第四百六十一話 魔女タルゴヴィツァ(後編)
禁忌領域って、何か凄く強い人に付く称号か何かだった気がする。
ぶっちゃけ、俺はよく知らないんだけれども。
マイマザーも『強さ』には興味がないのか、単純に分かっていないのか、マリモちゃんを抱いたままで笑顔で頭を下げる。
「エイベルの知り合いなんですねー。私はこの子たちのママでエイベルの親友の、リュシカと云います」
「だう」
一緒に頭を下げるマリモちゃん。
ちゃんと挨拶できて偉いぞ。
理解出来ているのか、怪しくはあるが。
俺も続いて挨拶をする。
フィーもそれに倣った。
「ふぃーです! にーたが好きですっ!」
うちの家族の様子に、魔女タルゴヴィツァは、口をへの字にして肩を竦めた。
「なんだい、なんだい、本当に普通の一家じゃないか。あたしに会いに来る奴なんて、基本的には敵対者か利用しようとするヤツばかりだったから、ちょいと驚いたよ。――で、これがエイベル様の云っていた用事かい?」
「……ん」
この老婆は、この森の番人をやっているのだと云う。
うちの家族が万秋の森に立ち入る許可を得る為に往来した時のエイベルとも会ったらしいが、その時の遣り取りは、
「ここを通る? そりゃ構わないがね、何の為に聖域に行くんですかね?」
「……ん。用事がある」
それだけだったらしい。
「まあ、悪さをしそうには見えないから、あんたらが通るのは構わないけどね。……そもそも、エイベル様がいるんじゃ、力尽くで阻むことも出来ないしね」
「お婆さんって、ここの番をしているんですよね?」
「形だけはね」
「形だけ、ですか」
「あんたら、『門』で跳んできたんだろう? なら知らなくても不思議じゃないが、ここはハイエルフのテリトリーなんだよ。つまり悪意ある者がここに来る場合は、ハイエルフたちを蹴散らさないといけない。加えて、この大森林自体も迷路になっているのさ。だから並みの者は突破できない。逆にハイエルフたちを蹴散らして楽勝でここまで来られるヤツなら、あたしにだって手も足も出ないかもしれない。だからここの番なんて、いてもいなくても同じなのさ」
わかるような、わからないような。
でも、だったら何でここで番をしているんだろう?
「そりゃ、都合が良いからに決まってる。あたしは人付き合いが嫌いでね。どこか貴重な植物が取れる場所で、のんびり自適に暮らしたかったのさ。それがここだったというだけさね。出入り口を防衛する代わりに、ここに住み着かせてもらっているのさ」
成程なー……。
ネットが繋がって通販が届くなら、沖ノ鳥島で暮らすのだって構わないとか、そういうメンタルに近いんだろうか?
いや、違うか。
ヘンリエッテさんは、柔らかく笑う。
何故か俺のほっぺをつつきながら。
「人の世においては、タルゴヴィツァ様は伝説の魔女なんですけどね。それこそ、聖域への出入り口を固めるに相応しい逸話の持ち主ですよ」
「元聖域守護者にそんなことを云われてもねぇ……」
「仄聞するところによれば、タルゴヴィツァ様は、『禁忌領域』の中でも群を抜くとも云われておりますよね?」
「それこそ、無責任な噂と云うやつじゃないか。『禁忌領域の中でも』、とか云われても、別に他の連中を全員知っているわけでもないし、腕比べをしたわけでもない。特にここ最近知られてきた若いの――『帝国の死神』なんかは全く情報が無いし、あたしが実際に顔を知っているのも、『鈍色の斜陽』と『ミトリダテスの腕』、それから、バクチ狂いのあのクソ爺くらいなもんだしねぇ」
婆様は皮肉げに口を歪めて、それから俺を見る。
「あんたら子どもには、わけわかんないし、興味のない話だろう?」
「強いの弱いのを語っているのは、まあ分かります」
「極論すれば、そうだね。……あんた、ルヴァネルと云う名のハイエルフは知っているかい?」
「いいえ?」
初めて耳にする名前だ。
王都在住だったりするんだろうかと、ヘンリエッテさんを見る。
彼女は柔らかく首を振った。
「アルくん、ルヴァネルさんは、当商会の所属職員ではありませんよ」
それじゃ知らないわけだ。
俺のキョトンとした様子を見て、老魔女は肩を竦める。
「ハイエルフ族最強の魔術戦士――。ルヴァネルは一応、そう呼ばれているんだがね? そしてそいつも、『禁忌領域』と呼ばれるひとりさ」
全く知らないなァ……。
と云うかハイエルフ最強って、ヘンリエッテさんと、あの仮面のエルフ――レコードって人の双璧だったのでは?
「知らないんじゃ、何の説明にもならないんだが、まあ、アレだ。あたしが云いたいのは、人口に膾炙した評価と、実像は別ってだけなんだがね」
「つまり、その人は最強じゃないってことですか」
「子どものくせに、なかなか飲み込みが早いじゃないか。まあ、そういうこったね。あたしの知る限りでは、このバルケネンデの娘か、例の仮面か、最強はどちらかだろうよ」
その辺はリュティエルも云っていたからな。
でも、上役としてハイエルフを把握している『天秤』の高祖と、僻地の森に住んでいる老婆とじゃ入手出来る情報の量と正確さに差があるだろうから、このババ様の眼力を褒めるべきなのかな?
しかし、ならばどうして、そのルヴァネルという人が『最強のハイエルフ』と呼ばれたのだろうか?
「それはですね。ルヴァネルさんは、他国を拠点に冒険者として活動をしていまして、長年、各地で相当な戦果を挙げていらっしゃる方なんです」
ああ、成程。
目に見える戦果を積み上げていれば、『無名の実力者』よりも明確に最強談義の花形になるか。
「あの『仮面』やアンタは、その戦果が虚構だと思われているからねぇ? いや、存在が、か」
「虚構のものも、実際にありますよ? 別に誇れる成果はあげておりません。何より私は、しがない商人ですので」
穏やかに笑うヘンリエッテさんに、「何云ってやがる」と云う顔をする魔女様。
「あたしも魔術の腕には、少しだけ自信があるけどね、それでも、魔術に長ける三大種族とは競いたいとは思えないねぇ」
魔術に長ける三大種とは、ホルン、リュネループ、そしてエルフだ。
俺も魔術を少しだけ囓っているが、魔力量からして『格上』の連中とは争おうとは思えない。
そもそも、暴力沙汰自体がイヤだしね。
(ルヴァネルって人の話もちょいと気になるが、別に話の主題じゃないだろうし、これ以上掘り下げることもなさそうだな……)
と云うか冒険者繋がりなら、シャーク爺さんに聞いた方が良いのかもな。
「ふん。バルケネンデの娘が『最強』だと教えられても、特に顔色を変えないね? 事前に知っていたのかい?」
「ええと……。よく飲み込めてないだけです」
こないだ聞いた話だが、余計なことは云わないでおこう。
「何か嘘くさいねぇ……。それに何だい、そのくたびれ果てて亡者みたいになった気配は!」
気配は関係ないだろう、気配は。
俺の雰囲気と名誉エルフの称号は、触れるつもりなら戦争も辞さないよ?
「だう! あきゅっ!」
そこに、焦れたようにマイマザーの腕の中にいたマリモちゃんが騒ぎ出す。
そう云えば、この娘は何かを食べたそうにしてたんだったな。
「あぁっと……。その子は、精霊だろう? 大方、うちの中にある魔石の匂いでも嗅ぎつけたのかね? でも、ダメだよ! あれは貴重品だ! 食料にするなんて、もってのほかだ!」
「あぶ……」
露骨に寂しそうにするマリモちゃん。
そして呼応するように、だっこしているマイシスターのお腹が鳴った。
「にーた、ふぃー、お腹減った!」
シェインデル家を出てから、まだお昼ご飯は食べてないからな。
……商会では、お茶請けを食べていた気はするが。
「何だい、そっちの白いのも腹ぺこなのか。アンタたち、もしや満足に食べさせて貰ってないんじゃないだろうね?」
じろりとマイマザーを睨むババ様。
母さんは心外だとばかりに抗議する。
「ちゃんと食べさせていますよう! それにお腹空いてるのは、私も一緒ですぅー!」
最後の一言は余計だろう。
老魔女に、アホを見るような目で見られているぞ、マイマザー。
「……ったく、仕方ない。あたしのうちについておいで。――エイベル様、どうせあっちの『森』に行くなら、案内役を待つんだろう?」
「……ん。呼ぶのも待つのも、あまりかわらない」
確かキシュクード島へ行くときも、案内役に人魚がいたよな。
いなくても行けるけど、不法侵入はダメとかそういう理由で。
「にーた! ふぃーたち、あの格好良い家に入れる!?」
ちょっとズレた感性の持ち主である妹様は、あの歪んだ『魔女の館』に興味があるようだ。
その叫び声を聞いた老婆は、はじめて不機嫌そうだった顔を、意外そうにゆるめた。
「ほう。あたしの家の良さが分かるなんて、中々センスは良いみたいだね。この家に来る連中は、見る目無い奴が多かったからねぇ……」
いや……。
妹様の目にとまるって、ちょっとアレなんじゃないの?
「お婆さんのおうちって、文句つけに来る人がいるんですか」
そんな風に聞いてみる。
「文句をつけに来るんじゃなくて、来たついでにケチを付けるってところだね。主に、ショルシーナ商会の連中が」
「ん? 商会の人が、ここに出入りしてるんですか?」
俺の問いに、魔女タルゴヴィツァは、Vサインを作った。
「生活必需品や食料は、通販を頼んでいるんだよ」
意外と文明人だった。




