第四百六十三話 紺碧のバラ
老魔女とミミズクに見送られて、家を出る。
行く先には、アーチ状に連なる不思議な木々。
この向こう側が、聖域・万秋の森であると云う。
「ねー、エイベルさぁー」
気の抜けた声を出したのは、俺の頭の上で横臥している、風妖精のチェチェだ。
「貴方、なんでここに来ようと思ったの? ぶっちゃけ万秋の森って、エイベルにとっては、あまり居心地のいい場所じゃないでしょー?」
このフェアリー、マイティーチャーのことを呼び捨てにするのな。
うちの家族とリュティエル以外では、初ではないかと思われるが。
「……ん。用があるから」
実に恩師らしい受け答えである。
チェチェは閉口しているようだ。頭上にいるので、その表情は見えないが。
しかし、俺にとって聞き逃せない言葉があった。
「チェチェさん」
「なにー? チェチェでいーわよ? 堅苦しいの嫌いだし。敬語も好きくないし」
気位が高そうな外見なのに、案外、気さくなのね。
おかげで、質問はしやすいが。
「万秋の森が、エイベルにとって居心地が悪いって、どういうこと?」
「んー? あー、それー? あたしが勝手に喋っていいものなのかしらね? エイベル、どうなのよ?」
「……別に構わない。隠す必要のあるものではない」
「そう? じゃあ、教えてあげる。エイベルはね、この聖域のレガリアを持っているのよ」
「レガリア?」
それは、王権の象徴と云う意味だろうか? 日本における三種の神器のような。
「そう。ここ、万秋の森の統治者たる聖霊の祖は、当時の花の精霊王と協力して、ある美しい花を作り出したの」
「花?」
「ええ、花よ。聖霊と精霊王の作り出した、この世界のどこにもない特別な花。その名を、『紺碧のバラ』」
バラか……。
そういえばさっき、魔女タルゴヴィツァも、エイベルに「バラを運んできたのか」と訊いていた気がするが。
「その花は、この聖域だけのもの。世界で一番美しいバラと云われて、万秋の森の代名詞だったのよ。気の遠くなるような時を費やして、少しずつ少しずつ本数を増やして、聖霊の庭園には、バラの園まで出来たこともあったみたい」
へぇぇ……。
バラ園ねぇ……。
「で、それがエイベルとどう繋がるの?」
「……ん。報酬」
うちの美人教師は、また分かり難い答え方を。
頭上のチェチェも、「あんたは全く……」と呆れている。
「あたしの聞いた話じゃ、幻精歴に聖霊ですらどうにもならないレベルのヤバい怪物がいたらしくて、その討伐をこの娘に依頼したんですって。エイベルって、バカみたいに強いでしょ? そのヤバいのも、やっつけちゃったわけ。で、救援の報酬として、紺碧のバラを譲り受けたんだって。さっき云った通り、当時はバラの園が作れるくらいの数があったから、特別に譲ったみたい」
「へぇぇ。てことは、エイベルの『庭園』に、その紺碧のバラがあるのか」
「……ん。ある」
事も無げに云う。
尤も、お師匠様の庭園は複数あるみたいだから、こないだの『浮遊庭園』にあるとは限らないが。
一方チェチェは、俺たちの遣り取りに驚いている。
「貴方、アルトとか云ったっけ? エイベルが妙ちくりんな庭園を持ってることまで知ってるのね? あれって、エルフ族の秘中の秘じゃなかった?」
「……別に、アルたちなら構わない」
信頼されてますなァ……。
その期待を裏切らないようにしないとね。
「驚いたわね……。まあ、いいわ、話を戻すわね? 紺碧のバラが譲られたことで、この世にはそのバラが、二カ所に存在するようになったわけよ。聖域・万秋の森と、高祖の庭園とに。でも、それも終わりを告げる」
話の流れからすると、聖域の『それ』が失われたんだろうな。
しかし、何故?
「大崩壊よ。幻精歴末の大崩壊。アレは聖域と云えども、無縁ではいられない。多大な被害を受けたみたい。その中には、生育の難しい紺碧のバラも含まれていたの」
ああ、成程。
世界が滅ぶ程の破壊の前では、どうしようもなかったと。
幻精歴末に消えた植物と云うと、俺にはまず奉天草が思い浮かぶが、他にも稀少な草花が失われたんだろうな。
「エイベルの所のバラは、よく無事だったね?」
「……ん。あれは完全に、当時のガーデナーのファインプレー」
そうか。エイベルには直属の庭師たちがいるんだったな。
それも植物魔術の使い手の。
彼らが守り抜いたのか。
「話は分かったけど、それで何でエイベルがこの聖域に来づらくなるの? 寧ろ王権の象徴を守り抜いた恩人じゃないか」
「そこなのよ。問題は」
俺の頭頂部を、ぽんぽこと叩くフェアリー様。
「どんな組織や集団にも、ちょっと変なのっているでしょう? ここにもそれがいてね。『万秋の森は、この世の楽園である。そして、紺碧のバラの誕生の地である。ならばエルフ族の高祖は、バラを森に返還すべきである』なんて主張する奴らがいるのよ」
いや、その理屈はおかしいだろう。
バラはエイベルが奪ったものではないんだから、『返還』と云う言葉がまず妙だ。
寧ろエイベルにお願いして、分けて貰うほうが筋なのでは?
「まあ、プライドが高いのが多いからね。頭を下げたくないんでしょうよ」
納得いかん話だねぇ。
――ああ、だからババ様も、「あれはあんたのもんだ」って云ってたのか。
(しかし、それはそれとして疑問がある)
俺がそれを問う前に、話を傍で聞いていたマイマザーが親友に質した。
「ねぇ、エイベル。貴方の所に、そのバラがあるのなら、少しだけ分けてあげることは出来ないの?」
「……無理」
実にシンプルな回答だった。
でも、出来るなら、何で無理なのかも説明して欲しいね。
俺や母さんが敷衍することを促すと、マイティーチャーは、ぽつりぽつりとその理由を語ってくれた。
曰く――。
特別な環境下で作られた植物であるが故に、当時の環境を完全に再現できなければ、紺碧のバラは、生きて行けないのだという。
大崩壊以後、万秋の森の環境は、少し変わった。
それはつまり、バラが生きて行ける状況ではないのだと。
「……ここにバラを戻しても、すぐに枯れてしまうだけ。そんなことに意味はない」
魔女タルゴヴィツァとの遣り取りでも、エイベルは「そんな無意味なことはしない」と答えていたが、それはこういう理由だったのね。
「でも、だったら何で、その森の人たちは、バラを欲しがるんだ? 戻しても枯れちゃうんでしょう?」
「それがねぇ、大丈夫だの一点張りなんですって。森の環境は改善されている。一刻も早く返還すべしって。実際、神聖歴の間に環境の改善と回帰は進んではいるみたいなのよね。で、その連中は、目に見える実績が欲しいと。加えて、エイベルがバラを戻さないのは、優位を取る為の出し惜しみだと決めつけているみたい」
「成程ねぇ……」
でも、植物の生育に関しては、俺はエイベルを全面的に支持するな。
森側の人たちの能力は知らなくても、うちの先生の心根と実力は信頼できるから。
「だから、アレよ。エイベルがここに来るってことは、『バラ騒動』に巻き込まれるってことになるのよ。なのに、この娘はここに来た。あたしはそれが、ホントに不思議。――ねぇ、エイベル。貴方一体、何しにこの森へやって来たの?」
「……ん。キノコ狩り」
「はぁ……っ!?」
何云ってんの、みたいな気配が、頭上から届く。
しかし、俺は目を閉じてしまう。
エイベルは、うちの家族の為に、森へ入れるようにしてくれたのだ。会いたくない連中だっているだろうに。
「エイベル、俺は――」
「……私が勝手に考え、勝手に実行したことに、アルが負い目を感じる必要は一切無い」
無機質なエメラルド色の瞳が、静かに俺を見つめている。
うちの先生は、そういう人だもんな。
俺は絞り出すように、ありがとう、と呟いた。
そして頭上では、打楽器のように頭を叩く奴がいる。
「ちょっと待って。意味が分からないんだけど。つまり、何? この家族にわざわざキノコ狩りをさせたいから、ここに来たって云うの?」
「…………」
その沈黙は、肯定。
ちいさく大きなため息が、俺の頭に吐き出された。
「信じらんない。あの『破滅』の高祖に、こんなに大事にされている人間がいるなんて。……貴方たち、一体、何をどうやって、この娘の心を掴んだのよ?」
そんなことを云われてもな。
「いや~……。バカだわぁ……。キノコが美味しい森なんて、他にいくらでもあるでしょうに」
「……アルたちには、一番美味しいキノコを食べて欲しいと思った……」
帽子を目深に被り、俯いて喋る高祖様。
これ、照れているんだろうな。
マイマザーが喜色を浮かべて、親友に抱きついている。
巻き添えで母さんにだっこされているマリモちゃんも、強制的におしくらまんじゅう。
「まあ、話は分かったわ。なら、万秋の森を知り尽くしているこのあたしが、オススメの場所へ案内してあげる!」
俺の頭から飛び立った風妖精は、空中で回転してから、恩師の帽子の上に着地した。
しかし、このフェアリー。
エイベルと砕けた会話をしているけど、偉い存在だったり凄い年齢だったりするんだろうか?
「あたし? 普通の風妖精よ? 年齢もまだ、三十歳だし」
単なる個性の発露だったか。
兎も角、色々あったが、いよいよキノコ狩りだ。
フィーがたくさん楽しんでくれると良いんだが。




