第四百九十三話 帰還後
神像を取り戻し、ファンクラブを解散させ、水色ハウスへと戻る。
そこでお風呂を借り、服を洗濯し、やっと元の姿に戻れた。
「にーた! ふぃー、サッパリした!」
我が家の女性陣は、皆お風呂大好き。それはこの娘にも受け継がれている。
妹様は上機嫌に俺に抱きついて、ふへふへと笑っている。
この娘がご機嫌なのは、何もお風呂に入れたからだけではない。
その理由は、『ごちそう』にあった。
我らが友である水色ちゃんに、マイマザーがある食べ物を作ってあげる予定だったのである。
その食べ物はフィーの大好物なので、こうしてうちの天使様は、上機嫌になっているわけだ。
マイシスターは、何を食べても『美味しい』としか云わないのだが、それでも今日の料理は特別であるらしい。
それというのも……。
「あの……フィーちゃん、その食べ物、そんなに美味しいのです?」
「世界一美味しい! それ、にーたが、ふぃーの為に考えてくれたもの!」
「ふぇぇっ!? お兄さん、ご飯作れるですか!?」
「少しだけね。母さんのほうが上手だよ」
水色ちゃんが、キラキラおめめで見つめてくる。
本日母さんが作ろうとしているものは、お子様たちの大好物。
ハンバーグこと、ソフトステーキである。
前述の言葉の通り、フィーはこれがナンバーワンの食べ物だと認定している。
それは味によるのではなく、『俺がフィーの為に作った』という理由によって。
「……でもプリンは、アルが私に作ってくれた……。私の為に……」
端っこのほうで、ひとり呟くエルフの高祖様。
そんなことで張り合わなくてもよかろうに。
「ソフトステーキ、世界で一番のごちそう! マイムちゃんも、絶対気に入る!」
不肖の兄に抱きついたまま、ぴょこんぴょこんと飛び跳ねるマイエンジェル。
一方、マイムちゃんは神妙な顔で頷いている。
「皆さんの持ってきてくださったお菓子は、ほっぺが落ちるくらいに美味しかったのです……! なのに、フィーちゃんはこれから作るごちそうを、『世界一』と云いきりました! 一体、どれ程美味しいのでしょうか……!」
「……プリンやイチゴのほうが上だと思う」
矢張り、ひとり呟くエルフ様。
まあ、何が好きかなんて、結局個人の問題だしねぇ。
けれども、水色ちゃんもハンバーグを気に入ってくれたら嬉しいな。
「うっふふふ~~~~っ! 材料はたくさん持ってきたから、いっぱい食べてね?」
どうせ匂いに釣られたコロボックルたちが乱入してくるだろうからと、食材はたっぷり用意している。
俺と母さんで取りかかれば、ササッと作れることだろう。
「はい、はーい! ふぃーも! ふぃーも作るの手伝う! ふぃー、少しでも、にーたのお役に立ちたい!」
「お? フィーも手伝ってくれるのか。じゃあ、よろしくな?」
「任せて欲しいの! ふぃー、にーたのために、がんばる!」
この娘の動機は、いつでも『俺』なんだねぇ……。
※※※
「ふ、ふわわわわわわぁ……っ!」
「おいしそう? これ、とってもおいしそう!?」
「いいにおい? いいにおい!」
いつの間にやらやって来ていたコロボックルたちと、主賓である水色ちゃんが、ハンバーグを前に目を輝かせている。
ついでに云うと、うちの妹様と末妹様もよだれを垂らしておりますな。
だが、ちびっ子たちを引きつけているだけあって、ハンバーグは良い出来に仕上がったと思う。特に、デミもどきソースの匂いがいい感じだ。
「フィーが頑張ってくれたおかげで、上手に出来たな?」
「ふへへへ……っ! ふぃー、にーたに褒められた! ふぃー、嬉しい! ふぃー、ソフトステーキ好き! ふぃー、にーたが大好き!」
デレデレ状態でもちもちほっぺを擦り付けてくるマイエンジェル。
その手にはしっかりとお箸が握られており、早く食べたくて仕方がないという様子だ。
「ふぇ? お兄さんもフィーちゃんも、その木の棒で食べるのですか?」
「木の棒、違う! これ、お箸云う! これも、にーたが作ってくれた! 色々便利!」
「…………」
水色ちゃんは、自分の前に置かれているフォークとスプーンを見つめている。
そして、顔を上げた。
「わ、私も、そのお箸と云うのを、使ってみたいのです」
「お箸は難しいわよぉ? とってもね」
当家でお箸を使う事を挫折した母さんが、ちょっと困った顔をしている。
この人は膝の上にマリモちゃんを乗せて、手ずからハンバーグを食べさせてあげる体勢だ。
「まあ、取り敢えず普通に食べてみてよ。お箸が使いたいなら、それから練習すれば良いからさ」
母さんの云う通り、お箸って難しいからね。
まずは普通に、ハンバーグを食べてみて欲しい。
フィーもコロボックルたちも、我慢に限界が近いようだし。
「ふん……! 干した果物よりも美味しいものがあるとは、とても思えませんけどね……」
クピクピはそんなことを云っている。
ちなみに、彼女はプリンも食べていない。
彼女の分は用意してきたが、コロボックルたちに強奪されたからだ。
「じゃあ、いただきましょうか?」
「はーいっ!」
母さんの号令に、皆が元気に返事をし、食事が始まった。
水色ちゃんはお箸が後回しになったことがちょっとだけ残念そうだったけど、すぐにハンバーグに心奪われ、そっとそれを、ちいさなお口へ運んでいく。
「――――~~~~……っ!」
そして、口元を押さえて、ふるふるとちいさな身体を震わせる。
向こうにいるクピクピの様子も、似たようなものか。
「お、おいしーーーーっ! これ、ものすごくおいしーーーーーーーーっ!」
「なにこれ、なにこれ!?」
コロボックルたちの反応はストレートだな。
まあ、ハンバーグは『お子様特攻』料理だから、無理もないが。
「うふふ~? ノワールちゃん、おいし?」
「あきゃっ!」
マリモちゃんに食べさせている母さんも笑顔で、母さんに食べさせて貰っているマリモちゃんも笑顔だ。
このふたりの場合は、行為そのものを重要視しているのであって、味は二の次、三の次なんだろうな。
「お、お兄さん、このそふとすてーき? 本当に美味しいのです……っ! フィーちゃんの云う通り、世界で一番、美味しいのです……っ!」
マイムちゃんにも『刺さった』か……。
うちの妹様が友人の言葉を聞いて、むふーっと得意げにふんぞり返っている。
ああ、ほら、口に付いたソースは拭きなさい。
「…………っ!」
一方、クピクピ先生も、向こうでワナワナと震えている。
驚愕の表情を浮かべながらも手が止まっていないから、まあ気に入ったのだろうよ。
「…………」
そして、無言で立ち上がってこちらへやって来るのは、水色ちゃんのマザー。
先代キシュクード主にして、ペコペコたちに敗走を重ねていた、ニパ様である。
彼女は我らクレーンプット家の前に立って云った。
「この料理の作り方を教えなさい。――いえ、教えてください」
こちらを見おろすその真顔は、一種異様な迫力に満ちていた。
「お、お母様……?」
水色ちゃんが、戸惑っている。
それだけ、先代様の目は真剣だったのだ。
「……マイムがこんなに笑顔になる食べ物を、私は見たことがありません」
クッキーとか、普通に笑顔で食べておりましたが。
「だから私は、この娘に、このソフトステーキを作ってあげたいのです」
相も変わらぬ、娘好きだね。そういうことなら、教えることはやぶさかではない。
でも肝心の材料は、この島にあるのだろうか?
「それは、『外』で買ってきます。私なら、南大陸までひとっ飛びで行けますから」
そこまでするのか。
まあこの人は過去に人間のフリをしていたことがあるみたいだから、人間世界へ紛れ込むのもお手の物か。
「お母様……。ありがとうございますです……!」
「マイム、貴方はこれからも、ずっと笑顔でいなさい。いえ、いて良いのですよ」
そう云って、先代島主は、当代島主を抱きしめた。
殊更『笑顔』を持ち出すあたり、『メジェド様騒動』で水色ちゃんが曇っていたことを気にしていたのかもしれない。
それに、大切な家族が『笑顔でいてくれること』が嬉しいのは、俺も思っていることだ。
「美味しいっ! にーた、ソフトステーキ、本当に美味しいっ!」
たとえばこの娘は、無条件で笑顔でいて欲しいと思う。
いや、いるべきだと。
「お兄さん、私に、お箸の使い方を教えて下さいです」
「そう――だね。じゃあ、教えてあげるよ。それから、後でマイムちゃん用のお箸も作ろうか」
「は、はい! よろしくお願いしますです……っ!」
「おにいさん、だっこ……」
島の神殿の中では、皆が笑顔。
そんな当たり前の光景こそが、きっと無上の価値を持つのだろう。
俺が見たかったキシュクード島の景色が、確かにそこには存在していた。
※※※
「ペコペコ~。あの人たち、帰っちゃったねー」
「私たち、これからどうする? どうする?」
「どうもこうもないわ! ファンクラブが解散した以上、以前の通りに聖域のために尽くすしかないでしょう?」
「そうだよねー。それしかないよねー」
元メンバーたちが、バラバラと散っていく。
ペコペコは無心で、神殿内部の掃除を続けた。
そのとき。
「……ん? 何、あれ?」
そこには、今まで見たことのない『何か』が飾られていた。
ペコペコは不思議そうに近づき、間近にそれを見る。
「こ、これは……っ!?」
そこにあったもの。
それは、ぷくぷくと丸い、海鳥の像。
今にも動き出しそうな程の躍動感と力強さを併せ持った、精密な像であった。
それは今まで見てきた『白き神』の像を上回る出来映えであった。
無論彼女は、それが『制作者』の技量が一年を経て上がった為など知る由もなく。
ただ単純に、『メジェド神を越える存在』と理解したのであった。
「み、皆、た、大変よ~~~~っ!」
ペコペコは血相変えて、外へと駆けて行った。




