第四百五十九話 ヒツジちゃん疾風録
神聖歴1206年の十月。
今日はこれから、キノコ狩りに出かける。
朝に出て、夜に帰ってくる予定。
場所はもちろん、聖域・『万秋の森』。
ここに出かけるのは、ふたつの理由がある。
ひとつは単純に、フィーにキノコ狩りをさせてあげる為。
場所が聖域になったのは、エイベルが張り切りすぎてくれたからだ。
尤も、これはありがたいというべきことなのだろう。
聖域のキノコならば常の場所のそれよりも味がよいはずだし、何より、現場にモンスターがいない。
そこらの山や森に入るなら当然の如く、襲撃を警戒をしなければならない。
まあ警戒するのがエイベルなら、普通の山でも魔獣と遭遇することはなかっただろうけれども。
だが、何と云っても妹様だ。
この娘は行動力旺盛で、動きが読めない。
エイベルを信用しないわけではないが、『万が一』があっては困る。
だから、『万が一もない』聖域で過ごせるなら、それに越したことはないのだろう。
そして、ふたつ目。
それは、キノコを食材にする為だ。
キノコ狩りに行くのだから、採ったキノコを食べるのは当然と思うだろうが、我が家だけで消費するのではないのだ。
何せ今月は、邪神ミアの誕生日がある。
マイマザーは彼女の十五歳の成人祝いの為の食材を、聖域に求めたというわけだ。
平民の女性が貧乏貴族の三女の為に、エルフの高祖と共に伝説の聖域を訪れる――文字にすると酷くちぐはぐだが、そういうことなので仕方がない。
そして『ついで』と云っては非常に失礼な話になるのだが、行きがけにヒツジちゃん宅――シェインデル家を訪ねることにした。
シープマザーこと魔導復古学者のフローチェ女史から、『娘と会ってあげて欲しい』と再三にわたり手紙を受け取っている。
丁寧な文体ではあったが、寂しがる娘さんを宥めるのに苦慮している様子がアリアリと伝わってきたので、『門』をくぐる前に、シェインデル家を訪ねることにしたのである。
エイベルとマリモちゃんは、商会で待機だ。
魔導学者の前に、純精霊だのアーチエルフだのを出す訳にはいかないからね。
まだ朝早い時間なのに、品のある家政婦さんは丁寧に我が家を迎入れてくれる。
あ、もちろん本日の午前中に、ちょこっとだけ寄ることは通達済みよ?
で、入り口をくぐると――。
「アルぅ~~~~っ♪」
「ぐふぅっ!?」
ちいさくてふわっふわな人影が、俺にドスンと飛び込んできた。
たかが幼女の突進と云うなかれ。
彼女の頭部には、かたくて立派なツノがある。
そんなものが腹にめり込んだ日には、そりゃァ……。
飛び込んできたのは、云うまでもなく、我らがヒツジちゃんである。
御年三歳になられ、めでたく赤ん坊から女児へと成長なされたのである。
「アルぅ♪ アルぅぅぅ♪」
「うごっ、おご……っ! く、苦し……い……」
腹が、腹がァ……!
「めーーーーっ! にーたから、離れるのーーーーっ!」
妹様、大激怒。
しかし他の子と会わせるときの愛娘の行動を予測していたマイマザーは、シェインデル家に入る時点で、フィーを抱きかかえ、その動きを封じている。
「みゅみゅっ!? にーたを助けにいけない!?」
必死に、もがいているフィー。
しかし我が子が産まれた時からだっこを続け、結果として鍛え上げられた『母の腕』のたくましさに敵うはずもなく。
「にーたぁっ! たすけてー!」
妹様が、逆にこちらに救助を求める珍事に。
しかし、すまぬ……。
今の俺は、身動きが取れんのだ。
笑顔で発光しながらしがみついてくるヒツジちゃん。
移動といい言葉といい、だいぶ成長したようだ。
「久しぶりだね、フロリちゃん」
「アルぅ♪ アルぅ♪ えへーっ」
家の中と云うこともあってか、ヒツジちゃんは自慢のツノを出したままだ。
彼女のツノは、何と云うか、全体的に丸っこくて可愛らしい。
ツノに対してこう云う感想はどうかと思うが、実に女の子らしい造形だ。
「あらあら、フロリったら……。よっぽど、ヨリックに似た人が来たのが嬉しかったのね……」
だから、ヨリックなんぞ知らんわ。
フローチェ女史が挨拶をしている間に、フィーを母さんから受け取る。
放置すると泣いちゃうだろうしね。
「アルぅ……」
しかしそうすると、今度はヒツジちゃんが悲しそうだ。
先程まで桜色に発光していたのに、みるみるうちに光量がしぼんでいく。
そんなヒツジちゃんを、マイマザーが抱きしめている。
これは慰める意味もあるだろうが、自分が抱きしめたいだけでもあるんだろうな。
「うちの娘も、だいぶ喋れるようになったんですよ?」
フローチェさんは嬉しそうに眼を細める。
応じるように、母さんが呟く。
「アルちゃんのこと、ちゃんと憶えてるのねー? こないだ来た時も、まだちいさかったのに」
「セロの託児所のこととかは全く憶えてないんですが、ヨリックに似たその子のことだけは、しっかりと記憶しているみたいなんです。やっぱり、ヨリックに似ていることが決め手だったのかしら? ヨリックに似ていることが」
ヨリック連呼しすぎだろう。
しかしその辺は、当の本人に訊けばわかるだろう。
「フロリちゃん、俺に似た人とか、憶えてる?」
「んーー……?」
顎に指を当て、小首を傾げるヒツジちゃん。
憶えがないどころか、興味すらなさそうなんですが。
彼女はすぐに考えるのをやめて、母さんの腕の中から、俺に向かっておててを伸ばしてくる。
「アルぅ……! フロリのこと、なーてー?」
「めっ!」
なーて、は『撫でて』だろうな。
まだまだ舌っ足らずなしゃべり方のようだ。
しかし三歳なら、これでも聡明と云うべきだろう。
実行前に、まずはフィーを深く抱き直し、サラサラの銀髪を撫でてやる。
マイエンジェルは、すぐに夢見心地になった。
その隙に、ヒツジちゃんの頭を撫でた。
ふわっふわの髪の毛が気持ちいい。
「えへーっ♪ アルぅ、アルぅー。ツノ! フロリのツノも、なーて?」
デレデレと笑いながら、桜色に発光していくヒツジちゃん。
叶えてあげると、更に笑顔に。
光沢のあるツノは、確かに綺麗だ。
あと、可愛い。
天然物じゃなくて、そういうアクセサリと云われても信じてしまいそうになるくらいに。
「この娘、ツノの手入れは毎日欠かさないのよ? ヨリックに似た貴方に褒めて貰うんだって、しっかりと磨いているんですから」
ああ、うん。
これは褒めてあげないとダメだろうね。
「とっても素敵なツノだね。綺麗だよ、フロリちゃん」
「えへーっ♪ アルぅー♪」
マイマザーにだっこされているのに、飛び出してこようとする。
この娘も夢中になると、周りが見えなくなるタイプか……。
危なっかしいな。
※※※
「アルー♪ アルぅー♪」
「なぁに、フロリちゃん?」
「えへーっ♪」
ピトっとまとわりついてきては、満面の笑顔を見せるヒツジちゃん。
合間合間で妹様が激怒しているが、こればかりはどうしようもない。
「こんなに笑いっぱなしのフロリは、久しぶりに見たわ。やっぱり、ヨリックに似ているからですかね?」
ヨリックは関係ないが、ヒツジちゃんはもう、ずっと光っぱなしだ。
魔力の扱いに長けるホルン族だけあって、基礎魔力量は矢張り多いのだろうな。
それだけ機嫌がいいということでもあるのだろうが――。
(でも、そろそろ、おいとましないといけないな)
キノコ狩りの時間もきちんと確保しなくては。
それに、待ってくれているエイベルとマリモちゃんも可哀想だし。
ふと見ると、母さんも同じ気持ちだったらしい。
寂しそうに笑いながら、俺に頷いた。
「あら? もう行くの?」
フローチェさんには、ここへ来るのは出かけの途中なのだと手紙で知らせてある。
一方、事情を知らないヒツジちゃんは、何なにー? って感じで、俺たちを交互に見やっている。
「フロリちゃん、また来るからね?」
そう云って、ふわっふわの頭を撫でると、
「――――っ!」
みるみるうちに、ヒツジちゃんの大きなおめめに涙が溜まっていく。
『別れ』を理解出来ていると云うことなのだろうか?
シープマザーを見ると、あちゃーって感じで笑っている。
「貴方の云い方や仕草は、朝、私が仕事に行くときと同じなのよ。それでこの娘は、貴方たちがいなくなると分かっちゃったみたいね」
「アルー……?」
きゅっと、俺の服を掴んでくるヒツジちゃん。
こういう表情を見ると、心が痛むが。
「行くなら、早いほうが良いと思いますよ? 収拾が付かなくなりますから」
我が子を抱き上げるシープマザー。
続くように、我が家も立ち上がる。
「やぁ……っ!」
ヒツジちゃんは、完全に涙目だ。
「娘のことは私が宥めておきますので、ご安心下さい。かわりと云っては何ですが、またすぐに会いに来てあげて欲しいんですよ」
これに関しては、頷いてあげるしかない。
尤も、簡単に実現できるかは分からないけれども。
「アルーっ! アルーっ!?」
ヒツジちゃん、もう号泣じゃないですか。
これは本当に、またすぐに来てあげないとなァ。
「ふふふー。フロリちゃん?」
マイマザーは、涙するヒツジちゃんを撫でている。
「またすぐにアルちゃんと会えるから、少しだけ我慢してちょうだいね?」
そっと、ちいさなおててに何かを握らせる。
それは――。
「アル……!?」
いつも持ち歩いている、我が子の写真だった。
俺単独のものを渡したようだ。
「え……っ!? な、何この精巧な絵は!? こんな技術を持った絵師がいれば、太古の遺跡の調査とか、もの凄くはかどるんですけど!?」
別の人が、もの凄く反応している。
「アルぅ……!」
ヒツジちゃんは、まだ泣いている。
けれども写真を貰ったことで、少しだけ気持ちが落ち着いたようだ。
「え!? え!? ホントに、この絵、何なんです!? フ、フロリ、それ、良く見せてっ!?」
別の人が入れ替わるように騒がしくなったけれども。
「すぐに、また来るよ?」
「あるぅ……」
ふわっふわの髪の毛を撫でて、ツノもつるりんと撫でておく。
ヒツジちゃんは笑おうとして失敗し、また泣いてしまった。
俺は改めて再会を約束し、シェインデル家を後にした。
それは疾風のような、僅かな出会いの時間だった。
今週も残業ばかりなので、更新が滞ります。無念……。




