特別編・東天紅
更新回数500回記念特別編です。(話数はまだ、500じゃないですが)
俺がまだ地球にいた頃。
そして、十代の時。
無意味に、深夜の街を歩くのが好きだった。
いつもと同じ道。
そして、いつもと同じ街。
けれども、時間と明暗で、見える顔がまるで違って。
それが何とも、心地よかった。
特に、冬の寒さが好きだ。
キンキンとよく冷えて。
身体は凍えるのに、頭のほうはスッキリして。
夜に出歩かなくても、ベランダから冷たい外を眺めるのが好きだった。
時は流れ、年齢が変わり、名前が変わり、そして住む世界が違っても。
それでも俺は、冬の夜がたまらなく好きなようだ。
「……リュシカは寝た?」
「もうグッスリだよ。フィーも、ノワールもね」
そして、今。
俺は大切な先生と、夜の庭にある。
余人はいない。
俺とエイベルのふたりだけだ。
それはまるで、この世界に俺とエイベルしかいないかのような錯覚があって。
遠い静寂が、ちいさな師弟を包んでいる。
「……ん」
エイベルは庭のテーブルに、そっとマグカップを置く。
それは、師の淹れてくれる紅茶。
この寒さの中での、数少ないぬくもりだ。
「ありがとう。――うん。美味しい」
「……ん」
俺の言葉に、こつんと身体を寄せてくるエルフ様。
エイベルもなんだか、幸せそうで嬉しそうだ。
こちらぬくもりも、また愛おしい。
今日この時間は、一年の終わりと始まり。
大晦日のカウントダウンを終えた後だったのだ。
「……フィーは、今年も力尽きていた」
エイベルは、俺にしかわからないような微笑で云う。
うちの妹様は毎年、
「ふぃーも! ふぃーも一緒に、カウントダウンする!」
そう誓うのだが、果たせずにいる。
『サンタの捕獲』と同様に、深夜が来る前に眠ってしまうのだ。
眠ってしまうと云えば、それはマリモちゃんも。
彼女は闇の純精霊で、従って本来は夜行性だ。
けれども母さんと一緒に規則正しい生活を行っているノワールは、きっちりと夜に寝て朝に起きるというサイクルで暮らしている。
「……あの子たちは、よく食べていたから」
エイベルはおだやかに笑う。
クレーンプット家では、年越し蕎麦ならぬ、年越しスープスパを毎年食べる。
母さんとエイベルが作ってくれるのだ。
今回も、また。
「フィーが食べまくるのはいつものことだけど、ノワールもたくさん食べてたねぇ」
ふたりとも食い過ぎでダウンしていたのは、ちょっと笑えないが。
「……精霊はもともと大食らい。ノワールの場合は、普通の食事を食べられるようになって舞い上がっているのもあるのだと思う」
マリモちゃん、ずっとうちの家族の食事風景を羨ましそうにしてたからなァ……。
「……アルは、下の子たちにかまけて、あまり食べてなかった」
「そうだったっけか……? どうにも夢中だったからな……」
前世でも、仕事が忙しくて食事が取れないことがザラだったが、生まれ変わってもその点は改善されていないようだ。
バカは死んでも治らないらしい。
「……しようがない子」
エイベルは困った奴だと云わんばかりに呟いて、そっと俺の髪を撫でた。
「……アル。少し待つ」
そして、屋内に入っていく。
暫く待つと、すぐにエイベルが戻って来た。
「おぉ、いい匂い……!」
年越しスパの材料の残りで、簡単な食事を作ってくれたようだ。
「……夜中だから、少しだけ」
「うん。ありがと、エイベル」
「……ん」
何でだか、作ってくれた方のエイベルが嬉しそうだ。
「フィーや母さんは、起きてこなかった?」
「……風の魔術で匂いも制御した。そうでないと、あのふたりは文字通りに嗅ぎつけて、起き出してしまう」
食い意地張ってるからなァ、あの母娘。
マイティーチャーの涙ぐましい努力に、思わずちょっと笑ってしまう。
さて、その息子も、ご飯を頂きますかね。
「うん、美味しい」
「…………」
うちのお師匠様は何も云わないし表情も変わらないが、それでもちょっとだけ、満足そうだ。
「……食べ終わったら、アルも寝ること」
「ん~……。それなんだけどさ」
「……?」
せっかくのことだし、久々に夜歩きしたいなと。
ストレートに云うのはアレなんで、ちょっと変化球を投げてみるか。
「寝るのはもう少しだけ後回しにして、俺、エイベルと初日の出が見たい」
変化球ではあっても、本音でもある。
この辺は、元日本人故か。
「……む」
マイティーチャーが、迷っている。
保護者としての側面が出ているようだ。
もう一押しするとしようか。
「頼むよ。俺、エイベルと思い出を作りたい」
「…………………………………………私、と?」
「うん。エイベルと」
「…………………………………………戻ったら、ちゃんと寝ること。あと、昼夜逆転になるのはダメ」
お許しが出たらしい。
そしてもちろん、これも本音だ。
初日の出を大事な人と一緒に見られるなら、それはきっと価値がある。
「……部屋から、写真機を持ってくる」
あ、撮るんですね。
※※※
先生と一緒に、夜明け前の道を歩いた。
辿り着いたのは、王都内にあって自然多く、見晴らしの良い場所。
前にぽわ子ちゃんと一緒に『星降り』を見た丘の近場。
余人のいない場所を、エイベルはチョイスしたようだ。
「綺麗なところだねぇ」
「……ん。王都の中では、良い部類」
エイベルは、いそいそとカメラをセットしている。
写真機にタイマーなんて機能は無いが、魔術で遠隔から押すつもりらしい。
「……もうすぐ、夜が明ける」
「うん。新たな年の、新たな朝の始まりだ」
東の天が、紅くなる。
丘の向こう側から、陽光が見えた。
「……アル。スイッチを押す」
近くに来て、と云うことらしい。
なので、そっと寄り添う。
「――エイベル。去年は色々とありがとう。それから、今年もよろしくね?」
「……今年も、は少し違う」
「うん?」
「……これからも、が正しい」
ああ、年で区切るなと。
その言葉に、エイベルの孤独を少しだけ垣間見たような気がした。
「うん。じゃあ、これからもよろしく」
「……ん。ずっと、一緒」
エイベルはそう云って微笑んだ。
少しだけ寂しそうで、でも幸せそうで。
どちらからともなく、師弟はそっと、手を握る。
――その写真は、ふたりだけの秘密。
どこまでも幸せで、でも、いつかは必ずなくしてしまう、そんな風景の一場面。
大切な人と、東天紅の、その下で。




