第四百八十八話 ちいさな動物と、ちいさな主と
小山といえど山は山なので、頂への距離はそれなりにある。
しかも向こうは駆けて行き、こちらは襲撃を警戒しての歩きなので、決戦の場まで追いつけることはないだろう。
けれども、聖域なので、景観はよい。
気分的には、ハイキングにきたような感じだ。
同行メンバーたちはコロボックルたちからの攻撃も忘れて、素直にはしゃいでいるように見える。
「あ! にーた! あそこっ! あそこに、ウサギさんがいるっ!」
俺の腕の中から景色を見渡していた妹様が、上機嫌に指をさした。
そこには、確かに二匹のウサギが居た。
あれ? ウサギの数え方って、『羽』が正しいんだっけ? まあ、『匹』で良いか。
そこにいた小動物はステレオタイプな形状で、ネザーランドドワーフに色も含めてよく似ている。
元日本人としては、ウサギのカラーリングは『白』が基本に思えるが、本来は白いほうが特殊なんだよな。
聖域には天敵がいないせいか、ウサギたちに逃げ出す様子はない。
俺の腕から降りた妹様が駆け寄って手を差し出すと、ヒクヒクと興味深そうに、その匂いを嗅いでいる。
「ふへへ……っ! 可愛い……っ!」
遠慮会釈もなく、一匹のウサギを抱きしめるマイエンジェル。
空いた俺の腕の中にマリモちゃんを預け、母さんももう一方のウサギを抱きしめる。
「ふふふ~……っ! 可愛いっ!」
表情と仕草が、娘さんにそっくりですね。
母さんは末妹様がショックを受けるより前にこちらへ戻って来て、マリモちゃんの前に、だっこしたウサギを差し出した。
「ノワールちゃん、ウサちゃんですよー?」
「あきゅっ?」
どうやら、動物と義理の娘をふれあわせるつもりのようだ。
マリモちゃんはちいさなおててをウサギに伸ばし、そっとフカフカの身体を撫でた。
「きゃーぅ!」
「ふふふーっ! 可愛いでしょう?」
「あきゃっ!」
目論見通り、動物に目を向けさせることに成功したようだ。
フィー同様、この娘にも色々な世界を見て欲しいということなのだろう。
子ども大好きな母さんらしい振る舞いだ。
「にーた! 大変! 大変なの!」
一方、上のほうの妹様は、先程までの笑顔を消して、ウサギを抱えたまま、俺のほうへと駆けてくる。
「うん? どうした、フィー?」
「にーた、この子、怪我してる!」
「怪我だって? どれどれ。――ん、これは……」
フィーが持ってきたウサギの足は、少し曲がっていた。
だがそれは怪我によるものではなく、生まれついてのもののように見える。
怪我ならばエイベルのポーションで治せるだろうが、これは無理ではないだろうか?
「にーた、これ、怪我じゃない?」
「みたいだな。これはたぶん、治せない」
「みゅぅぅ……。この足だと、走るの大変そうなの……」
悲しそうに呟くマイシスター。
確かに通常の野生下においては、この足ではたちどころに捕食されてしまうだろう。
だが、ここには前述の如く天敵がいない。
おまけにコロボックルたちも、動物を可愛がっているらしい。
だから、生存自体は今後も問題がないはずだ。
そのへんを、不幸中の幸いと思っておくしかないのだろう。
当のウサギ本人は周囲の心配など知らず、フィーに撫でられて、機嫌が良さそうだ。
「み、皆さん……っ! 待って下さいです……っ!」
そこに、背後から声が掛かった。
それはこの島の主である、頑張り屋さんの女の子に相違なかった。
果たして、振り返れば、息を切らせた水色ちゃんの姿が。
「ありゃ、マイムちゃん。どうしてここに?」
「は、はい……っ。皆さんが心配で、追いかけて来ちゃいました……っ!」
肩で息をしながら、俺たちに近づいてくる水色ちゃん。
出発前にエイベルから渡されていた水筒を差し出すと、彼女はお礼を云ってからコクコクと勢いよく飲み干した。その様子から、休まずに駆けてきたことがうかがえる。
「み、皆さんに話すべき大事なことが、ふたつあるのを忘れていました……っ」
彼女は口元ぬぐい、水筒を返してくると――。
「あっ! ウサギさんなのです……っ!」
すぐに別のものに目を奪われてしまった。
そして特に軌道修正せずに、そのまま逸れた話に乗っかるマイマザー。
「可愛いわよね~、ウサちゃんって。――この島にも、ウサギっていたのねぇ……」
「えと、これは、お母様が『外の世界』から持ってきたと聞いています」
「ニパさんが?」
「はいです。聖域には基本的に『異物』は持ち込んではいけない決まりがあるのですが、一方で新たなる発展の為には、新しい風も必要となるのです。数少ない『持ち込み品』の中から何を選択するかが、聖域の主に求められる重要な資質となるのです」
成程ねぇ……。
花の精霊であるクッカの移住の許可も、その一環ということなのだろうか?
しかし『ただのウサギを持ち込むこと』が、キシュクードの発展にどう関係があるんだろうか?
俺が質すと、水色ちゃんは照れたように顔を伏せた。
「その……。お母様が、私が誕生するときに、『娘のよき友となってくれるように』と考えてくれた結果なんだそうです……」
島の為ではなく、娘の為にと。
ニパさんらしいと云えば、らしいのか。
「生き物の持ち込みというのは、特に重要と聞いているのです。場合によっては環境や生態系が変わってしまいますし、その動物さんと島の環境が合わなければ、死んでしまうかもしれないので……」
確かに、『外来生物』の持ち込みは、一大事だからな。
各『聖域』が基本的に閉鎖的なのは、何も人間の目から逃れる為だけ、というわけでもないみたいだ。
母さんも頷いている。
「この島の環境と全く相容れない生き物だったら、困っちゃうものね。私もちいさいころ、よく色んな生き物を家に持ち帰っては、お母さんに叱られたものだわ~……」
うん。
母さんの行動は単なる『暴走』であって、この話とはあまり関係がないと思うぞ?
「えっと……。一応、環境を整えること自体は出来るのです。たとえば、雪精さんたちが住めるような場所も作れなくはありません。ですがそれには、島そのもののエネルギーをたくさん必要とするのです。島のエネルギーは皆の財産です。貯めるのも大変なので、環境が大きく変わるようなことは、基本的にはしてはならないことなのですよ」
逆に云えば、対価があれば、島の環境そのものすら変えることも出来るのか。
流石は聖霊だ。
つまり水色ちゃんって、『奇跡を起こす側』に位置するってことなんだな。
でもそれ故に、自制と自律が重要になると。
凄いねと感想を口にしようとした矢先、キシュクードの幼き主は、もじもじと指をいじりだした。
「……エイベル様の見せてくださった、あの『写真』と云う紙に写っていた海鳥さんたちが、とても可愛いと思いました……」
ああ、うん。
オオウミガラスを導入したいと思っちゃったのね。
「マイムちゃん、わかってる! オオウミガラス、可愛い! ふぃーの友だち!」
「ふぇっ!? フィーちゃん、あの海鳥さんたちと、お友だちなのですか!?」
「しばらくの間、ふぃーの家で一緒に暮らしてた!」
「ふえぇぇっ!? 羨ましいですぅ……っ! ど、どうして一緒に暮らしていたのですか!?」
水色ちゃん、本当に羨ましそうにしているな。
うちの妹様から、可愛らしいが真剣な顔で、オオウミガラスの情報を聞き出そうとしている。
その様子は微笑ましいっちゃ微笑ましのだが、それでもあくまで『雑談』に属する。
そういった話は、『メジェド様像』を取り返してからにすべきだろうな。
「……マイムちゃん、話の腰を折って悪いけど、俺たちに伝えに来てくれたことって、一体、何だったのかな?」
「――あ、そ、そうなのです……!」
彼女は話が脇道へ逸れていたことに赤面し、ちいさな身体をぺこりんとさせる。お辞儀の仕方が、品が良い。
「えと、実はここから先の道で、いつも私のお母様が撃退されてしまうのですよ……! そのことを、皆さんに伝えておかないとと思いまして」
自分のテリトリーならば、『島』そのものにすら干渉出来るニパさんが、何故負けてしまうのか?
それはコロボックルたちを気遣って、魔術を封印しているからだと聞いたが――。
(ぶっちゃけ俺は、うちの家族が危なかったら、躊躇無く使うつもりなんだけどねぇ……)
島の主様は、俺の思惑を理解しているのか、厳かに首を振った。
「いえ、この先では、何人も魔術を使う事が出来ないのです……!」
「――!」
それはたとえば、ニパさんがつくるような特殊なフィールドのようなものが働いていて、魔術使用不可のエリアになっている、ということなのだろうか?
だとすると、俺もフィーも、殆ど戦力にならなくなってしまうが。
(誰も魔術が使えないなら、進軍そのものに多大な影響を与えることになるな……)
どういう理由で使えないのだろうか?
俺が『根源干渉』して、対応出来る理由だと良いのだが。
「あれです! あの先から、魔術が使えないのです……!」
水色ちゃんは、神妙な顔で『それ』を指さした。
そこには。
「あら、私の読めない文字ねぇ。……ねぇアルちゃん。あそこ、なんて書いてあるの?」
「…………」
俺が黙っていると、ウサギを片腕で抱えた妹様が、勢いよく手を挙げた。
「はい、はーーーーい! ふぃー! ふぃー、あれ読めるっ! 『これより先、魔術の使用禁止』って書いてある!」
うん。
ただの立て札じゃないかよ……。




