第四百七十一話 決闘前
アルト・クレーンプットが名乗りを挙げたとき、ブンツェに最初に去来した感情は、『困惑』だった。
この愚かなガキは、何故、臆面もなく決闘を受けるなどと云えるのか?
そう思い、直後に得心した。
答えは――ガキだからだ。
実力差も理解出来ずに何とかなると思っているのか、それとも忌々しい高祖の助けが貰えると思っているのか、はたまた幼いが故に手心を加えて貰えると思っているのか。
いずれであっても幼児らしい浅はかさであり、愚かしさだ。
ブンツェには、決闘を行うつもりがそもそも無かった。
話をうやむやに出来れば良かったのだから。
しかし、バカなガキが名乗りを挙げたのであれば、話は別だ。
このクソガキの愚かな行動を逆手にとって、徹底的に高祖を叩いてやろうと考えた。
「おやぁ? 貴様が戦うと? それで良いのか? せっかく聖霊様が一切の揉め事を無かったことにして下さるというのに、戦いを選択して。一度受けると云ったのであれば、もう引っ込みはつかないのだぞ?」
「ああっと……、ええ。だからです。引っ込みが付かないからこそ、良いんですよ」
何を云っているのやら、と、ブンツェは思った。
だが、敵対者が愚かであることは好ましい。
「云っておくが、貴様が単独で戦うのだぞ? 他の助けは無しだ。分かっているな?」
「ええ。――本当は、この娘を抱いたままが良かったんですが」
アホなガキは、腕の中にいる銀色の髪をした幼女に目線を落としている。
呆れる程の愚昧さだった。
こんなちいさな女児を抱えて、何の助けになるというのだろうか? 寧ろ、足手まといにしかならないだろうに。
ブンツェはわき上がる笑みをかみ殺して、エルフ族の高祖へと向き直った。
「高祖よ。彼はこう云っていますが、構いませんな?」
形ばかりはそう確認したが、彼女がゴネようと、認めるつもりはない。
そんなことをしたら、存分に罵り倒してペナルティでも課してやろうかと思っている。
「……私は、アルを信じる」
不可解なことに、アーチエルフまでおかしなことを云い出した。
こんな子どもの戦力など、何をどう信じろと云うのか。
(いや、これは――)
ブンツェは、別の考えに思い至る。
クソガキの愚かな発言と、高祖の言葉を矛盾無く説明出来る状況を。
(そうか。ハッタリだな? この私にハッタリをかまそうと云うのだな?)
おそらくは、何事かの虚勢を張り、それに竦めば譲歩を引き出してくる。そんなところなのだろう。
(クッカとかいう花精のガキを助けるには、『一連のことが無かったことになる』だけでは不充分だろうからな。せめてそこだけは押さえたいのだろう。――となれば……)
きっと次は、ガキか高祖かいずれかが、自分に恫喝なり提案なりを出してくるはずだ。
「あの……」
果たして、子どものほうがブンツェに声をかけてきた。
「何だ?」
そら来た、と思いながらも、平静を装う駐在官。
「そちらの賭けの対象は、『今後、精霊の子どもを犠牲にしないこと』でしたよね?」
「そのはずだが? それがどうしたのだ?」
「えっと……。犠牲の『尺度』が違うと困るので、もしも今後も研究を続けるなら、それを俺――は無理だから、エルフの人たちに伝えてあげて欲しいんですが」
何をバカな、とブンツェは云いそうになった。
それでは研究の内容を教えるのと同じであるし、エルフどもに干渉する材料を与えることに他ならないではないか。
(普通ならば、一も二もなく断るが――)
待てよ、とブンツェは考える。
おそらくこれは、あちらの『手』であろう。
断れば、きっとそこを突いて無理難題を吹っ掛けてくるに違いない。
(だが、バカめ。問題が生じるのは、私が断った場合だけだ)
勝負の場にあげてしまえば、こいつらの企みなど瓦解する。
ブンツェはそう考え、鷹揚に頷いてみせた。
「勝てば叶えても構わぬよ、勝てればな」
「そう、ですか」
屍人のような気配を纏った奇妙な子どもは、大人のように神妙に頷いている。
こちらが拒否したり激昂しなかったから、目論見が外れて落ち込んでいるのだろうと彼は思った。
(そうか。そういうことか……)
天啓のように、ブンツェは閃いた。
これはハッタリだけでなく、自分を『勝負』から降ろす為の物云いなのだと。
到底飲めないような条件を提示し、ブンツェから『降りる』と云わせる。
そこを突いて、更なる譲歩を引き出すつもりなのだろうと思った。
(そうはいかん。たかが人間のガキ一匹に、負ける要素は無いのだからな)
しかし、相手が自分を『降ろそう』というのであれば、こちらにも考えがある。
「おい、貴様、名前は何と云ったか?」
「アルト、です」
「ああ、そうだったな。確かにそんな名前だったな。ではアルトとやら。勝負をするにあたり、ひとつ追加条件を飲んではくれないかね?」
「追加条件、ですか?」
「そうだ、追加条件だ。貴様はたった今、高祖との取り決めになかった『今後の研究』の内容にまで踏み込んできた。それは貴様自身がこちらに要求した『追加条件』だ。で、あるならば、私も貴様に『追加』をさせて貰うことが、対等だと思うのだがね?」
「…………どのような条件でしょうか?」
「簡単なことだ。貴様と私個人でも、決闘に賭けようじゃないか。貴様が勝てば、そうだな。私はこれをさしだそう」
ブンツェは、懐から奇妙な石を取り出した。
それは、クリスタルで作られた花のようで。
アルトは一目で、それを魔石の一種だと理解した。
「あーきゃっ!」
リュシカに抱かれている赤子が、ごちそうを見るかのような表情で、目を輝かせる。
「……こんな綺麗な魔石は、初めて見ました」
「だろうな。人の世でお目にかかれるものではないからな。これは単純な魔力溜まりでは出来ることのない、我が故郷の独自魔石なのだ。名を、魔晶花と云う。これ程の魔晶花は、我が故郷にも数える程しかない。当家伝来の重宝だ」
「それ程のものを賭けられても、俺には釣り合う品がありませんが」
「はははは。タダの人間が、これに釣り合う貴重品を持っているとは、微塵も思ってはおらぬ。しかし、貴様は勇敢にも精霊に戦いを挑むのだ。その心意気に免じて、品物ではなく、肉体を賭けて貰えば、それでよしとする」
「具体的には?」
「なぁに。貴様が負けたら、四肢を切断させて貰う。それだけだ」
さぁて、ビビるぞ、とブンツェはほくそ笑んだ。
必敗の戦いに、四肢を賭ける者など、いるはずもないのだから。
くたびれた雰囲気をした子どもの母親と、クソ真面目で小うるさいペールが、そんなバカなことを! と悲鳴をあげている。
だが、許さない。
許すつもりはない。
小賢しくもこちらを嵌めようとしたクソガキには、キツい仕置きを与えてやらねばならないと思った。
「どうするね? ちいさな戦士よ」
「――追加の約束も、聖霊様の保証案件ということでしょうか」
「当然だ。違約はしないし――させん。貴様が負ければ、手足を失うのだ」
「…………」
云いながらも、妙なガキだと思った。
アルトと名乗った子どもは、全く顔色を変えていないのである。
余程に演技が上手いのか、それとも事態を理解出来ていないだけなのか。
或いは、精神面がおかしいだけなのかもしれない。
四肢を失うと持ちかけたとき、背後の二名のエルフは、明らかに顔色を変えている。
特に、高祖のほうは、無表情のままに狼狽しているようだった。
と云うことは矢張り、向こうは勝負する気なんぞないのだろう。
戦えば負けるのだから、これは当然だが。
向こうでは、母親とエルフに引っ張られた子どもが、何かを云われている。
たぶん、自分が毅然とした態度で勝負を下りなかったから、焦っているのだろうとブンツェは考えた。
(だが、もう遅い。卑しく薄汚い人間族なんぞに、誰が情けなどかけるものか。勝負の後で、永久に苦しむが良いわ)
エルフの商人に云って、四名の花精の身柄を引き取った。
そして事情を説明する。
彼らは最初、自分たちがエルフ族の高祖にケンカを売ったことに怯えていたが、これから行われる決闘が勝てる勝負なのだと分かると、すぐに余裕を取り戻した。
「ザルン。勝負の場には、お前が立て」
ブンツェは、四人の中のひとりに命令する。
ザルンと呼ばれた男は、四人の中では実力は二番手である。
けれども、ひとつだけ他の三人にはない特徴があった。
それはこの男の鑑定眼だった。
ザルンはなんとなくだが、対象の強さを理解出来る特技があった。
能力と呼べる程のものではなく、あくまでもカンの範疇に納まる。
けれども、極めて貴重で有用な特技ではあった。
尤も、たった今ハイエルフの女に為す術無く拘束されたように、効果を発揮しないときは、しないのだが――。
ブンツェは云う。
「あの屍人のような雰囲気をしたガキは、こちらが何を云っても、何故か一切顔色を変えない。雑魚だとは思うが、念のために、よぉく見ておけ」
「信頼をして頂けるのはありがたいんですが、どうも今日は調子が良くないみたいです。エルフの高祖や、ハイエルフの実力者に気がつけませんでしたからね……」
ザルンは、あちら側を改めてジッと見つめる。
その表情は、徐々に青ざめて行った。
眉間を指で押さえて、首を横に振っている。
「どうした?」
「い、いえ……。やっぱり今日は、てんでダメみたいです。あの人間の女は、ただの雑魚で間違いないんでしょうが――その傍にいるガキ三人が、途方もない怪物に見えるんでさぁ」
「三人共だと? そんなことがあるわけなかろう! 全く、肝心なときに役に立たんな!」
吐き捨てるように、ブンツェは云った。
だが、結局は人間のガキが相手なのだ。どう転ぼうとも、負ける事は有り得ない。
花精は勝利を確信し、余裕のある笑みを浮かべた。




