。
しかし、なんだかとても温かい感じだ。
余程に親しい者に向けるかのような感情に見えるが。
彼女は俺に向き直った。
「――アルト・クレーンプットくん。実は貴方に、どうしても会いたいと云う方がいるのですよ」
え?
この奥に、まだ誰かいるの?




