第四百六十話 魔女タルゴヴィツァ(前編)
新たなる聖域へ向かうにあたり、改めて商会へ。
ここで、エイベルとマリモちゃんと合流する。
「……だ! ……だ!」
マリモちゃんは寂しがっていると思ったが、どちらかというとお冠のようだ。自分だけ置いていかれたからだろうか?
不満げにほっぺをぷくぷくと膨らませながら、マイマザーにしがみついている。
「ノワールちゃん、ごめんなさいね?」
「あにゃ!」
ぷいと横を向くが、その手は母さんを離そうとしない。
どれだけマイマザーを好きなのかが、ありありと見える。
母さんもそれが分かるのだろう。
たっぷりとマリモちゃんを撫でつけている。
うちの末妹は母上様に任せるとして、俺も俺で、待たせたことを詫びねばならない人がいる。
「エイベル、おまたせ。時間掛かってごめん」
「……ん」
そっと。
こちらはこちらで傍に寄り添ってくる。
場所が商会なだけに、ハイエルフたちがお見送りしてくれる。
今回はエアバイクでカッ飛ばす訳でもないので、護衛が一名、随行する。
「ふふふ。アルくん、高祖様、よろしくお願いしますね?」
なんとなんと、それは商会のナンバーツーであるヘンリエッテさんだ。
ショルシーナ会長とフェネルさんとヤンティーネが、微妙に不満げな顔をしている。
「エイベル様と一緒……! 妬ましい……っ」
眼鏡にヒビが入りそうな程にぷるぷると震えている商会長。
「副会長、立場を使っての横車は酷いと思います……」
ハイエルフの従魔士はそんなことを呟き。
「移動手段に問題がないのですから、護衛の人数は、もっとあってしかるべきです」
うまのしっぽを揺らしながら、女騎士が口を尖らせる。
当家のお姫様たちの安全を考えるとティーネの言葉はまことに正しいのだが、聖域の主にお願いしてお邪魔させて貰う都合と、もとより大人数を好まないエイベルの性格が重なって、このような仕儀となった。
本来はいつも通り、フェネルさんかティーネが同行するはずだったとか。
それを言葉通り、副会長様がかっ攫ったのだと云う。
「写真機やオオウミガラスまわりで忙しいこの時期に……」
商会長はそうも呟くが、お店が忙しいのはいつものことだろうに。
「なんにせよ、高祖様とクレーンプット家の皆様の警護はお任せ下さい」
副会長は、強引に良い笑顔で押し切った。どことなく嬉しそうだし、羽が伸ばせて嬉しいのかな?
※※※
そして、『門』をくぐる。
今度は、どんなところへ行けるのだろうか?
「ふへへ……! にーた、ふぃー、お出かけ楽しみ!」
この娘が喜んでくれるのならば、それが一番なんだけどね。
「ん? ここは……!?」
くぐり抜けた先は、薄暗い部屋だった。
『門』から漏れる光で、かろうじて内部が把握出来るが、何かが置いてあるようには見えない。
『門』の他には、何もない。
(うん? この匂いは――)
樹だ。
品のある落ち着いた樹木の香りがする。
どのような場所なのかと考える暇もなく、エイベルは扉を開いた。
「わぁ……っ! 凄い大森林ね!」
母さんが目を輝かせている。
そこは、天をつくかのような巨大な樹木の立ち並ぶ森の中。
そして俺たちが通ってきた『門』は、そんな幹の一部をくりぬいて作られた隠し部屋だったようだ。
樹の一部が部屋になっているとは、あまり考えないだろうから、これは巧妙と云うべきだろう。
「わざわざ加工したんだ?」
「……本来は、部屋にするつもりはなかった」
エイベルの云う所によると、この樹の『部屋』に該当する部分が病気になったので、切除したらしい。
その後、空きスペースを活用することになったのだとか。
そして、『大きいもの』、『雄大なもの』が大好きな我らが妹様は――。
「ふおおおおおおおおおおおおお! にーた、ここ、ふぃーたちの秘密基地の中みたい!」
成程。
この大森林を『生け垣の中』と感じたか。
確かに天を覆う葉と枝から届くかすかな木漏れ日は、あの秘密基地に通ずるものがあるが。
(それは兎も角、秘密基地を大声でバラして良いのか、妹よ……)
まあ、母さんたちにはとっくに知られているんだが。
「あきゅ……っ」
母さんにだっこされているマリモちゃんが、何かを嗅ぎつけたようだ。
精霊族特有の食いしん坊モードに入ったように見えるから、魔力でも感じたんだろうか?
今更の話だが、精霊は魔力をエサにしているだけあって、程度の差はあるが多くの場合、魔力感知を有している。
と云うか、ないと餓死してしまうんだけどね。
氷雪の園のような環境ならば、魔力感知のない個体でも生きて行けるんだろうけれども。
「エイベル、この先って何があるの?」
まさか、聖域が美味しいってこたァないだろうからね。別の何かがあるんだろう。
俺の疑問に答えてくれたのは、恩師ではなく、ヘンリエッテさんのほうだった。
「この先には、さるお方が住んでおります。万秋の森への入り口である、この大森林の番をされている魔術師です」
「猿!? にーた、ここ、お猿さんいる!? ふぃー、お猿さんも見て見たいっ!」
マイエンジェルよ。
おめめがキラキラしているのになんだが、猿の魔術師じゃないからな? モンキーマジック。
(それにしても、ここはまだ聖域ではないんだな……)
キシュクードにも直接『門』は置いていなかったが、ここも同じような理由なんだろうな。
人様の領地に、勝手に移動用魔道具は置けないと。
「高祖様。タルゴヴィツァ様には、挨拶をされていくのですか?」
変わった名前だな。それに、長い。
そのタルなんちゃらが、この森の番人なのか。
タルタルとでもまとめたいところだが、それはどこかのアレな星読み様だからな。
「……ん。一応」
エイベルが頷いたので、その人物の家に足を向けることとなった。
「うっわ……! ザ・魔女の家って感じだな!」
百メートルも離れていない場所に、その家屋はあった。
奇妙に歪んだ建築物には、ツタやらコケやらがこびり付いている。
もの凄く胡散臭い家だ。
仮にこの森に迷い込んでも、こんな怪しげな建物では、助けを求めるか迷う気がする。
「アルくん、よくタルゴヴィツァ様が女性だと分かりましたね?」
いや、知らないよ。
でも、あの造形は魔女の館だろう、どう見ても。
「だーう!」
マリモちゃんはバタバタと手を伸ばしている。
まるであの怪しげな家が、『お菓子の家』だとでも云わんばかりの表情だ。
口元からは、よだれが垂れている。
「にーた、あそこにお猿さんいる!? お猿さん、あそこで何してる!?」
お猿さんはいないと思うが。
説明するのもアレだし、フィーには実物を見て貰うとしよう。
俺も『魔女』というのがどういう人なのかは気になるし。
(まあ、いかにもな館だし、老婆が出てくるんだろうけど)
俺たちが建物に近づくと、年季の入った扉が開いた。
同時に、しわがれた声がする。
「なんだい、妙に騒がしいねぇ」
うっは!
思わず声を出しそうになった。
出て来たのは、誰がどう見ても『魔女』としか呼ばないような老婆。
こんなコッテコテのステレオタイプな魔女が出てくるとは。
他の呼び方があるとしたら、さしずめ『おばば様』だろうか?
笑い声は『ヒッヒッヒ……』に違いない。
背の低い老婆は、こちらを見て眉を上げた。
「なんだい。エイベル様じゃないのさ。それに、バルケネンデの娘まで。――そっちの家族は……こりゃまた、妙な取り合わせだねぇ……」
「ご無沙汰しております、タルゴヴィツァ様」
「ふん。久しぶりだと思うのなら、土産のひとつも持ってきて欲しいもんだね?」
「はい、もちろん、用意してございます。こちらをどうぞ」
ヘンリエッテさんは、自分の荷物から包みを取り出して老婆に手渡した。
どうやら、この人たちは顔見知りのようだ。
「如才のないこったね。こうも行き届いていると、それはそれで癪に障るねぇ」
「では、取り下げますか?」
「貰うに決まってるだろう? くれると云うのなら、厄介事じゃないかぎり、ゴミだって受け取るさ」
老婆はニタリと笑い、それからエイベルを見る。
「まさかエイベル様、『バラ』を聖域に運ぶつもりになったんですかね?」
「……そんな無意味なことはしない」
「ああ、そうでしょうとも。経緯はどうあれ、アレはもう、あんたのものでしょうからねぇ。ただ、バルケネンデの娘をお供に付けているということは、それだけ価値のあるものを持ち歩いているのかと思ったんですよ」
「……ん。あのバラよりも、価値が上。比べること自体が誤り」
バラと云うのがなんなのかは知らないが、エイベルの視線は、我らクレーンプット家に向けられている。
老婆は胡散臭いものでも見るように、首を傾げた。
「そっちの赤子は精霊だろう? けど、あたしにはその子らは、ただの人間に見えるんだがね?」
「……この子たちの価値は、そういう尺度で測るものではない」
「ああ、成程。絆に類するものだと。こう云うと失礼かもしれませんがね、あんたの口から、そういう言葉が出るとは思いませんでしたよ」
ヒッヒッヒ、と老婆は笑う。
外見から笑い声まで、期待を裏切ることなくイメージのまんまだな。
マイマザーが、マイティーチャーに引っ付いた。
「ねね、エイベル、このお婆さんは、どんな人なの?」
「……ん? 知り合い」
相変わらず、雑な説明だな。
逆に云えば、うちの家族程には親しい間柄ではないのだろう。
(まあ、説明が上手な人は、すぐ傍にいるしね)
俺は副会長様を見る。
彼女は柔らかい笑顔のままで、こう切り出した。
「こちらの女性は、タルゴヴィツァ様。人間たちの世界では『禁忌領域』とも呼ばれる、偉大なる魔術師です」




