第四百五十一話 双月の王女
第三王女クラウディアと、第四王女シーラの姉妹仲が良好と思っている人間は、残念ながら存在しないであろう。
そしてまた、当人たちも自分の姉、妹と仲良しであるとは、看做していなかった。
ただし、そこから先が少し違う。
第四王女、シーラ・ホーリーフェデル・エル・フレースヴェルクは、常々自分の姉と仲良くなりたいと望んでおり、他方、第三王女のクラウディア・ホーリーメテル・エル・フレースヴェルクは、自分の妹に近づくことを怖がった。
これはシーラの人格が問題なのではなく、ことある毎に同い年の妹と比較され、あざけり続けられた結果ゆえの苦手意識から来るものであった。
実際に、もしもふたりが並んでいたら、矢張り心ない連中からの嘲笑を受けたことは確実であったろう。
加えて、両者の母の実家――クローステル侯爵家とヴェンテルスホーヴェン侯爵家の間には抜き差しならぬライバル意識があって始終張り合うものだから、まわりの大人たちも、両者の接近を積極的に促す者はいなかった。
ただひとり、シーラ第四王女の実母である、パウラ王妃を除いて。
「姉妹仲が良いのは良いことなのですよ? いいえ、自然のことでしょう。それに、クラウディア殿下は良い子ですから。――ああ、もちろん貴方もとっても良い子ですよ?」
シーラは、母親が大好きである。
誰よりも優しく、そして強かったから。
この『強い』と云うのは、無論、心の強さだ。
母が死病の淵にあった時、パウラは周囲に心配を掛けないよう、激痛があっても、決して弱音を口にしなかった。
自分が傍に寄るだけで苦痛であったろうに、我が儘にも『母に会いたい』と望んだときは、必ずこれに応じてくれた。
優しい笑顔で、自分に接してくれたのだ。
だからパウラはシーラにとって、大好きな母と云う以外に、理想の女性像でもあったのだ。
そんな『母』を見てきたのだから、シーラの望む理想の男性は、能力や容姿よりも、心が大切だと考えるようになるのは、当然の成り行きでもあった。
優しく、包容力があり、安定した人格であること――。
国王の娘として産まれた以上、自由恋愛は不可能だと云うことは理解している。
だからせめて、『心優れた人』が将来の相手であることを、彼女は願った。
尤も、シーラの護衛役として産まれた時から傍に使える近衛魔術騎士エルマは、それは難しいのではないかと危惧している。
貴族と云うのは、どうにも心が歪んだ人物が多いのではないかと思っているからだ。
実際、ある程度はその推測――否、偏見は正しいのであろう。
しかし、王女であるシーラの将来の相手は貴族か王族以外には有り得ないのだから、その中でマシな者が現れてくれることを祈るばかりだ。
同時に、敬愛する幼い主に寄ってくる心根の卑しい連中は、全て遠ざけねばならないと固く誓っている。
父は国王。
母は国に五つしかない侯爵家の娘。
本人は美貌と才知に恵まれ、魔術師としての素養と王位継承権も持つ――。
こんな『優良物件』に目を付けない者はいない。
シーラと云う花には、大量の害虫が寄って来ていることを、彼女は知っている。
故に、『本当の味方』が必要であることも。
(近習候補の中に、そんな人物がいれば良いのだが――)
結婚相手と同様に、きっとそれも難しいのだろうなとエルマは思っている。
きっと主人の威光にすり寄ってくるおかしな連中ばかりであろうと。
そういう愚物どもは、この私が追い散らしてやると、固く心に秘めているエルマなのである。
そんな主従が庭園近くの廊下で『その人物』を見かけたのは、本当に珍しいことであった。
「クラウディア、様――」
思わず、シーラが声を出す。
そこにいたのは、自室に引きこもりがちな腹違いの姉・クラウディアである。
あまり仲が良くなく、公式の場以外では会うこともないとあって、両者は互いを様付けで呼ぶ関係に留まっている。その点も、シーラには残念であった。
しかし、彼女とその従者が驚いたのは、場所が廊下であったからではない。
その、表情にあった。
(笑っている――)
シーラもエルマも、クラウディアの笑顔を見たことがなかった。
無論、『宝剣の儀』よりも前の頃は、彼女も笑っていたのだろう。
だが、その頃は今よりも顔を合わせる機会がなかった。
それは両者の幼さの為であり、またシーラは母を救う為に全てを捧げると決めていたから、勉強と研究以外に目もくれなかったからでもあった。
そして、この辺はシーラもエルマも想像の外にあるのだが、幼少期から勉学に邁進する第四王女の姿は当時から評判で、一方で子どもらしくただ普通に遊んでいただけのクラウディアは、当時から『比較』の対象となって傷付いていたということを、彼女等は知らなかったりする。
第三王女は、第四王女主従の接近にも気付かず、一枚の紙を眼を細めて見つめていた。
あんなにも穏やかな笑顔を見せるのだ、『姉』の笑顔を引き出しているであろう、あの『紙』は、一体何なのだろうか? シーラは、激しい興味を抱いた。
そんな心の動きがあったからかどうかは知らないが、クラウディアは近づいてくる『妹』に気がついた。
「……ぁ」
そこにあったのは、単色の怯え。
静かな月のような微笑は消え果てて、彼女は俯くようにして、その場を立ち去ろうとする。
「あ、あの、クラウディア様――」
「……ひっ……!」
シーラの声は第三王女にとっては、恐怖の対象でしかなかった。
もしもこの場に、他の者がいたらどうなるか?
(また比べられる……! またバカにされる……! 私も、お母様も……! もうイヤだ……! もうイヤだよぅ……!)
立ち去ることだけに心を奪われた第三王女は、大切な『紙』を落としたことにも気付かず、たったひとりで駆けて行ってしまった。
そう云えば彼女には護衛も少ないのだと云うことをエルマは思い出した。
尤も、王女であり侯爵家の血を引く彼女に、誰ひとり傍にいないと云うことは考えられない。
クラウディア自身が遠ざけたか、理由があって一時的に傍を離れているのだろうと近衛騎士は考えた。
一方、『姉』に立ち去られた『妹』は、すぐに『落とし物』に近づいている。
「シーラ殿下、危険です! 未知の物体など、何があるか分かったものではありません!」
「大丈夫ですよ、何も感じませんから。エルマは心配しすぎです」
ちょこんと屈んで、ひょいと『それ』を手に取る。
いくら自分の主人が天才であり、かつ第六感と云う破格の能力を有しているとしても、ちょっと無防備すぎではないかと彼女は思った。
どうにも敬愛する主には、少しだけ『おてんばモード』になるときがあり、興味の赴くままに振る舞うときがある。
彼女はそんな第四王女の行動にハラハラしているのだが、パウラ王妃は『そちら』の娘の姿を良しとしているようでもあった。
(殿下の無防備さは、私が補ってさしあげねば……!)
思えば、魔術試験の時も、
「わぁっ! エルマ、見て下さい! ついたてですよ! ついたてがありますよ!? あの向こう側には、わたくしの知らない世界があるのですね!」
などと目を輝かせて近づいていき、身分差も弁えない、酷くくたびれた雰囲気を纏った平民の小僧に、図々しい振る舞いを許していたのだ。
シーラは『姉』の落とした紙を眼前に運び、そして、目を見開いている。
「殿下? 如何なさいました?」
そしてそれは、追いかけるようにして覗き込んだエルマも同様であった。
「こ、これは――っ!?」
そこにあったもの。
それは、とてもこの世のものとは思えない程に鮮明な『絵』。
そしてその『絵』の中にあるのは、愛くるしい姿のヒナたちだった。
「で、殿下……、これは何でしょうか……!?」
「…………」
「殿下?」
「――え? あ、はい。描かれているのは、オオウミガラスのようですね。でも、わたくしの知る限りでは、オオウミガラスの赤ちゃんは、こんな色ではないはずですが――。いえ、それよりも、です」
シーラは、『絵の内容』よりも、『絵そのもの』を気にしているようだった。
「このような技術が、すでに確立されている……? それとも、魔導歴の技術が……?」
わずか六歳にして魔道具技師の資格を得、母の為の義肢作りに頭を悩ませているシーラにとっては、見過ごすことの出来ない一枚であった。
「クラウディア様に、これを返却しないといけませんね。それと出来れば、この『技術』についても、聞かせて頂かないと――」
シーラは、すっくりと立ち上がった。
そこに、のほほんとした声が掛かった。
「おお、お主ら、ここにおった娘っこを知らんかの? ちぃと、わしが立ち小――いや、木々を愛でている間に、待たせていた子なんじゃがの」
背の高い、枯れた老人がいた。
それは、王城では見たことのない人物。
(不審者かッ!?)
エルマは反射的に剣を抜こうとして――。
「――っ!?」
恐ろしい程の恐怖に、胸を貫かれた。
それは老人が何かを仕掛けたのではなく、歴戦の騎士としての、彼女のカンだった。
(死ぬ……! この老人に仕掛ければ、一瞬で五体がバラバラになる……!)
エルマは戦慄した。
老人は急に固まった近衛騎士に、不思議そうに首を傾げている。
「何じゃ? どっか悪いんか? それなら、呼び止めて悪かったのぅ……」
老爺は心配そうな顔をしながら、無造作に近づいてくる。
そして、シーラの持っている『絵』に気がついた。
「――ああ、あやつめ、それを落として行きおったか。まあ、大体の事情は察したわい」
老人には、シーラが何者なのかが分かっているようだった。
同時に、エルマはこの老人が何者なのかを思い出した。
第四王女は無防備に老爺に近づき、『絵』を手渡す。
「こちらを、貴方様にお任せしても、大丈夫なのでしょうか?」
「おお、助かるわ。中座している間に見失って、しかも落とし物も届けられぬでは、大目玉を食らってしまうわい。何より、あやつが可哀想じゃ」
苦笑しながら、大きな年配者は『絵』を受け取る。
シーラは、老人に問う。
「あの、その『技術』は――」
「おお、これな。やっぱり気になるかの? でも、わしが勝手に教えるわけにもいかんでな。『近日公開』らしいから、それで勘弁して貰えるかの?」
近日公開。
その言葉でシーラは、ある程度の落ち着きを取り戻した。
新発見の技術なのか、それとも復古のそれなのかは、引き続き気にはなったが。
「さて、ろくに挨拶も出来んで申し訳ないが、わしはあの娘を追わねばならぬ。ひとりには、しておけんでな」
老人は歩き出し、それからシーラに振り返る。
「余計なお世話かもしれんがの、絵の『技術』を気にするより、絵の『中身』を気にするほうが、子どもらしくて、わしは良いと思うぞ?」
ではな、と手を振り、小走りで廊下の向こうに消えて行く老人。
シーラは、それを見送った後に従者を見つめる。
「エルマ、ダメですよ? あの方に、無礼を働こうとしたでしょう?」
「……申し訳ありません。普段は王城などには近づかないはずの御仁だったもので」
近衛騎士の身体は、まだちいさく震えていた。
敬愛する主の『師』以外で、あれ程の力量を持つ者と接近したのは、稀なことなのである。
そして主のほう。
「オオウミガラスのヒナ、可愛かったなぁ……。わたくしも、実物を見てみたいです……。クラウディア様に、色々とお話をお聞きしたかったなぁ……。ああ、何とか、伝手を得られないものでしょうか……」
きちんと写真の中身にも、心を奪われていたのである。




