第四百八十五話 キシュクードの異変
「ふぇぇっ! その子たちが、外から来た精霊さんですか!?」
久方ぶりに会った水色ちゃんが、うちの末妹様とお花ちゃんを見て驚いている。
当然の話だが、当家の再訪に先駆けて、来訪日と来訪理由はエイベル経由で伝えてある。
お花ちゃんの『移住』も、このちいさな主様がお認め下されたのだ。
「――! ――!」
お花ちゃんはほんのちょっとだけ戸惑いながら頭を下げ、
「あーきゃっ!」
母さんに抱かれているマリモちゃんは、花のような笑顔をつくった。
「えへへ……っ! おふたりとも、とっても可愛いのです!この島を気に入ってくれたら嬉しいです」
現在俺たちが居るところは、キシュクード島の中央部であり、唯一の神殿でもある『水色ハウス』だ。
しかし、はて……? 何か妙なところがある。
何が妙なのかがわからないが……。
「久しぶり? 久しぶり?」
「お客さん、お客さん」
勝手についてきたコロボックルたちが、俺や母さんにまとわりついている。
「ふふふーっ! 私のこと、憶えてくれているのねー?」
ちいさな妖精たちの言葉はわからないだろうが、何を云っているのかはわかったらしい母さんが、マリモちゃんをソファにおいて、コロボックルたちをまとめて抱え込んでいる。
「きゃーっ! 捕まった? 捕まった?」
「柔らかい? 安心する?」
だっこされてるほうも、なんだか楽しそうだ。
末妹様だけは、この世の終わりみたいに青ざめているけれども。
そして、言葉と云えば――。
「マイムちゃん、驚いたよ。本当に大陸の公用語を話せるようになっているんだ?」
「は、はいです……っ! 皆さんと少しでも会話できるように、一生懸命がんばりました!」
相変わらず、健気な子だな。
しかし、ちゃんと成果が出ているのだ。
凄いことだと思う。
「偉いねぇ、マイムちゃん」
「えへへ……っ! そういって頂けると、うれしいのです……!」
この娘が自分ちの妹だったら、迷わず頭を撫でていたな。
「何です、そのイヤな感じのする目つきは! そんな視線で、マイム様を見るのはやめなさい!」
そう云ってビシッと指を向けてくるのは、コロボックルきっての魔術師であるクピクピだ。
しかし、俺はそちらにも驚いた。
「大陸公用語じゃないか! クピクピも使えるようになったのか!」
「貴方たち下等な人間がマイム様を騙さないように、見張る必要があるんです!」
何気に、このコロボックルも努力をしていたようだ。『不信』から出発しているのは、ちょっとどうかと思うけれども。
妖精たちをだっこ出来てご満悦の母さんが、水色ちゃんの前へと進み出る。
「そんな偉いマイムちゃんには、ご褒美があるのよー?」
「ふぇ? ご褒美……ですか?」
「じゃーんっ! こちらでーす!」
母さんがテーブルの上に並べたのは、手作りのお菓子。
クッキーのようにある程度日持ちするものもあれば、プリンのようにすぐ食べたほうが良いものもある。
「わわっ!? お菓子です! とっても美味しそうなのです!」
驚く水色ちゃんの視線は大好物のクッキーではなく、見たことがないであろうプリンに釘付けだった。
ついでに云えば、うちの妹様とお師匠様の目もプリンに釘付けだが、これ、彼女へのお土産だからね?
「ふぇぇ……っ! ぷるぷるして、とっても柔らかそうなのです……っ!」
キシュクードの主様の顔がにへーっとゆるんだが、彼女は欲望に抗い、プリンに手を付けることを保留したようである。
「た、食べ始めたら、大変なことになりそうな気がします……! い、今は自重するのです……!」
成程。
その為の我慢か。
だがクッキーのほうは既に、母さんの腕から逃れたコロボックルたちが貪り食っておりますが。
「マイムちゃん、俺からは、これだよ」
彼女の目の前に、マグカップを置いた。
それはフィーたちに贈った物の姉妹品。
水の魔力を基礎にして作った、水色のマグカップだ。
「わわっ! とっても可愛いのです……! それに、綺麗な色なのです!」
カラーリングが水色だと男の子向けかなと思わなくもなかったが、やっぱり彼女に似合うのは、それでもこの色だろうと考えた。
なので、デザインのほうを女児向きにして、水色ちゃんが抵抗なく使えるように仕上げたのである。
「お、お兄さん、ありがとうございますです! 私、このカップ、とっても気に入りました……っ!」
うん。お世辞ではなさそうだ。
素直に喜んでくれているみたいで、俺としてもそこは嬉しい。
だが、同じ『土をこねた物』ならば、俺よりももっと凄い子もいるわけで。
「次は、ふぃーなの! ふぃー、とっても頑張った!」
マイエンジェルは、いそいそとバッグの中をあさる。
(うん……? 水色ちゃんとクピクピの顔が、同時に引きつったように見えたが――?)
その疑問を口にするよりも前に、マイシスターは自信作を、でんと置いた。
「わわわっ! 凄いのですぅっ!」
それは、妹様渾身の作、『白いオオウミガラス像』である。
この場にぽわ子ちゃんでもいようものなら、むむむむん! と発狂しそうな出来映えだ。
ちゃんとデフォルメされているのに、今にも海に飛び込みそうなそのポーズは、生々しいリアルさと躍動感がある。
この辺はオオウミガラスを実際に見て、何日も一緒に暮らしたが故なのだろう。
「とっても可愛い、海鳥さんです! お腹が出ていて、丸々しているのです!」
「これは……北海付近にいるという、海に潜る鳥ね!? 福々しいのは、寒さに備えて脂肪を蓄えているからと聞いていますが……」
お、ちょっと博識なクピクピさんだ。
一方、マイムちゃんはオオウミガラスを知らなかったようだ。
同郷の魔術師に説明を聞いて、おめめをキラキラさせている。
「ふえぇ……っ! こんなに可愛い鳥さんが、実際にいるのですか!? 実在の海鳥さんをモデルにした創作かと思いました! 私も一度、実物を見てみたいのです」
「……ん。それなら、見られる」
スッと写真を取り出すのは、我らが師である。
「ふわぁっ! か、可愛いのですぅ~~~~っ!」
「え……ッ!? エイベル様、この精巧な絵は一体……ッ!?」
「……私からのお土産は、この写真機。転写用の紙と魔石は、湖水を貰う時にでも補充する」
マイムちゃんは『写っているもの』に惹かれ、クピクピは『技術』のほうに興味が行ったか。この辺は、性格の差が出ているな。
(何にせよ、写真なら、あの自分の娘が大好きなキシュクード島の先代、ニパが大喜びしそうだな……)
と考えて、この場にもうひとりの聖霊様がいないことに思い至った。
いや、水色ちゃんとニパは一緒に暮らしているわけではないから、別にいなくても不思議はないのだが。
(でも、俺たち――と云うより、エイベルか――。うちの先生が来るのだから、顔くらい見せそうなものなのだが……)
キョロキョロと見回していると、気遣いの出来る幼女であるマイムちゃんが、不思議そうに小首を傾げた。
「お兄さん、どうしたです?」
「ああ、いや……。ニパさんがいないなと思ってさ」
「――っ」
俺が何気なく発した疑問に、水色ちゃんとクピクピが同時に顔をこわばらせた。
「ん? どうかしたの……?」
俺の言葉に答えたのは、キシュクードの主でも、守護者たる魔術師でもない。
クッキーを貪り食っていた、コロボックルたちであった。
「ニパ様、裏切り者たちを倒しに行った?」
「また返り討ち、返り討ち」
食べることに夢中になっている彼らから飛び出した言葉は、とんだ爆弾であった。
「う、裏切り者……っ!? 今、裏切り者って云ったの!?」
思わず、聞き返してしまった。
のどかで皆が仲良くやっていたこの島で、一体何が起こっているんだ……!?
一方、水色ちゃんは、しょんぼりとちいさくなっている。
「うぅ……っ。すべては、私が至らないばかりに……」
「マイム様は悪くありません! あのような邪神に惑わされた者達が悪いのです!」
邪神!?
邪神だって?
そんなものが、この清浄な聖域に?
「一体全体、何があったのさ!?」
俺が問い返すと、忌々しそうにクピクピは云う。
「この聖域は今、分裂の危機を迎えているのです! ひとつはマイム様を奉じる我ら正統派! そして、『新興の神』を崇める裏切り者の一派のふたつに!」
その言葉に、俺はさっき感じた『妙なこと』の正体に気がついた。
それはコロボックルの数の少なさであり、活気の無さだったのだ。
水色ちゃんの元でひとつにまとまっていた聖域に、一体何が……。
マイムちゃんは誰が見ても応援したくなるようながんばり屋さんだ。
しかも島の中心である聖湖の聖霊でもある。
そんな子を差し置いて、一体何者が現れたのか……。
「その邪神って、何者なのさ?」
俺の言葉に、聖霊と妖精は目を見合わせた。
そして、クピクピは云う。
「その神の名は、『メジェド』。あんたの妹の作った像が、必要以上に崇められているのよ!」
うわーい!
うちの子の忘れ物が原因だったんですかーーーーーーーーっ!




