第四百五十七話 幼女迷宮(中編)
第四王女殿下。
それはロイヤル村に住まう、村娘ちゃんのことに相違ない。
他にいるはずも無いしね。
ロイヤル村の村長の娘がやって来たと聞いて顔色を変えたのは、二名のみ。
それは村娘ちゃんの『姉』であるちいさな少女と、その『祖父』だった。
孫娘ちゃんの表情は真っ青であり、織物問屋のご隠居の顔は、それを心配するような思案顔であった。
逆にアホカイネン親子は、「ふーん?」とか、「何でここに?」と云った顔をしている。
彼女等は村娘ちゃんとは面識がある。
それは、あの『月の奇跡』の時に顔を合わせているからであり、その後の『取り調べ』でも同席して証言を取っているからでもあった。
しかし、前述の如く、来訪理由に不思議そうにしているだけなので、あまり親交はないのだろう。
当然と云えば、当然の話なのだが。
だからぽわ子ちゃんは、姿の見えない知り合いよりも、目の前の女の子に興味の対象を移した。
「むむん……。フィール……?」
「ふぃーる違う、云ったはず! ふぃーは、ふぃー! にーたのいもーと!」
妹様、大激怒。
しかしミルミルはどこ吹く風と云った様子で、マイエンジェルの服をつまむ。
「オオウミガラスを優先していて、聞きそびれていた……。この服、凄く可愛い……。あやうく、魅了されるところだった……。どこで手に入れた……? 私も欲しい……? 私も法師……? 私は干し飯……?」
どうやら、フィーの『子ブタさん服』が気になっている様子。
その言葉に、先程まで激怒していたマイシスターは、すぐに機嫌を良くして、むふー! とふんぞり返った。
「これ、ふぃーのお気に入り! おかーさんに作って貰った!」
「むむ……。店売り品ではない……?」
ちょびっと残念そうなぽわ子ちゃん。
まあ母さんの手作りなら、基本的には手に入らないと思うだろうからね。
子ブタさんスーツは出来映えも良いし、店売り品に見えたとしても不思議はないが。
「ミルティア様、こちらの『なりきり動物さんシリーズ』は、来春以降、商会での販売予定となっておりますよ?」
フェネルさんはそれだけを優しく告げて、泣きべそエルフと一緒に外に出ていった。
突如現れたという、村娘ちゃんの対応をしに行くのだろう。
「むん……。『なりきり動物さんシリーズ』……。つまり、オオウミガラスも出る……?」
そんな名称が付いていたことなんて、今知ったよ。
普通に考えればポピュラーで馴染みのある動物にするだろうから、オオウミガラスはいないと思う。
しかし、このヒナ鳥たちは可愛い。
この場が公開されれば、きっと好評を博す。
各種グッズも販売予定と云っていたから、会場限定でオオウミガラスさんスーツを売り出すくらいは、あの人たちならば、既に企図しているかもしれない。
(こっちの太平楽なお子様たちは良いとして――)
問題なのは、孫娘ちゃんのほうだ。
流石に、青い顔をしたまま震えている子どもを放置する訳にもいかない。
近づいてみる。
「ひっ……!」
孫娘ちゃんは、俺を見て怯えたようだった。
不可解だ。
先程までは、こちらに対して『恐れ』なんて無かったはずなのに。
「大丈夫じゃ、クラウディア。……アルト・クレーンプットは敵には回らん」
枯れた巨木のような老人は、そう云って第三王女様を元気づけている。
しかし、こちらの言葉も不可解だ。
俺が敵に回る、とはどういう意味なのか?
俺がこの娘に含むところがないと云うのは事実だし、認識して貰っていると思っていたのだが。
(だが、この娘の怯え方は、ご隠居の言葉通りに、俺が離反するとでも思っていると云うことなのだろうか? だとすれば、何故?)
分からないことだらけだ。
変化があったとすれば、それは――。
(まさか、村娘ちゃんか? 第四王女の登場に、何か理由が……?)
首を傾げる俺に、ミチェーモンさんは、奇妙な程の柔らかい笑顔と、優しい声を投げかける。
「のう、そうじゃろう? お主は、クラウディアの味方よな?」
念押し――。
つまりこの言葉には、大きな意味があるということなのだろう。
だが、一体何故だ?
たとえば村娘ちゃんと孫娘ちゃんが不仲だと云うのであれば、まだ分かるのだが、そんな話は聞いたことが無い。
あるとすれば両者の母の実家――両侯爵家に、敵対関係が成立した場合だが、こちらもそんな噂は耳にしていない。
尤も、同格の侯爵家だ。
利害関係の衝突は常にあると見ておくべきではあるのだろうが……。
(しかし今は兎も角、孫娘ちゃんを元気づけてあげなくては)
少しかがんで、目線を合わせてあげる。
すると彼女は、縋るような瞳を俺に向けてきた。
本当に心細いと云った感じだ。
一体この娘に、何があったというのだろうか?
何と声を掛けてあげようか。
そう思ったと同時に、入り口の扉が開いた。
そしてそこには、四歳のときから見慣れている、『あの娘』の姿が。
クララちゃんには無意識の恐怖があったのだろう。
キュッと、俺の服をつまんでいた。
入館してきたのは、お月様のような幼女と、いつも通りのお付きの人。他のお供はいないみたいだ。
「――――!」
そして、目が合う。
彼女にとっても俺がいたのは意外だったらしく、穏やかな笑顔が、驚きに変わる。
しかしそれは一瞬のこと。
すぐに月のような――闇の中でくっきりと目立つのに、控え目で自己主張しない静かな微笑を浮かべて、典雅な一礼をした。
「久しぶり」と云えば良いのか、それとも「初めまして」と云うべきなのか、礼を返すのが遅れた。
結果、無言棒立ちの姿となってしまう。
それを見たお付きの人が、怒りに燃える瞳で俺に叫んだ。
「この痴れ者がッ! こちらにおわす御方を、どなたと心得る!?」
そんな、今にも印籠を出しそうなセリフを。
しかし従者の咆吼を、ちいさな主が、ちいさなおててで制する。
「いけませんよ、エルマ。この場に突然押しかけたのは、我々なのです。それにこちらは、まだ名を名乗ってもおりません」
「そ、それは――」
渋る従者(エルマさんって云うのね、何年も顔を合わせているのに、今初めて知ったわ)を下がらせ、お月様な幼女は、再び一礼する。
「改めまして、お初にお目に掛かります。わたくしは、しがない寒村の出で、村娘ちゃんと申します。どうぞ、そのようにお呼び下さいませ」
俺のほうに向け、ちいさく片目を閉じてみせた。
うちの母さん以外とは皆知り合いだろうに、いい性格しておいでだよねぇ、彼女も。
※※※
村娘ちゃんがやって来た理由――。
それは、矢張りオオウミガラスに惹かれてであったと云う。
オオウミガラスと云う北方の生き物を飼育するには、水と気温の調整が必須となる。
となれば、それなりの魔石と設備が必要になるだろうと踏んだようだ。
そして、魔石が運び込まれ、連日、王都でも指折りのドワーフ職人たちが詰めて作業しているこの場所に当たりを付けたのだという。
「一般開放されてしまえば、わたくしでは気軽に立ち寄れませんので――」
それで、無理を承知で解放前にやって来たのだと。
「実は、こちらを訪ねたのは、他にも理由があったのです」
村娘ちゃんの目的のもうひとつは、写真機――カメラであると云う。
あれで大好きなお母さんと写真を撮りたいのだと、少し恥ずかしそうに彼女は笑った。
魔術試験のときについたてに寄ってきたり、平気で庶民と交流したり、この娘、凄く行動力のある子だよねぇ。
と云う訳で、たちまちのうちに話題の中心となった村娘ちゃんなのである。
「子ブタさんの服、凄く可愛いですね……! 羨ましいです……!」
「みゅっ! ブタさん可愛い! なら、ブタさんの服も可愛い、それ当然のこと!」
「わ、わたくしも購入出来るでしょうか……!?」
「殿――いえ、お嬢様、それはおやめ下さい……っ!」
フィーとは、そんなことを話し。
「私さー。こないだ貴方のお母さんに、お茶引っかけちゃったのよねー」
「えっ!? えぇ……っ!? わ、わたくしのお母様は、大丈夫だったのでしょうか……っ!?」
「ああ、冷たいお茶だったから平気よー。でも、お付きのメイドさんと、うちの亭長に、頭をダブルではたかれてさー」
タルタル、よく首が飛ばないな……。
「むむん……? ムラムラ娘ちゃん……? 何故そのような豪毅な名乗りを……?」
「ち、違います……っ。誤解です……っ」
ぽわ子ちゃんと、そんな遣り取りをし。
「うっふふー! 貴方、凄く良い子ねー? きっと貴方のお母さん、とっても優しくて、素敵な人なのねー」
「――っ! は、はい……っ! 世界で一番のお母様なんです……っ!」
自分のことを褒められるよりも、お母さんのことを褒めて貰えることが、一番嬉しいみたいだ。
今まで見た中でも、指折りに良い笑顔をしている。
実際、パウラ王妃、凄く良い人だからね。
優しくて、そして強い。
「ピィ、ピィ……!」
「きゅぇぇ……!」
「あ、あぁぁ……っ! まさか、こうしてふれ合えて、だっこまで出来るなんて……! 遠目で観察させて頂くだけかと思っておりましたのに……!」
まん丸なヒナをだっこして、ご満悦の村娘ちゃんだった。
この娘は明るく朗らかで、しかも庶民に対しても礼儀正しいので、すぐに会話の輪を構築できるようだ。
これは王妃様から譲り受けた美徳なのか、それとも産まれ持ったカリスマなのか。
何にせよ、これならば『実の姉』とも仲良く出来るかと思いきや――。
(村娘ちゃんが皆と打ち解けていくたびに、孫娘ちゃんの顔が曇っていく……)
それはまるで、絶望でも見ているかのように。
彼女のちいさな身体は震えだし、俯いてしまっている。
座っている位置が離れているからか。
それとも『別の距離』があるからか。
村娘ちゃんも、クララちゃんに話しかけることを躊躇っているみたいだった。
しかし行動力旺盛な子だからか、意を決したように、ちいさな王女は『姉』に口を開いた。
「あ、あの、クラウディア様……」
身内を『様付け』の名前で呼ぶ――。
それだけでも、両者の関係の一部が察せられるというものではあるが。
しかしそれでも、おずおずと伸ばされた『妹』からの会話の手に、孫娘ちゃんはビクッと身体を竦ませた。
「……ひっ……! うぅ……っ!」
そして、両目に涙を溜めたまま、クララちゃんは駆けて行ってしまう。
「アルちゃん」
母さんが即座に声を出す。
追わないと云う選択肢は、この際、無いだろう。
俺が立ち上がると、移動を察知したフィーが飛び付いてくる。
「待っていてくれ」と云う訳にも行かないので、妹様を抱きかかえて、クララちゃんの後を追った。
「……ぁ……」
背後からは、そんな寂しそうな声。
それは今までに俺が聞いたことのない、満月の嘆きだった。




