第四話 魔力と誕生
「……変換」
「あい!」
あれから俺はエイベルに魔術を習い始めた。
今やっているのは、基本技術の『変換』だ。
変換、と云うのは、魔力を炎や水に変える技術。
火球や水弾のように、魔力と云うものを物質や現象に変えて、現実世界に干渉する術法。
魔力は人が具備し、自然に満ちるものであっても、この世のものではない。
神や精霊、或いは幽霊のように、『向こう側』に属するエネルギーなのだ。
本来この世のものではないものをこの世に顕すには、この世のものに変換する必要が生じる。
それが最も根本的な火や水で、そういった根本的自然物への変換は比較的容易い。逆に根本から遠く離れた人工物への変換は極めて難しくなる。
変換せずに魔力そのものを放つことは、大変な浪費とされる。
この世のものではないものをこの世に放つと、たちどころにかき消えてしまうからだ。
当然、生のままの魔力は大した威力とはならないし、現実世界への干渉力はおしなべて低い。だから実際に使うなら、変換が出来ることが基本となる。
しかし、ひとつだけ例外がある。それは、魔力が巨大な場合だ。
大きな魔力は即座には消えず、消滅までの間に現実に干渉させることが出来る。燃費が悪すぎて殆ど意味がないそうだが。
(俺が羽を動かすだけで汗だくだったのは、そういうことか……)
重い荷物は腕力があれば動かせるが、吐息で動かすのは不可能だ。
変換が腕力。吐息が生のままの魔力と考えると、その無茶さが分かるだろう。
しかし俺がやっていたのは『そういうこと』らしい。
「……魔力の基礎トレーニングは、そのままで良い。信じられないことだけど、アルは『魔力の根本』そのものを取り扱うことに適性がある」
生のままの魔力を使うことは消耗と負担が大きすぎるので本来はやってはいけないことなのだそうだ。
だが、現状で出来ているなら、そのまま鍛えていく方が魔力量のアップに適しているとかなんとか。重りを背負って筋トレするようなイメージと云えば良いのだろうか?
何にせよ、エイベルの指導は的確で、他に魔術の師を持たない俺から見ても、優秀な先生なのだとわかる。
おかげで俺の魔術のレパートリーは格段に増えた。
念願だった火やら水やら光やらを操れるようになったのだから。
そして当然の帰結だが、俺が魔術を行使出来ることが公然となった。
訓練は庭でやっている。だから、いやでも使用人達の目にとまる。これはどうしたって隠しようがない。それは当然、ベイレフェルト家にも知られてしまったと云うことだ。しかし、この辺はトレードオフだと割り切るしかない。魔術の勉強は絶対に必要だったのだから。
ただ、懸念材料が増えたのも事実だ。
俺は既に読み書き算術が出来るせいで『天才』とか『神童』とか過大な評価を受けてしまっている。そこに魔術の素養があることが加わった。
実像はどうあれ、端から見れば途方もない麒麟児なのだろう。これでは警戒されない方がおかしい。
冷遇している妾腹が優れている(ように見える)のは、古今争いの種となりがちだ。余計なことにならないことを切に願うばかりだ。
ベイレフェルト家に子供が生まれた時、いちいち俺と比較されて生きることになってしまう。俺の存在そのものがトラブルの種になってしまっている。
(その子に、逆恨みとかされなきゃ良いけど……)
そう。子供だ。
母・リュシカだけでなく、正夫人・アウフスタも現在妊娠中。
向こうでは大喜びの大騒ぎであり、俺以上の天才であることを期待されているのだとか。
気の早い話だが、すでに多くの家庭教師をそろえているらしい。
最初から期待を押しつけられているその子は気の毒だと思うが、その余波がこちらに来ないでくれるとありがたいのだが。
で、もうひとりの妊婦。うちの母親の話。
こちらもこちらで、問題があった。
お腹は順調に膨らんできているが、時折、強い痛みを訴えるようになった。
苦痛に顔を歪めて、自らのお腹をさすっている。
久しぶりに見かけた父親は青い顔で医者を捜し始めたし、いつも無表情のエイベルが眉根を寄せているのが気に掛かる。
「……不味いかもしれない」
一日、エイベルはそう呟いた。
「なにがまずいのー?」
少しずつ流暢に喋れるようになっている俺は質問する。
このエルフは主語を省くことが多い。だから色々と分かりづらい。
「……リュシカのお腹。あれは多分、中の赤ちゃんが原因」
「どゆこと?」
エイベルは痛みの理由を知っているようだった。
訊くと、過去にもこう云った事例があったのだと云う。
「……赤ちゃんの魔力が強すぎる。胎児のうちから無意識に高濃度の魔力を放ってしまっている。成長に従い、その影響力も害を為す程、強くなるはず」
「かーさん、どうなるの?」
「……こう云ったケースの場合、母子共に死亡する。助かったパターンを見たことがない」
「……!」
そんな。
俺の頭がぐらりと揺れた。
「……今はまだ、痛いだけ。けれどそのうち内出血が始まる。次いで内臓が融解し、最終的には母体が魔力の膨張に耐えきれず、内部から破裂する」
「たすけるほーほーは!?」
「……知らないし、聞いたこともない」
エイベルは悔しそうに呟いた。
「なんでこんなことに……」
「……リュシカは魔術師ではない。けれど、『魔術師の母』としては桁の外れた才能があったみたい。貴方を産み、そして我が身を滅ぼす程の子が出来たのだから。けれどそれは、人の領域を越えていた」
俺は居ても立ってもいられなくなって、母さんの元に駆け出した。
「あら、アルちゃん。どうしたの?」
事の重大さも知らず、魔力の痛みもあったりなかったりの母さんはのんきに本を読んでいた。
身に起こっていることを知らぬ者の気楽さだ。
「かーさん、からだは!?」
「今は平気よ? なぁに? 心配してくれているの? お母さん、嬉しいわ」
にこにこと笑う母さんに無遠慮に近づいて、そのお腹を撫でた。
まるで取り外しの出来ない爆弾を抱えているようなものだ。
「この子が気になるの? そうよね、貴方の下の子だものね。健康に産まれてくれれば良いのだけれど」
愛おしそうに自分の腹を撫でているその姿を、直視できない。
(エイベルは俺に魔力の根本そのものに係わる資質があると云った。なら、内部の様子が分からないものだろうか?)
目を閉じて、魔力を感じてみる。
「――なっ!?」
驚いた。
濃密だった。
バカみたいに強大で多層的な魔力が、渦になって蠢いているのが分かった。
それらは膨張を続けている。腹というドームに納めるには、あまりにも大きすぎた。
(母さん、こんなのがお腹に入っていて、何で平気なんだ!?)
いや、平気じゃない。だから死ぬのだ。
押さえ込めるだろうかと考えてみたが、即座に無理だと分かった。
津波を戸板一枚で防ごうとするようなものだ。
「……だから無理だと云っている。仮に何らかの方法で押さえ込めても、何も解決はしない。魔力は出続ける。大元が内部にある以上、必ず決壊する」
「あらエイベル。貴方も来たの? ふふふ。私の子供が気になるのかしら?」
いつの間にか後ろにエルフの少女がいた。母さんは赤ちゃんがいることが誇らしいのか、得意顔で笑っている。
だが、俺とエイベルは笑うことが出来ない。
もう一度、母さんの内部を覗いてみる。
何か分かることはないだろうか、助ける手がかりはないだろうかと考えて。
(大元……。エイベルの云う大元はどこだ……?)
魔力の渦の中心部。
そこに意識を合わせる。
「――!」
見られた。
渦の中心。
胎児の意識が、こちらに向いている。
(俺をジッと見つめている。けれど、いやな感じはしない……)
恐る恐る魔力を手のように伸ばしてみる。
すると胎児の意識は、しっかりと『俺』を掴んだ。
(繋がった……!)
バカみたいな魔力があふれ出てくる。俺は戦慄した。
(おいおいおいおい! なんて力だ! このままじゃ、俺が魔力に呑まれて破裂死するぞ!?)
魔力と同時に、俺のものではない感情が流れ込んでくる。
こわい。
さみしい。
いたい。
たすけて。
その声に、俺は正気を取り戻す。
この胎児も自分の魔力が恐ろしいのだ。命の危機を本能的に感じているのだ。
俺はこの時、初めて『この子』に感情が向いた。
今の今までは母さんを救うことだけを考えていたが、『この子』は俺の弟か妹だ。
なら、助けてやらないといけない。
幸い、『この子』の放つ魔力は真っ直ぐに俺に向かっている。
俺に縋り付いているのだ。だから、真っ直ぐ。一直線に。
(もしかしたら、俺を通路にして余剰魔力を外に出せるかもしれない)
そんな風に閃いた。
魔力を防ぐのではなく、導く。
外に排出させてしまえば、この世のものではない魔力は霧散するはずである。
でも、こんな量の魔力を通して、俺の身体は無事でいられるだろうか?
正直、怖い。
けれど、やってみる価値はあった。
(こんな感じで、どうだ!?)
順路であること、ただそれだけに専念する。
伝わってくる魔力量は凄まじかったが、一方で導きやすかった。
似ている――のだ。
多分、肉親だからだろう。『この子』と『俺』の魔力の質は、呆れる程にそっくりだった。
だからまるで自分の魔力のように方向性を自在にコントロールできるし、身体を傷つけないで済んだのだと思う。
俺の身体を通って不要な魔力が流れ出る。
「……嘘」
エイベルが信じられないと云った様子で俺を凝視した。
そういえば、彼女は魔力を感知できるんだったか。だから俺がやったことが分かるのだろう。
エルフの少女は即座に手をかざして、腹の外に出た無色の魔力を粉砕した。
この世のものではない魔力は、確かに外に出れば消滅する。しかし、魔力の量によっては瞬時に、とは行かない。
炎天下の氷と同じだ。
かき氷のように小さく細かいものならば、即座に溶けて残らない。けれどそれが巨大な氷柱だったらどうか?
何日も何日も溶けずに残るし、人にぶつかれば命を容易く奪うだろう。
魔力の放出もこれと同じだ。
俺は導くことは出来ても、排出量は制御出来ない。
もしもこれが母さんにぶつかったら、大変なことになってしまう。
それを分かっているから、エイベルは細かく砕いてくれたのだ。
こんな巨大な魔力の塊を壊す力は俺にはない。彼女がいなければ『救助作業』は中途半端なものになってしまっただろう。エイベルには感謝だ。
なんにせよこれで母も子も助けられる。
そのことに安堵した。
この共同作業は、『この子』と『俺』が通じ合い、エイベルがいてくれたから可能だったと云うことだ。
「あら? なんだか身体が楽になったわ?」
何も知らない母さんは、のんびりと喜んでいる。
それで良いと思う。身重なのだ。無駄に心労を掛けさせるつもりもない。多分、エイベルも同じ気持ちだろう。
……それから数ヶ月にわたって、この『救助作業』を繰り返した。
やることも方法も分かっているので、初回以外は呆れる程に楽だった。
そうして、『その子』は誕生した。
俺よりも二歳年下の女の子。
最愛の妹。
共にある家族。
桁外れの魔力を持った、ちいさなちいさな赤ん坊。
その名を、フィーリア・クレーンプット。