第四百六十四話 万秋の森
「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
万秋の森に足を踏み入れると、フィーが青いおめめをキラキラと輝かせた。
そこは、幻想的な秋の森。
美しい紅葉が視界を覆う。
天からは、ハラハラと落ちる美しい葉っぱの雨。
地に着いたそれらは、波紋を残し、土の中に溶けて行く。
「綺麗なところねー」
母さんの感想はシンプルではあるが、それ以外に言葉が見つからないのも、また事実だ。
「にーた、ここ、凄い! ふぃー、気に入った! にーた、だっこ!」
「はいはい」
抱きかかえた妹様は、雄大な自然の虜となっている。
こんな反応を示してくれただけでも、この娘をここへ連れてきた甲斐があるのだろう。
エイベルには、感謝しないといけないな。
「ふふーん! どうよ? 凄いでしょう、この森は!」
チェチェがもの凄いドヤ顔をしている。
しかし、確かにここは綺麗だ。
日本の古寺なんかがここにあれば、きっともの凄く親和性があるに違いない。
そこに、柔らかくも冷静なヘンリエッテさんが、声を掛けた。
「確認ですが、高祖様や我々は、聖霊様にご挨拶をしなくてもよいのですね?」
「ええ。エイベルがそれで話をつけているわよ。顔を出せば、どうせ『バラ』の話になるだけだしね。寧ろ、行かない方が良いと思うわ」
それはうちの先生の為だけでなく、我が家にとっても良いことだろう。
もともとは、身内だけでささやかなキノコ狩りが出来れば良かったのだから。
「この森には、本当に様々なキノコがあるのよ? 『外』とは違って、季節に関係なくね」
一年を通して、色々なキノコが採れる――だからこそ、エイベルはここを選択してくれたのだろう。
「フィー。素敵な場所に連れてきてくれたエイベルにお礼を云おう」
「うんっ! ふへへ……っ、エイベル、ありがとー!」
「私からもお礼を云うわね? アルちゃんやフィーちゃんの為に、ありがとう」
「……ん」
お師匠様は短く答えて、帽子を目深に被りなおした。
刹那の瞬間、エイベルの口元が、ほんの少しだけ笑っているのが見えた。
※※※
「と、云う訳で、第一回、クレーンプット家キノコ狩りを行いまーすっ!」
「わーっ!」
母さんが宣言し、俺とフィーが歓声を送る。
ヘンリエッテさんとチェチェも手を叩いてくれている。
やる気に充ち満ちているのが、マイエンジェルとマイマザー。
静かに見守ってくれるのが、エイベルとヘンリエッテさん。
で、チェチェだ。
「あたしはこの森を知り尽くしてるから、どこにどんなキノコがあるのか、全部教えてあげる!」
それはありがたいんだが、完全に『ここにある』と云われてしまうと、それはそれでつまらない気がする。カゴに入れるだけの作業になってしまうからね。
せっかく森に来たんだし、フィーには『探す楽しさ』も味わって貰いたい。
だから、キノコの近くに案内して欲しい。
「むぅ……。アルト、わがまま」
チェチェのちいさな身体が、俺のほっぺたをグリグリする。
すまんなァ……。
でも、美味しいキノコがいっぱいある場所へのナビを頼むよ。
微妙に頬を膨らましたフェアリーに導かれ、数々の木々が立ち並ぶ一画へとやって来た。
「ここは本当に、キノコが豊富よ? 万秋の森でも、三本指に入るくらい! でもその分、毒キノコも多いから、それは気を付けてよ?」
「どくきのこ! それ、ふぃー、知ってる! 食べちゃいけないやつ!」
ピトッと俺にほっぺをくっつけてくるマイシスター。
「ふぃー、にーたに毒キノコ教えて貰う! それなら安全!」
安全じゃないんだよなァ……。
いや、俺もフィーに色々と教えてあげたいんだけど、キノコの識別ってプロでも難しいジャンルだからね。
にわか仕込みの知識では、却って危険な結果になることだろう。
俺は家族が大事なので、安全の為にその道のプロであるエイベルに頼らせて貰う。
「ふふん! キノコのことなら、このあたしにまっかせなさーい!」
目の前では、チェチェが薄い胸板をドンと叩いている。
正直、この妖精の実力は未知数だ。
ただ、あまり慎重なタイプには見えないから、そこが不安でもある。
「何よー! このあたしの腕が信用出来ないっていうの!?」
再び、俺のほっぺに突撃を繰り返すフェアリー様。
そのことにフィーが激怒し、何故かヘンリエッテさんもジッとその様子を見つめている。
しかし実際に『このあたし』とか云われても、『このあたし』様の実力を俺は知らないのだ。
「そこは大丈夫よ! あたしの眼力は、タルゴヴィツァも保証してくれているし」
「へぇ……。あの魔女さんがね。それならまあ、大丈夫なのかな……?」
「ちょっとぉぅ! 何でタルゴヴィツァの名前出すと安全判定なのよ!? 実力を知らないのは、あのおばあちゃんも一緒でしょ!?」
「いや。戦魔術師としての実力は不明瞭だけども、薬学者としてなら、相当なレベルだってことは分かっているからね」
俺が断言すると、チェチェは再びほっぺたに突撃しようとし――。
「むぎゅっ!?」
「はい。アルくんのほっぺはダメですよー?」
ヘンリエッテさんに阻まれた。
柔らかい笑顔のはずなのに、奇妙な圧がある。
チェチェは渋々と云った様子で、俺の肩に腰を下ろした。
「で? 何で分かるのよ?」
「そりゃ、彼女の家で見たからね。室内に置かれた道具、薬草。それに作りかけのポーション。そのどれもが、一級品だった」
俺は他の薬学者を全然知らないが、たとえば南大陸の『泥事件』のときに知り合ったエルフよりも数段上手ではないかと思われた。
あの娘も確か、本職の医者だったよね?
ヘンリエッテさんの話によると、エイベル経由で紹介された彼女の師匠となった人物は、「出来損ないの弟子が出来た」と、嬉しそうにしているらしい。
普通、喜ぶなら優秀な弟子なんじゃないの? 言葉のあやなのかな? それとも、別の理由が?
「いや……。アルトって、ただの子どもでしょー? 薬のことなんか、わかるのかしら?」
「エイベルに習っているから、ほんの少しだけわかるよ。ほんの少しだけね。ただ、そんな門前の小僧でも理解出来るレベルで凄いってのが分かったんだよ」
「タルゴヴィツァ様のお屋敷には、ベクマの葉やリーモット草もありましたからね」
「リーモット草の煮汁は目分量で混ぜてるのかな? 専用の計量器が見あたらなかったけど。だったら、ホントに凄いと思う。あれ、ちょっと量を間違えるだけで台無しになるから。俺だと計量しないと無理なので」
「アルト、貴方、ホントに素人? 妙に専門的な話をしてない?」
残念ながら、素人です。
初級ポーション以外の制作を、まだ許して貰えておりません。
「ともかく! キノコの案内は、あたしがするから! エイベルは引っ込んでなさいよ!?」
「…………」
うちの先生は、無言でそっぽを向いている。
これはアレだね。ノーのサインだ。
尤も、チェチェは、その沈黙を肯定と受け取ったようだが。
「にーた、にーた! ふぃーたち、ここでキノコ採れる!?」
早くキノコ狩りをしたくてウズウズしている妹様が、俺の服を引っ張る。
そうだな。
フィーを待たせるのも可哀想だし、早く体験させてあげよう。
「よし、じゃあ、フィー。やってみようか? ちゃんとエイベルとヘンリエッテさんの指示に従うんだぞ?」
「ふぃー、いっぱいキノコ採る! 採って、にーたにプレゼントする! 褒めて貰う!」
「私も頑張って採るわよー! それで、アルちゃんに褒めてもらうの!」
いや……。
俺が褒めることを目的にしてどうするのよ?
ともあれ、似たもの親子は元気よく突撃していった。
「あっ、こら、待ちなさーいっ! 魔獣はいなくても、森で勝手は危ないんだからーっ!」
なんだかんだで面倒見がいいのか、俺の肩から風妖精が飛び立った。
「すいません、ヘンリエッテさん。あの三人では不安なんで、見てあげて貰えますか?」
「はい。アルくんの頼みならば」
柔らかく頷いて、副会長様も後を追う。
残ったのは不肖の息子と、腕の中のマリモちゃん。
そして――美人女教師。
「エイベル、ありがとう」
「……? 何に対して? この場に連れてきたお礼は、もう云われたはず」
「うん。それでも、もう一回ちゃんと云いたかった。うちの家族の為に、ありがとうって」
「…………」
エイベルは目を伏せる。
何だろう?
何か傷付けることや、失礼なことを云ってしまっただろうか?
「……………………アルは」
「うん」
「……リュシカたちでなく、アルは、喜んでくれないの?」
ああ、成程。
俺の云い方だと、母さんたちが喜んだからの『ありがとう』に思えてしまうのか。
「紛らわしい云い方をしてごめん。もちろん、俺も嬉しい。エイベルはいつも、たくさんの『素敵』をくれるよね」
「……………………アルが喜んでくれて、良かった」
エイベルは笑う。
それは他の者が見ることの出来ない、微笑ではない、貴重な笑顔なのであった。
(エイベルが傍にいてくれると、心がポカポカする)
彼女の笑顔を見る度、俺はそう思う。
だから、俺も笑顔。
すると恩師は、再び顔を伏せた。
今度は帽子を目深に被り、俺に表情を見られたくないとでも云うように。
「……アルの笑顔を見ていると、私の心が温かくなる……」
蚊の鳴くようなちいさな声で、お師匠様は、そう呟いた。
それは、こちらと同じ感想。
同じ想いを抱けたこと。
ただそれだけが、嬉しくて。




