第四百五十二話 子ブタ物語
「ぶーぶー、ブタさん、ぶぅぶぶー! にゃんにゃんネコさん、にゃんにゃにゃーん!」
目の前では、フィーが踊りながら駆け回っている。
今日も今日とて、大のお気に入りの子ブタさんスーツを装着して、はしゃいでいるのだ。
(良かった、良かった。バラモスたちと離ればなれになったときは寂しそうだったけど、何とか普段のフィーに戻ってくれたみたいだ……)
やっぱりこの娘は、いつでも笑顔でなくちゃね。
「ふへへへ……! にぃたぁ……! ふぃー、にーた好きっ!」
くるりんと華麗なターンを決め、そのまま俺に抱きついてくる妹様。
子ブタさんスーツを着ているときのマイエンジェルは、平常時よりも機嫌良さげに見えるな。
(まあ、フィーの気が霽れてくれたなら、俺も嬉しいしな……)
何せ、考えることはたくさんある。
今月はミアの成人――十五歳の誕生日があるし、来月は、妹様の五歳のお祝いがある。
加えて、聖域のひとつ『万秋の森』へ出かける予定も入っており、更には今年は不参加ながら、商会長に頼まれているオークション用のボトルシップも作っているのだ。
去年参加した星降りも今月だが、今年はぽわ子ちゃんに誘われていないから、そっちはないのかな?
「めー! にーた、ふぃーをだっこしてるときに、考え事、めーなの! ふぃー! ふぃーだけを見るのー!」
ぷんぷんしながら、もちもちほっぺを押しつけてくるマイシスター。
しかし、言葉ほどに不機嫌ではないのは、ぐいぐいと擦り付けてくるほっぺの感触でお見通しよ。
果たして、こちらから抱きしめ返してあげると、すぐに歓喜の声をあげた。
「ほら、可愛い子ブタさん、つかまえたぞー?」
「きゃーっ! ふぃー、つかまった! ふぃー、にーたに可愛い云われた! にーた、どうしよう!? ふぃー、嬉しいけど困っちゃう!」
全く困った様子もなく、更に身体を押しつけてくるマイエンジェル。
腕の中で大暴れしている子ブタさんを、そうしてあやしていると――。
「ふむ。キミは、動物さんとじゃれつくのが好きなんですか。これは私も、気を付けねばなりませんかねぇ……?」
「え……っ!?」
いつの間にか、俺たちのすぐ傍に、子ブタがもう一匹。
そこには、ちんまいダルダルエルフの姿があった。
「ミィス……さん!?」
「はろはろ~……」
やる気なさげに片手をあげるダメエルフ。
前述の如く、彼女も子ブタさんの格好をしていたのである。
まるでフィーが着ている、子ブタさんスーツがもう一着あるかのように。
「な、何故ここに……? いや、その前に、その格好は……!?」
「それ、聞いちゃいます? 聞くも涙、語るも涙の理由があるのですが、その前にお茶とか貰えると嬉しいんですがね。ああ、お砂糖とハチミツは、たっぷりでお願いします」
相変わらず、横着な態度だ……。
仕方なしに、俺はフィーを抱えたまま立ち上がり、お茶を淹れに行った。
「ほほう? 中々いい感じじゃないですか。ですがこの茶葉は、うちの店で取り扱っているものですね? 高祖様秘蔵の茶葉なんかは、ないんですかね?」
サラリと贅沢なことを……。
ショルシーナ商会の茶葉だって、凄く良いものなんだぞぅ。
しかし、味だけで茶葉を見抜くとは、このダメエルフ、意外に舌が肥えているのかもしれん……。
「それにしても、アルト・クレーンプットくん、キミ、お茶を淹れる技術まで身につけていたんですか。ちっとも知りませんでしたよ」
「エイベルがこだわる人ですからね。手は抜けません」
夜にふたりきりでお茶会をして過ごすときは、俺が淹れることもある。
そのときに色々と、うちのお師匠様から教わっているのだ。
おかげでほんの少しだけ、こういうスキルも習得できた。
まあ実際は、エイベルはもちろん、ミアにも遠く及ばない腕前なのだが。
「――で、何しにうちに来たんです? それに、その格好は? 仕事はどうしたんです?」
「ここへ来たのは、キミに会う必要があったからです。服装に関しては、涙の理由があると、先程、申し上げました」
ああ、うん。
みっつめの『仕事に関する質問』には、沈黙して答える気はないのね。
「みゅみゅーっ!? にーた、いつの間にか、ふぃー以外に、ブタさんが!?」
夢見心地で俺に抱きついていたからか、今更になって反応するマイエンジェル。
フィーはワナワナと震えながら、自分の姿とミィスの姿を見比べている。
「大丈夫だ。フィーのほうが、ずっと可愛いぞ?」
「きゅふううううううううううううううううん! ふぃー、にーたに可愛い云って貰えた! ふぃー、嬉しい! ふぃー、にーた好き!」
ちゅっちゅ、ちゅっちゅとキスの雨を降らせてくる妹様を見ながら、肩を竦める商会の問題児。
「はぁ……。高貴なるハイエルフの私より、人間族の幼女のほうが上という神経は理解が出来かねますね……。キミは特殊な趣味の持ち主なんですかね?」
いや。
あんさんよりも、フィーのほうが実際に可愛いし。
何にせよ、こいつに居座られるわけにもいかない。
ミィスがここに留まれば留まる程、商会の皆さんが苦労するわけだし。
改めて、何で我が家へ来たのかを訊いてみる。
「チッ……! 私を早々に追っ払う気ですね?」
そーだよ。
サボり魔だけあって、こういう空気には鋭敏なようだ。
商会長さんの苦労が偲ばれると云うものだ。
「まあ、良いでしょう。私がこちらへやって来た理由でしたね? それは、我が身を包むこの衣装――愛くるしいこの姿にこそあるのです」
「みゅっ!? ブタさん見せに来た? でも、にーたには、ふぃーがいる! ブタさん、間に合ってる!」
ヒシッと俺にしがみつく力を強めるマイシスター。
うん。
そんなことで張り合わなくても良いからな?
「で、その子ブタさんの格好に、どんな理由が?」
「ええ。実はこの格好、あの鬼眼鏡に命じられたものなのですよ」
聞けば、この間のお偉いさんたちが来ているときに晒した醜態の責任を取らされたのだと云う。
具体的には、動物さんスーツの宣伝だ。
この服を着て託児所や公園など、親子連れの多いスポットをまわり、アニマルな外見を、皆の目に焼き付けてこいと仰せつかったのだとか。
「まったく……! 何が悲しくて高貴なハイエルフである私が、道化を演じなくてはならないのか……! しかもドサ回り営業ですよ……! いくら私の姿が可愛らしいからと云って、尊厳を踏みにじってはいけないはずです……!」
いや……。
その姿でうちに来たってことは、巡業を放り出したってことなんじゃないの?
「子ブタ姿をしている訳は分かりましたけどね、それ結局、うちに来る理由じゃないですよね?」
「優先順位の問題です。しょうもないドサ回りよりも、成すべき事が他にはあるのですよ。それこそがキミへ持ってきた、お話なのです」
ジャラリとテーブルの上に、小銭を置く子ブタエルフ。
置かれているのは、全部銅銭だ。
日本円換算で、三百円くらいか?
酒か何かを買った後の、おつりか何かじゃないの?
「光栄な話ですよ? これで、キミを雇いたいのです」
何をさせるつもりか知らないが、彼女の中で俺の労働価値は三百円程度と云うことらしい。
「えっと……。ヤンティーネを呼んで来ますね?」
ハイエルフの騎士は今の時間、庭で果下馬たちのお世話をしているはずだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! あの堅物と顔を合わせたら、面倒なことになるじゃないですか!」
知らんがな。
しかし居座られると困るので、再び来訪理由を訊く。
「実は、ですね。キミに、案内役と云うか、お守りを頼みたいのですよ」
「お守り? てことは、相手は子どもなんですか?」
「キミと同い年ですから、まあ子どもですねぇ」
いや……。
俺、そうそう家から出られない身の上なんだけど……。
「ちょろっとの時間なんですから、大丈夫ですよ。それに行く先も近場です」
「距離や時間よりも、相手するのが、どんな子なのかが大事なんですけどね?」
「ああ、大したことはありませんよ。――この国の第三王女です」
大ありじゃねーかよ!
俺、そんな高貴な人に会ったことなんて無いんだぞ!?
(あぁ、いや……。村娘ちゃんは、尊貴な立場か……。でも、あの娘とはまだ正式に名乗り合ってないから、俺の中では行きずりに知り合った謎の少女と云う位置づけなのよね)
と云うか、王女の接待を日給三百円で発注したのって、異世界含めて、こいつが宇宙初なのでは?
「いえいえ、キミならば大丈夫です。と云うか、キミでないと難しいでしょう。あの娘、超絶ビビリの引きこもりですから」
俺、引きこもりの相手なんてしたこと無いんだけど……。
いずれにせよ、返答は決まっている。
「大変そうなんで、パスで」
「ほう、そうですか。貴方は、この哀れなハイエルフの嘆願を無下にするつもりなのですね?」
哀れなのって、自業自得じゃんか……。
「仕方ありませんね。将を射んとすれば何とやらです。――フィーリア・クレーンプット嬢、よろしいですか?」
「んゅ? ふぃーにご用? ふぃー、にーたのこと好きだよ?」
「ええ、よぉく存じております。そして、オオウミガラスのヒナたちも大好きですね?」
「みゅっ!? バラモス!? あの子たち、ふぃーの友だち!」
「では、会いたいでしょう? そうでしょう?」
「んゅ! ふぃー、バラモスたちに会いたい! 会って、一緒に遊びたい!」
「美しい友情です。私も思わず貰い泣きしそうです。いえ、誰も泣いてはいませんがね。では、お兄さんにお願いして下さい。オオウミガラスのヒナたちに、会いに行きたいと」
こいつ、フィーをダシに……!
しかし、これで色々と繋がったぞ。
この間、バラモスたちの宣伝に、ミィスは王族を招くことを提案していたはずだ。
あれの案内役を俺に押しつける気だったのだ。
「さて、アルト・クレーンプットくん。キミには選択の自由があります。私の持ち込んだ話がイヤだと云うのであらば、どうぞ妹さんに云ってあげて下さい。『お前をオオウミガラスに会わせてはやらないよ』と。私はその意志を、心の底から尊重致します……」
「ぐ……っ!」
「にーた……? ふぃー、バラモスたちに会えないの……?」
大きな青いおめめが、不安そうにこちらを見上げている。
この瞳に抗うことは、俺には不可能だ。
俺は、頷くしかなかった。
「いやぁ! これはめでたいことですね! 感謝しますよ、アルト・クレーンプットくん! 日程は追って連絡しますので、どうぞ存分に妹さんを楽しませてあげて下さい! あ、報酬はテーブルの上ですよ?」
何と云う、晴れ晴れとした笑顔だ……。
「これで第三王女も安泰でしょう。私も骨を折った甲斐があったと云うものです!」
高笑いをする子ブタの背後に、人影がゆらめいた。
「――骨を折ったのは、私なんだけどね……」
ミィスの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「こ、このイヤな感じのする声は……!」
「ショルシーナさん!」
なんとなんと、商会長様直々のご来訪である。
「ミィス……。仕事を放り出して、こちらで何をしているんですか……ッ!」
「あ、あわわ……! 何でここに……!? つ、追尾するにしては、は、早すぎます……! まるで、まっすぐこっちに来たみたいじゃないですかぁ……!」
「子ブタの格好をして街中を歩いていて、注目を浴びないとでも思っているの、貴方は!」
うん。
そりゃ、この格好なら目撃情報は山の如しだろう。
ガッシリと頭部を掴む商会長。
ミキミキと云う音が、こちらにも聞こえて来そうな程だ。
「すみません、アルト様。これが色々とご迷惑をおかけしたようで。何を云われたかは存じませんが、全て白紙で結構ですので。――エイベル様にご挨拶できないのは無念の極みではありますが、仕事が押しておりますので、これで失礼致します」
「痛い痛い痛い痛い……! や、やめて下さいよぉ~……!」
ズルズルと引き摺られていく子ブタ一匹。
その姿は街中に晒され、大層な話題と宣伝効果をもたらしたそうな。




