第四百七十八話 ミアの誕生日
「アッルトきゅぅぅぅ~~~~んっ!」
「うおぉぉぉッ!?」
十月某日。
突如物陰から襲いかかってきた変質者のタックルを、すんでの所で躱すハメになった。
何で朝から、こんなに心臓に悪い体験をせにゃならんのだ。
「酷いですねー。傷付きますねー。なんで避けるんですかねー?」
避けなかったら、捕食されてるじゃないか!
ええい、そのイヤらしい感じのする、ニギニギとした妙な手つきをやめるんだ!
ミアはそのまま、いつでもこちらに飛びかかれるような腰を落とした姿勢で、ジリジリと距離を詰めてくる。
「アルトきゅぅん、実は今日はちょっと、私にとっては特別な日なんですねー」
知っとるわ。貴様の十五歳の誕生日だろう。
それを祝う為に、母さんも昨日から料理の準備をしていたのだし。
「節目の誕生日は例年のそれとは違う、特別なお誕生日なんですねー。だから今日くらいは、ほんの少しの我が儘を云っても、バチが当たらないと思うんですねー。許されると思うんですねー」
「……その言動と今の行動に、どんな理論的整合性があるのかを云ってみろ」
「くふ……っ」
駄メイドの瞳が、怪しげに輝く。
俺の第六感(持ってない)が急いでの退避を告げている。
「今日くらいは、このミアお姉ちゃんがアルトきゅんを襲っても、目こぼしされるはずなんですねー!」
どんな『はず』だ、どんな!
うおぉぉッ!
今日のタックルは、いつにも増してキレッキレじゃねーか……! お、恐ろしい……!
「アルトきゅぅぅん、そんなに真っ赤になって照れなくても良いんですねー。少し一緒に、大人の階段を上ろうというだけなんですからねー」
「それは大人への階段じゃァねぇ! 断頭台へと続く一三階段だァッ!」
「アルトきゅうんはぁ、家族とのスキンシップをとっても大事にしているのに、どうして実の姉である私とは、そういうことをしないんですかねー? フィーちゃんやノワールちゃんとくっついてるときは、あんなに笑顔なのに、おかしいですねー」
クソッ!
ツッコミどころが多すぎて、何を云ったら良いかがわからねぇ!
だが、わかっていることはひとつだけだ、捕まったら、『食われる』!
鋭い動きで繰り出される地獄抱擁撃を必死に躱す。
実技試験の時だって、こんなに焦らなかった気がするが。
「うぅ……っ!?」
背中に当たる、ドンという感触。
気がつくと、部屋の隅へと追いやられていた。
いつの間にか、逃げ場を失っていたようだ。まさかこいつ、初めからこれを計算して……?
「くふふ……」
だ、ダメだ……っ! 逃れられん……!
こやつは今まで出会ってきた誰よりも強敵だ……!
「はい、アルトきゅん、捕まえましたよーっ!」
「むぎゅーっ!」
哀れアルト・クレーンプットは、不審者に囚われてしまった!
「では行きましょうねー。ふたりだけの、愛の巣にー!」
「だ、誰かーーーーーーーーっ! 誰かたすけてーーーーーーーーっ!」
こうして俺は、ミアにさらわれてしまったのだった。
※※※
「はい、つきましたよー」
そこは、離れの空き部屋のひとつだった。
この建物はトゲっちことアウフスタ夫人の嫌がらせのおかげで、あまり物がない。
ミアに連れられてきた部屋もだから、とてもガランとしている。
ときたま屋内でやるフィーとのかくれんぼでも、こんな何もないところには用がない。
なので普段は離れの住人であっても、この場所に来る者は、ほぼほぼいない。
が、そこには少しだけ変化があった。
ちいさなちゃぶ台の上に、カットされたケーキとティーポット、そして軽食が置かれていたのだ。
「……これは?」
「はい、ミアお姉ちゃんの手作りですねー。アルトきゅんに食べて貰いたくて、こうして用意をしたんですねー」
「用意って……」
普通は逆だろう。
今日はミアの誕生日なのだから、『用意される』のは、ミアであるべきだろうに。
いや、地球ではどこかの国で確か、誕生日を迎える側が周囲をもてなす風習の国もあるにはあったけれどもさ。
「実はですねー……」
ミアは、ぽりぽりと頬を搔いた。
「アルトきゅんに、ずっとお礼をしたかったんです。ずっとずっと、お礼を云いたかったんですねー。なので節目の今日に、ささやかながらお返しをしようと思ったんですねー」
「お礼? 俺に……?」
それも『逆』だろうと思った。
セロから戻り、飢えていたときに差し入れをくれたのはミアだ。
隣に住む『腹違いの妹』をイフォンネちゃんとともにフォローしてくれているのも、ミアだ。
ろくな使用人も付かず、家事の一切を取り仕切ってくれているのもミアだ。
俺はこの娘に返すべき恩はあっても、礼を云われる憶えがない。
「いえいえ~……。私も……そして、私の実家のヴェーニンク男爵家も、アルトきゅんのおかげでとても助かっているんですねー……」
実家、と云うことは、ウナギ関連だろうか? 俺には他に接点がないのだし。
「アルトきゅんのおかげで、私の家は潤ったんですねー。そしてそのおかげで、私のふたりの姉も、助かったんですねー」
ヴェーニンク男爵家は、弱小であった。
つまり、金がない。
侯爵家で働くミアが、その給金の殆どを家に入れていたのも、その辺が理由だ。
これまでは、それで漸くしのいでいた。『何か』があったら、困ることになっていた。
そしてつい最近、そうなったのだと云う。
ミアの姉はふたりおり、そのどちらも既に嫁いでいるが、片方は嫁ぎ先が急なトラブルで資金繰りに困っており、もう片方は生まれた子供が大病を患い、高額の医療費が必要だったのだと云う。
「今までの我が家だったら、どうしようもなかったと思います。でも、今年は違いましたからね。どちらも助かりました。それは、アルトきゅんのおかげなんですねー」
「……ウナギに関しては、お礼を云われることじゃないよ」
出発点は、『自分』だった。
ただ単に自分がウナギを食べたかっただけで、ミアの家を何とかしてやろうと考えたわけではない。
救われたことがあったとしても、それはあくまでも偶然に属する。
だから、ミアが恩に着る必要はないのだと思う。
「たとえ偶然であっても、それをもたらしてくれたのはアルトきゅんですねー。だから、感謝はさせて貰いたいんですねー。うちのお父さん、今年は格好付けて、私へのプレゼントを奮発すると云っていましたねー。親がそういう見栄を張れることも殆どありませんでしたから、私には、それもうれしかったんですねー」
ミアの穏やかな笑顔は、どこまでもこの場にいない『家族』へと向けられていた。
自分よりも、身内に思いを馳せていたのだ。
「はい、アルトきゅん、お茶がはいりましたねー。これ、私が個人で飲んでるものの中では、一番良いものなんですねー。私に出来るのはこの程度なんですが、少しでも喜んで貰えたら嬉しいですねー」
「…………」
こんな表情をされたら、受けないわけにはいかないよな。
「じゃあ、頂くよ。偶然に乾杯ということで」
「はい。どうぞ飲んで欲しいですねー」
ズズ、と紅茶をすする。
相変わらず、良い腕だ。
俺も紅茶の淹れ方はエイベルから習っているから、ミアが上手なのがよくわかる。
尤も俺のまわりには、お師匠様やらヘンリエッテさんやら、やたらとお茶入れ名人が多いのだが。
「うん。美味しい」
「くふふー……。良かったです。アルトきゅんの笑顔を見ていると、お姉ちゃんも嬉しいですねー」
誰が姉か、とは、今は云うまい。
「アルトきゅん、改めて、ありがとうございます」
「何がさ? ウナギの件なら、こうしてお礼を頂いているけど?」
「イフォンネのことも、ですねー。アルトきゅんは来年、魔術結社を作ってくれると約束してくれましたが、私が云わなければ手を出さなかったことですから、迷惑を掛けてしまいますからねー」
「いいよ、別に。イフォンネさんには、俺も助けられているんだし」
ミアはちょっとだけ目を伏せ、それからお皿を差し出してきた。
「ケーキもお姉ちゃんの手作りですねー。どうぞ食べて欲しいですねー」
勧められるままに、ちいさなケーキを口にした。
うん。
美味しい。
量が少ないのは、わざとだろうな。
この後、本格的なミアの誕生日パーティがある。
イフォンネちゃんや、ミアパパもやってきて、ささやかながら、精一杯にごちそうを振る舞うのだから。
「そうだ、ミア。ちょっと待ってて」
俺は足早に自室に戻り、モノを持って戻って来た。
「はい。これ」
「これは……?」
「プレゼントの片割れ。今日は節目の特別なお祝いだからね。俺からは、ふたつ用意した。その片方を、今渡しておくよ」
ひとつは、この間イフォンネちゃんに云ったように、ネコを模したアクセサリ。
そしてもうひとつが、これだ。
あまり女性に喜んで貰えるようなものではないのだが。
「わわっ!? ネコちゃんの像ですねーっ!」
俺がガドから習った木工技術で作り上げた、ネコの置物。
細部に至るまで、ちゃんと色も塗ってある。
「このネコちゃん、顔を洗っているんですかねー?」
「うん。ミアの実家のウナギ――沼ドジョウの販売が上手く行くように験を担いでみた」
「と、云いますと?」
「この像の名前は、『招き猫』だ。お客さん来い来いってね?」
自分の手をあげ、くいくいと動かしてみせる。
地球世界の招き猫って正直あまり可愛くないのが多いので、ミアが気に入るように、徹底的に可愛さ重視に仕上げてみせた。
なのでデザインは、完全に俺のオリジナル。俺ジナル。
「アルトきゅん……っ! やっぱり、我が家のことを……」
「だから、偶然だって。縁起物を贈るのって、普通のことだろう?」
深く考えて作った訳じゃないので、あまり喜ばれると、それはそれでくすぐったい。
「こんなにも色々としてくれたアルトきゅんには、スペシャルなお返しをしないとですねー」
「あはは、大袈裟だよ。今日はもともと、ミアの誕生日なんだからさ。お返しなんて、必要無いんだ」
「そうですかー……。必要無いですかー……」
「ミア……?」
「いいえー。でもアルトきゅんがそう思ってくれても、そのうちちゃんと、恩返しをしたいですねー。たとえこの身を、引きかえにしてもですねー」
「だから、大袈裟だってばさ」
「私にとってアルトきゅんは、そのくらいありがたいんですねー」
ミアは眼を細めた。
そしてそれから、ポツリと呟く。
「ところでアルトきゅん」
「うん? 何?」
「……今ここに、私たちはふたりっきりですねー」
「…………」
何かさ。
急に不穏な空気が漂ってきたんだけれども。
「家のこととか、イフォンネのこととか、云いたいことは色々ありますが、そういうのは横に置いておいて、この好機を活かすことにしますねー?」
いや、しますねー? じゃねぇだろ。
「ではアルトきゅん。改めて、階段、一緒に登っちゃいましょうかー?」
だから、登っちゃいましょうかーじゃねぇよ!
気がつけばメイドさんは、ネズミに襲いかかる直前のネコのように、ゆらりと低い体勢を取っておりました。
「おい……。冗談はやめろ……」
「アルトきゅううううううううううううううううううううううん! 大好きですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 来るなッ! 来るなァァァァああああああああああああああああああああああああああ!」
こうして駄メイド様のお誕生日は、俺の悲鳴で彩られたのでありました。




