第四百七十二話 アル対ザルン(前編)
結局。
両者は正式に決闘することとなった。
ブンツェとしては、賭け試合が始まることになっても表情を変えない子どもが不気味ではあったが、心が壊れているか、顔色の変わらないガキなのだろうと結論付けた。
何せ、目の前にはエルフの高祖と云う『実例』がいる。
この女も、表情は全く変わらない。
不気味なコンビだと、花精の男は心の中で吐き捨てた。
「ザルン。遊びは要らんぞ。すぐに決めてしまえ」
それは部下の気を引き締める為のアドバイスではない。エルフ対策である。
時を与えれば与える程、向こうにも『盤外』の作戦が思い付いてしまうかもしれない。
それをさせぬ為にも、速攻でカタを付ける必要があった。
他方、特殊フィールドを展開した聖霊のほう。
彼は傍に立つ腹心の部下に、小声で指示を出した。
「ペールよ。勝負が決着した時の振る舞いは、分かっておるな?」
「はっ! ただちにあの少年を保護すること! 確かに実行致しまする!」
老いた聖霊には、勝負を厳粛に執り行う義務がある。
しかし一方で、幼い子どもの手足が失われることを看過することは出来ない。
そこで、木精の聖域守護者の出番となる。
敗北が確定した折には、彼にアルト・クレーンプットを守護させ、四肢の欠損に待ったをかけてやろうと考えていたのだ。
もとより花精方には、子どもの手足をもぐメリットも、その必要性もない。
だから自分が間に立ち、『別の条件』を提示してやればよい。
場合によっては条件を取り下げさせる為に、聖域の宝物庫より、身銭を切っても構わないと考えている。
種族は違えども、子は宝なのだから。
(む……?)
別の聖域守護者――バルケネンデの娘が、一瞬だけこちらに柔らかい視線を向けたように見えた。
まさか聞かれたのだろうか?
いや、それは無いだろう。
いかに空間魔術の使い手と云えども、このフィールドには干渉できないはずだろうから。
わずかに首を振り、聖霊は厳かに告げる。
「ではこれより、人間族のアルト・クレーンプットと、花精ザルンとの決闘を行う。この領域内では傷を負うことはないが、ダメージがあった場合は、その部位が動かなくなるように調整してある。行動不能となった場合とフィールドから出た場合、そして降参を申し出た場合は、決着とする。また、各種の判定は、このローヴと従者ペールの二名により決することとする。両陣営とも、異存はないな?」
「あろうはずもございません!」
「……ん」
ブンツェと、高祖が同時に頷く。
次いで、ザルンとアルトも承諾した。
「では――始めッ!」
合図と同時に、ザルンは詠唱を始める。
子どものほうは――動かない。
何もしていないのか。
それとも、別の何かをしているのか。
(或いは――何かを待っているのか?)
たとえば、戦場外からの助けなどを。
(させるものか)
ザルンは、そう考えた。
自らの上司に云われるまでもなく、すぐにカタを付けるつもりだった。
万が一にも、戦闘前に見た感覚が『正しかったら』、困るからだ。
「すぐに終わりにしてやる! ――千殺鞭ッ!」
地中から、無数の木の根が飛び出した。
それは、花精の得意とする植物魔術。
他の種族では殆どの場合使い手のいない、植物操作の大魔術であった。
現れた木の根は固く、長く、丈夫で、かつ茨のようなトゲが付いている。
その一撃は鋼鉄の鎧を容易く貫き、絡み付けば鎧ごと握りつぶせる程の威力だ。
加えて『鞭』としての特性を持つが故に、その攻撃速度は極めて速く、そして軌道は読みにくい。
あの子どもは一瞬で戦闘不能になり、四肢を失うのだ!
ぼんやりと突っ立っている亡者のような気配をした子どもに、あらゆる方位から木の根が殺到した。
躱せる場所はなく、そして、防ぐ時間もないだろう!
子どもは何もせず、木の根に呑みこまれたようだった。
「ふん……。あっけない」
ザルンとブンツェが、同時に呟いた。
しかし、当然の結果ではあるのだろう。
この植物魔術は、シンプルに強い。
たとえ使用する木の根が一本であったとしても、人間族の戦士程度なら、軽くあしらえる能力なのだ。
(ドワーフや蜥人のような体力バカが渾身の力を込めても、簡単に切断出来るような堅さではないのだからな)
ザルンは笑みを浮かべながらフィールドの外に出ようとし、
「ま、待てザルン! まだ聖霊様は、決着を宣告してはおらぬ!」
上司の言葉に、慌てて足を止めた。
確かにこのまま出ていたら、リングアウト負けになってしまうかもしれなかった。
「聖霊様も、お人が悪い。勝負がついたのですから、すぐに勝ちを認めていただけねば困ります」
ブンツェの言葉に、ローヴは何も答えなかった。
この聖霊は、おかしなことに下等種族の人間にも公平に接する。
そしてその公平さは、勝負にも適用されることだろう。
となるならば――。
(まさか、まだ動けるのか……!?)
ザルンは振り向き、茨の鞭となった木の根たちに、更なる力を込めた。
ギュウギュウと、木の根が圧縮されていく。
どうせダメージは無いのだろうから、このまま全身を捻りきり、グシャグシャに潰してやろうと考えた。
「……う、ぬ……?」
だが、木の根は一定以上に圧縮できなかった。
あの子どものちいささを考えれば、もっと密集するだろうに。
「ザルン! 手を抜くなと云っただろう!?」
上司からの叱責が飛ぶ。
しかし実際問題、これ以上は押しつぶせないのだ。
奇妙に柔らかい何かが、木の根を押さえてしまっている。
まるで、異常に丈夫なスライムでも挟まっているかのように。
「――――ッ!?」
ゾクリ、と、ザルンは寒気を感じた。
大慌てで千殺鞭を解除した。
いや、してしまった。
(な、何だ、今の悪寒は……!? このまま攻撃を続行していたら、取り返しの付かない事態になった気がする……!)
盤外からは、何をやっているのかと上司からの叱責が飛んでいる。
だが、確かに今、何か良くないものを感じたのだ。
(俺に第六感は無いが――。今のは、何かがヤバかったぞ……!? 直感で、『解除』が正しいと感じている……!)
解けていく木の根を見る。
まだ子どもの姿は視認出来ないが、寒気は強くなる一方だった。
あの木の根の向こうにいる者は、一体、何者なのだと、ザルンは思った。
(もしや――。も、もしかして――)
決闘前に感じた『バケモノ』の気配。
あれは正しかったのではなかろうかと思い始めた。
「※※※※※※……!」
ザルンの口が、新たな呪文を紡いで行く。
もしも向こうにいるのが怪物であるならば、ここで決めねば勝てぬのではないかと思い始めた。
ザルンの言の葉に呼応するように、地にある花が茎を伸ばし、人間の背丈程に伸びていく。
花びらが肥大し、その花弁がナイフのような鋭さと硬度を得る。
「喰らえッ!」
鉄をも切り裂く花の刃の数々が、根の隙間へと滑り込んだ。
千殺鞭が解けきる前に、これで勝負を決したかった。
「ど、どうだ……ッ! これで、どうだ……ッ!?」
不安を振り払うように叫び、縋るような視線で聖霊を見る。
老いた聖域の主は無言を貫き、勝利の宣言をあげることもない。
外で見ていたブンツェは、どうやら部下が手を抜いているわけではないことに、遅まきながら気がつき始めていた。
「な、何がいる……? あの根の向こうに、一体、何者がいるというのだ……!?」
ブンツェは、ザルンを見つめた。
千殺鞭の威力。
刃物と化した花びら。
どちらも、子どもひとりを屠るには過剰とも云うべき威力のはずなのに。
「――ッ!?」
解けていく木の根の隙間から、赤い光が煌めいた。
瞬時に身を躱したザルンは、自らの右肩から先の感覚の消失と喪失を味わう。
「ね、熱線……? 火の派生魔術の……? い、いや、しかし、この威力と精度は何だ……!?」
向こう側にいるのは、ほんの子どものはずだろう……?
どうしてこんな、高難度の魔術を使う?
何でこちらの攻撃が通じていない……?
冷や汗を流すザルン。
その様子を見ていたブンツェは、恐ろしいものを見たかのような瞳で呟いていた。
「こいつは本当に、人の子なのか……?」
根が解け、子どもが姿を現した。




