第四百八十話 掛け取り人物語
神聖歴1206年の十一月。
ベイレフェルト侯爵邸の西の離れでは、ささやかながら多少の人の出入りが続いていた。
云わずとしれた、妹様の生誕祭が間近に迫っているからである。
フィーリア・クレーンプットは、今年、五歳となる。
つまり、節目の年だ。
俺とは二歳、ミアとはちょうど十歳離れた年齢だ。
ちなみに、マイマザーは現在、二十三歳ね。
当家に出入りするのは、いつも通りのエルフたち。
大抵の物資はヤンティーネが運んできてくれるが、フェネルさんの姿もよく見かける。
ショルシーナ商会長は――フィーの誕生日にかこつけて、エイベルに会いに来ているだけなんだろうな。
「では、アルト様。お誕生会の準備品は、こちらでお間違えないですね?」
「はい、問題ありません。ありがとうございます、フェネルさん」
おなじみの従魔士のお姉さんからパーティー用の物資を受け取る。
この人は本来、配達要員なんかする立場じゃないのだが、相変わらず色々と気にかけてくれている。
マイエンジェルを祝う為の準備は、フィー本人には内緒で進めているが、同じ屋根の下にいるのだ。聡いあの娘に悟られていないはずがない。
ただ、フィーは母さんに、こう云われている。
「フィーちゃん。アルちゃんがフィーちゃんの為に色々してるから、気付かないフリをしてあげてね? そっちのほうが、アルちゃんも喜ぶわ」
「わかったの! ふぃー、知らないフリする! にーたに、喜んで貰う!」
その甲斐あってか、フィーは俺がコソコソしていると、嬉しそうに口元をヒクヒクとさせた後、
「ふぃー、知らない! ふぃー、何も見てない! ふ、ふへへへへへぇ……っ!」
目を塞ぐフリをして、笑顔で走り去っている。
まあ、『準備をしている』くらいは知られても構わない。
プレゼントとかは、知られていて欲しくはないが。
「ふ、ふへ……っ!」
今も後方の物陰から、可愛らしい子ブタさんがコッソリコソコソとこちらを覗き込んでいるようだ。
一方、フェネルさんのほう。
彼女はキョロキョロと周囲を確認し、余人が居ないことを確かめている。
そして何かを取り出し、おもむろにフィーに近づいた。
「フィーリア様」
「あっ! ふぃー、見つかった! どうしよう!? ふぃー、困っちゃう!」
どうやら本人は、巧みに隠れているつもりだったようだ……。
フェネルさんは、優しい笑顔で云い直す。
「フィーリア様」
「なぁに? ふぃー、にーたが好きっ!」
「はい。存じております。そこで、です。どうでしょう。こちらの陶芸用粘土で、アルト様に何か作って差し上げるというのは? 現在、アルト様は、『何故か』忙しいようですから」
何故か、を強調すると、フィーは一瞬だけ、にへらと笑った。
そしてさもわからない風を装い、従魔士のお姉さんに真顔風味のにやけ顔を向けている。
「ふ、ふへ……っ! ふぃーのにーた、何でか忙しい! ならふぃー、にーたの為に、何か作ってあげるの!」
粘土を受け取り、とてとてと駆けだして行く妹様。
きっとアレだな。
本人も嬉しすぎて、間が持たなかったんだろうな。
粘土をこねることはだから、マイシスターの気分転換にもなることだろうよ。
「……ありがとうございます、フェネルさん」
「いえいえ。情けは人のためならず――ですよ」
美人のおねぃさんの瞳が、怪しげに輝いた。
何だろう、妙な悪寒がするぞ。
どこぞの駄メイドじゃあるまいし、よもや襲われることはないだろうが。
「ところでアルト様。年末――特に十二月は、商売に携わるものが忙しくなることはご存じでしょうか?」
「ええ、まあ。新年を迎える準備とか、色々とあるでしょうからね」
「はい。そこです。新年の準備とは、過去の清算も含むのです。だから、忙しくなるのです」
それは、ツケの回収と云うことだろう。
江戸時代なんかは、盆暮れに溜まったツケを成算していたと云うが、こちらの世界でも、一部はそうなっている。
ショルシーナ商会は原則として、その場での支払いとなっているが、一部の貴族や大規模な取引先が相手だと、どうしても『後払い』になることもあるのだと云う。
このツケを回収すること、或いは回収人を、『掛け取り』と云い、かつては江戸時代の風物詩であったし、落語の題材にもなっていたりもした。
「――ですので、当商会も年末は忙しくなるので、お支払い頂けるのであれば、もちろん前倒しは大歓迎な訳です」
「まあ、そうでしょうね。十一月というのは中途半端ですが、年をまたぐよりもずっと良い」
「――はい。言質を頂きました」
「……え?」
ゆらぁり、と、美人エルフさんが近づいてくる。
「あ、あの……。フェネルさん?」
「アルト様は、まだ私にツケを支払われておりません」
「あ……ッ! 『スペシャル』……ッ!」
そうだったーー!
俺はこの人に、『だっこスペシャル』をされる約束をしていたのだった……!
「――はッ!? まさか、フィーに粘土を渡して追い払ったのも……!?」
「……フィーリア様はアルト様命の方ですが、一方で芸事に夢中になると、まわりのことが目に入らなくなる傾向がありますね」
「う、うぅ……っ」
「トトル。誰も入ってこられないように、扉を塞いでいてくださいね?」
彼女の言葉に反応し、ちいさなリスが飛び出した。
霊獣は刹那の間に巨大化し、扉に身体を預けて座り込んだ。
これでは誰も入ってこられないではないか。
つまり、助けは来ないのだ。
ここまで念を入れるとは……!
フェネル局長、恐るべし……!
「では、アルト様。お覚悟を……!」
※※※
そうして俺は、美人ハイエルフにされるがままとなった。
しっかりと抱きかかえられ、頬ずりと頭なでなでをされ、それから、色々されてしまった。
今までもこの人にはだっこされたり撫でられたりはしたけれども、ここまで多種多様の愛で方をされたのは初めてだ……。
(ミアの時と違って鳥肌は立たないから、欲望のベクトルはそれでも健全寄りなんだろうな、たぶん……)
しかし、流石はスペシャル。とにかく徹底的だった。
彼女の名誉の為に詳細は伏せるが、色々とストレスが溜まっていたのかなと心配になる様子だったとだけは伝えておこうか。
(俺としては、美耳が何度も頬を叩いていったことと、寂しそうにこちらを見てくるトトルが気になって仕方なかったんだが……)
それでも『自分は幼女に買い取られたぬいぐるみなのだ』と云い聞かせて、嵐が過ぎ去るのを待ち続けた。
そして、目の前では座り込んで両の掌で自らの顔を覆っている掛け取りがいる。
「……………………穴があったら、入りたい……」
我に返ったらしい。
側面から見える綺麗な耳とほっぺたが、真っ赤になっている。
俺を愛でるのは予定のうちだったようだが、本人も制御不能のエスカレートをしてしまったのだろう。
大丈夫ですよ、フェネルさん……。離れをうろついている不審者メイドよりは、わずかに健全でしたから……。
「うぅ……。アルト様の生暖かい視線が痛いです……」
まあ、この変則的な暴力が、我が家の妹様に向かなかったのなら、それでいいや。
フィーが喰らったら、きっと泣く。
そこに、とてとてと軽快な足音が響いてきた。
聞き間違うわけもない。
毎日耳に届く足音なので、誰のものかは分かりきってる。
「にいいいいいいいいいいたああああああああああああああああああああああ!」
もの凄く嬉しそうな声だ。きっと、満足行く作品が出来たのだろう。
果たして、トトルのどいた扉から、マイエンジェルが飛び込んでくる。
「にーた! ブタさん! ふぃー、可愛いブタさんの置物作った! これ、とっても良い出来! ふぃー、これ焼いて貰って、にーたにプレゼントする!」
大ジャンプを繰り出し、俺に抱きつくマイシスター。
もちもちほっぺを押しつけられるが、とても健全なので、俺も安心だ。
まあフェネルさんも恥じ入ってるようだし、災禍は今回だけのことだろう。
「いえ、機会があれば、またやりますが」
懲りてねぇな?
ともあれ、準備は整った。
さあ、愛しい愛しい、妹様の誕生日の開幕だ。




