第四百九十二話 山頂の決着
「ア、アルちゃん、あれはちょっとマズいんじゃないの……?」
巨大な泥玉を見て、母さんも困惑している。
この人の場合は、勝ち負けではないだろうな。
子どもたちが怪我をしないかどうかを気にしているに違いない。
案の定、ペコペコに向かって大声を出した。
「やめなさい、危ないわよ! 怪我をしたらどうするのっ!?」
「ふふん、そんな言葉で、撤回なんてするわけ無いでしょう? 余程、このハイパーどろんこ弾が恐ろしいようね?」
コロボックルの首魁は、母さんの言葉を方便だと考えているようだ。
マイマザーは、そんなペコペコの言葉に眉根を寄せる。
「もう! すぐにやめないと、お仕置きするわよ?」
その言葉に怯えたのは、うちの妹様のほうである。
天下無敵のマイエンジェルも、母さんのお仕置きだけは恐れている。
うちの母さんってもの凄く甘い人だけど、叱るときは叱るからな。
俺は滅多に怒られないけど、天衣無縫なマイシスターは、はしゃぎすぎて怒られることが度々ある。
結果として、フィーは母さんのお仕置きに怯えるようになった。
「みゅ、みゅぅぅ……。にぃたぁぁ~……」
フィーは心細くなったのか、そっと俺に抱きついてきた。
でも大丈夫だと思うぞ?
今日はまだ、お前は母さんを怒らせてないからな。
「ぺ、ペコペコさん……っ!」
そこに一歩を踏み出したのは、マリモちゃんと手を繋ぎ、お花ちゃんを肩に乗せた水色ちゃんだった。
「き、危険です……っ! そんなものを使って、もし誰かが怪我でもしてしまったら……!」
「詐術で動きを封じようと? 少し卑怯ではないかしら?」
なら、あの立て札は。
「と、とにかく、その大きな泥玉はやめて下さい……っ! 危ないです!」
「ふんっ! もう遅いわ! 皆、やってしまいなさい!」
「はーい! ――えーい!」
ちいさなメジェド様たちは、一斉にでかい泥団子を押した。
投擲と違って全く扱い慣れていない為か、団子はあらぬ方向へと転がっていく。
「――あッ!? だ、ダメですぅ……っ!」
水色ちゃんはマリモちゃんの手を放し、必死の顔で走り出す。
懸命に駆けているのだろうが、やっぱり遅いな。
一呼吸遅れて、うちの家族も走り出す。
その方向はペコペコたちではなく、メジェド様像のほうでもない。
全く別の――あらぬ方角へと向かっていたのだ。
「あっはははは! 逃げるつもり!? それではたとえ泥にまみれなくても、敗走したという結果だけが残ることになるけれど!?」
首魁はサッと腕を振るう。
「さあ、追撃よ! 泥団子をお見舞いしてあげなさい!」
俺に出来ること。
俺のやるべきこと。
それは、みっつだ。
大の字に手を広げ、走っていく皆の盾になる。
「あーっ! 弱いヤツが邪魔してるぞーっ!?」
「なまいき? みのほどしらず? れんぞくとうてきで、たおしちゃう?」
「おにぃさん、だっこ……」
「ぶへッ!?」
容赦のない投擲だな!?
普通にキツいぞ。
ちびっ子たちは、俺を倒すことに躍起になっている。
しかしそこで、半分傍観者のルクルクが何が起きているのかを理解したようだ。
「あぁっ!? ペコペコ、ウサギさんが……っ!」
「ウサギ? 何ですって――えッ!?」
彼らの放った大きな泥玉は、こちらを見ていたウサギたちのほうへと転がっていた。
危機を察知したウサギたちはすぐにその場を離脱したが、回避しなかった――いや、出来なかった子が、ひとりだけいる。
それはあの、生まれつき足の曲がっていた個体だったのだ。
「た、たいへんー! たいへんだーっ!」
「このままだと、ウサギさん……! ウサギさんが……っ!」
はいはい、飛び出さないでね。
俺がここで大の字になっているのは、泥を防ぐ為だけでなく、キミらが向こうへ行って巻き込まれないようにする為なんだから。
「く……っ! た、助けなきゃ……っ!」
しかし、首魁のメジェド様が、間隙を縫って飛び出してしまった。
どうやら、ウサギが危機にさらされたことに対して、思うところがあるらしい。
果たして大きな泥玉は、ウサギのいたあたりの木に命中した。
「ああぁぁぁぁぁ~~~~っ!」
コロボックルたちから、悲鳴が上がる。
大きな泥の玉は母さんが心配した通り、巨大な質量と破壊力を秘めていたのだ。
「う、ウサギさん! ウサギさんがぁ~~~~っ!」
幾人かのコロボックルは絶叫した。
しかし首魁のペコペコは、それでも木の根の傍まで走り続けた。
俺も、それを追う。
――そこには。
「う、ウサギさん、大丈夫ですか?」
大きな泥玉の直撃を避け、足の曲がったウサギを抱きしめている聖霊様の姿があった。
わぁーっと、コロボックルたちから歓声が上がる。
「マイム様、凄いーっ!」
「ボク見た、ボク見た! マイム様、もの凄く速かった!」
「かぜみたい? かぜみたい? ぴゅーってしてた」
坂道から転がる泥の玉以上の速度で走れた水色ちゃんの奇跡に、皆が驚いているようだ。
「マイム様、マイム様ぁ! どうやって速く走ったのー?」
「おしえて、おしえて?」
「わ、私にもわからないのです……! 無我夢中だったのです……!」
水色ちゃんは戸惑いながらも、ウサギの背を撫でている。
あわや惨事ということを理解していないウサギは、気持ちよさそうに眼を細めた。
そんなマイムちゃんの許へ、メジェド様スーツを脱いだコロボックルたちが集っている。
どうやらこの一事で、彼女は彼らのヒーローになれたようだ。
「……ま、負けたわ……」
ひとりだけ離れた位置に立つペコペコが、ちいさく肩を落とす。
「私は、マイム様たちをやっつけることしか頭になかった……。でもマイム様は、この地に生きる者全てに、その目を注いでいた。ウサギを助けたのもそうだし、ハイパーどろんこ弾が危険と云ったのもそう……」
「マイムちゃんの美点は、そういうところだろう。かけっこが遅いとか、天気占いが当たらないとか、そんなことよりも、もっとずっと大事なところを押さえていると、俺は思うよ」
去年エイベルが、この島くらいは平和で良いと云った気持ちが、再び理解出来た。
こののどかな聖域の主は、矢張り彼女以外には有り得ないのだろう。
「…………」
ペコペコは俯いている。
でも遅れたとは云え、ウサギを助ける為に彼女も駆け出したのだ。きっと、根は良い子なんだろうよ。
これを機に、またマイムちゃんと仲良くしてくれると良いんだけどな。
(アルちゃん、アルちゃん)
俺に近づいてきた母さんが、小声で呼んでくる。
(母さん、何さ?)
(マイムちゃんが速く走れたのって、あれ、アルちゃんのおかげでしょう?)
(いや。あれは、あの娘の頑張りが起こした奇跡だよ。それで良いじゃないか)
何しろ、ここは『魔術禁止区域』だからね。
でも頑張っていた子には、風が後押ししてくれたんだろう、たぶん。
メジェド様の御利益があるとしたら、きっとそっちだ。
母さんは何故か上機嫌で、俺の頭を撫でた。
「にーた! 何か変な音が聞こえる!」
こちらに駆け寄って来た妹様が、そう指摘する。
何の音で、どこから聞こえて来ているのか?
それを探す前に、原因がハッキリとした。
複数の木が、倒れてきたのだ。
おそらくは、ハイパーどろんこ弾が命中した影響だろう。
「皆、逃げろ!」
云いきる前に、別種の奇跡が起きた。
ビデオの逆再生のように、倒れようとした木が戻って行ったのだ。
コロボックルたちも、そしてマイムちゃんも、それを見て驚いている。
「信じられません……! 木が、再生しています……っ!」
そんなことが出来る者がいるのか。
いや、いるのだ。
聖霊様の、肩の上に。
そこにはちいさな身体で懸命に力を使う、花の精霊の姿があった。
「クッカちゃん!」
母さんも、誰の力か思い至ったようだ。
お花ちゃんはもともと、聖域でも最も稀少な花の『素材』になるところだった少女なのだ。
特別に優れた力を持っていたとしても、不思議はない。
「す、すごいのーっ!」
「この娘凄い! 凄くない!?」
誰の力かわかったコロボックルたちが、お花ちゃんを褒めていく。
デビューがこれなら、きっとこの娘も、ここで仲良くやっていけることだろう。
マイムちゃんの頑張りと、クッカの起こした奇跡で、コロボックルたちの信仰と信頼は、再び聖霊様のもとに戻ることだろうよ。
お花ちゃんは、力を使い果たしたのか、眠ってしまった。
ちいさな身体に無理をさせるとよくないのは、氷雪の園で痛い程に学んだからな。
目を閉じる前にフィー経由で魔力をあげると、彼女は嬉しそうにそれを食べた。食欲があるのならば、一安心だ。
「おっと」
「きゃっ!」
クッカが眠った後に、背が低く細い木が一本だけ倒れてきた。
それは首魁の、ペコペコのところに。
俺はとっさに彼女を抱きかかえた。
「う、あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
木のサイズから、当たっても大ごとにはならなかったと思うが、まあ、ぶつからないほうが良いだろうからね。
「あ、貴方、ただ弱いだけじゃないのね……?」
「いや。ただ弱いだけだと思うよ」
少なくとも、何も活躍していないからね。
フィーとルクルクとマリモちゃんが、ズルいズルいと大合唱している。
マイエンジェルとルクルクは『だっこ関連』だろうが、マリモちゃんは、クッカに魔力をあげたことかな?
「貴方、や、優しいのね……」
「いや、全く」
それだけは断言出来る。
だって――。
「はい、アルちゃん」
「はい、母さん」
抱いているペコペコの身柄を、こうやってマイマザーに引き渡したのだから。
「え? な、何……? 何なの……?」
「ペコペコちゃんだっけ? 私は云ったわよね? お仕置きするって」
「え? えぇ~~……っ!?」
目を白黒させるコロボックルを見ながら、フィーが腕を絡めてきた。
「おかーさんのおしりペンペン、本当に痛い! ふぃー、あれ怖い!」
「い、痛い、痛い、痛い痛い痛いィィ~~~~っ! ご、ごめんなさぃ~~~~っ!」
山頂にコロボックルの少女の絶叫が響き渡り、凄絶なる戦いは終わりを告げたのであった。




