第四百四十九話 とある星読みの動向
ムーンレイン王国・王城内観星亭カエルム。
そこは天体を観測し、天候を予測し、そして星を読む場所である。
しかし人間社会の部署である以上、噂話から無縁であると云うこともない。
その日、その場所で囁かれたのは、ほんのちいさな話題。
曰く、エルフの商会が、北国より珍しい動物を連れ帰ったのだと云うだけのこと。
観星亭職員の大半は、その噂には食いつかなかった。
『オオウミガラス』と云う存在を、あまり知らなかったが故である。
「カラス? あの、ギャアギャアうるさくて、ゴミをあさる迷惑な鳥か!」
「声も気持ち悪いのよねぇ……」
「そんなのを持ち帰って、どうするんだ? 肉が美味いか、皮か羽に使い途でも?」
と云う反応を示す者達も多くいた。
しかし、ぴくくん、ぴくんと身体を震わせる者もいる。
それは、北国の出身者。
この国に僅か三名しかいない未来を視る者――偉大なる星読み、タルビッキ・アホカイネン様である。
「お、オオウミガラスですって!?」
彼女は自分の机から勢いよく立ち上がり叫んだが、タルビッキの奇矯・奇行は年中行事なので、誰も反応する人はいない。
彼女はその足で、ズカズカと上司の所へ猛進した。
「コゥバス亭長!」
「な、なんだね……?」
「今日は早退します」
「はァ!? 突然、何を云って――」
自分が処理すべき書類の束を上司の机の上にデンと置いて、タルビッキは部署を後にした。
※※※
その足で王城内の託児所へとやって来た星読み様は、窓口のお姉さんに詰め寄った。
「あ、タルビッキさん。娘さんのお迎えですか? 今日は早いですね?」
「この中で、一番可愛い子を出してちょうだい!」
「くすっ。ミルちゃんですね? 少し待って下さいね」
まだお昼前なので、他のお迎えはいない。
なのでタルビッキの愛娘――ミルティア・アホカイネンは、すぐに姿を現した。
「むん……? お母さん……? 今日は早い……? ハヤブサ……? 早口言葉……?」
わけの分からない言葉を口にしながら小首を傾げる愛娘を抱え上げ、タルビッキは云う。
「取り敢えず、お昼を食べに行きましょう!」
「家で食べない……? 何かあった……?」
「ううん! 作るのが面倒臭いだけよ! 何かはあったけどね! ミルは、何が食べたい?」
「むむん……? 食べたいもの……? それなら、マンモスのお肉を食べてみたい……?」
「手に入るものにして。絶滅した生き物は無理よ! 私も食べたいけど!」
「それなら、お米が良い……? 私、ご飯好き……?」
「お米ねぇ……? あ! 今、ピーンと来たわ! ミル! 行く場所が決まったわ!」
「むむん……? 行く先……? 田んぼ……?」
そんな風に語りながら去って行く親子を見て職員のお姉さんは、
「相変わらず、変わった親子よねー……」
と、呟いた。
※※※
「たのもーっ!」
タルビッキ・アホカイネンが勢いよく開けた扉の先は、ショルシーナ商会の王都本店である。
彼女が入ったのは一般店舗入り口ではなく、売り込み品や各種契約などの窓口がある事務局側であった。
スーツを着用した商会職員は一瞬眉をひそめたが、すぐに業務用スマイルを張り付け、アホカイネン親子の前に出る。
「ようこそいらっしゃいました。本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「うん。フェネルちゃんか、ヤンティーネちゃんいる? 出来れば、フェネルちゃんのほうが良いんだけど。ヤンティーネちゃん、おっかないから」
「は……? フェネル局長、ですか……? 失礼ですが、アポイントはおありですか?」
商会本店職員に、フェネルと云う名前の女性は一名しかいない。
それは副会長の懐刀である、局長以外に有り得ない。
商会には農業部や警備部などの各部門があり、部門の統括者である部長の立場は、各街の支店長よりも上であるが、その部長たちを取り仕切る局長の地位と権限は、更に上位に位置する。
加えてフェネルと云う女性は、ハイエルフ族の中でも名門の出で、早い話が、良いとこのお嬢さんなのであった。
様々な理由から、おいそれと会わせるわけにはいかない人物なのである。
「ん? アポ? あると云えばあるけど、ないと云えばないわねぇ……」
「何ですか、それは……」
アホカイネン親子は、フェネルとは面識がある。
去年のセロからの帰りの馬車で、ずっと一緒だったからだ。
ヒツジちゃんことフロリーナ・シェインデルと、ぽわ子ちゃんことミルティア・アホカイネンは、共に馬車内でだっこされまくっていたのである。
その時にハイエルフの従魔士が云った言葉が、
「今度、王都の本店にもいらして下さい。ご案内させて頂きますので」
と云う文言だった。
タルビッキは、それを額面通りに受け取って、こうして堂々とやってきたのであった。
「うん。フェネルちゃんが、私たちを案内してくれるって云ってたから、何か美味しいものを一緒に食べに行こうかと思って」
「…………」
目の前にいるのは、明らかに頭のおかしい類の女だ。
商会職員は、そう思った。
しかし、彼には苦い経験がある。
エルフたちが敬ってやまないアーチエルフが商会を訪ねてきた際に、不審者扱いしてエルフ族の職員に吹っ飛ばされたと云う過去があるのだ。
あのときは、本当にしんどかった。
同じ窓口担当者で、彼が密かに心を寄せているエルフ族の女性にも、暫くの間は汚物を見るような目で見られ、口も聞いて貰えなかったのだから。
(警備部に連絡して、つまみ出して貰うのは簡単だが――)
本当にフェネル局長の知己であった場合、今度こそ自分の首が飛ぶのではないか?
愛しいあの娘に、嫌われてしまうのではないか?
その恐怖が、『取り敢えず確認しておこう』と云う行動に繋がった。
果たして、フェネルはすぐに降りてきた。
そして、笑顔でタルビッキからミルティアを奪い取り、嬉しそうにだっこしている。
彼は自分の判断が正しかったことに安堵し、仕事に戻っていった。
「お久しぶりでございますね、タルビッキ様」
「うん。挨拶は大事なんだけど、私の娘を強奪してから云う言葉じゃないわよね?」
返して、って感じで手を出すが、フェネルにはミルティアを戻す様子が見られない。
より深く抱きしめて、星読み様に来訪目的を聞いた。
「はい……? 食事、ですか……?」
「そうなの。これからお昼だし、どっか美味しいところを紹介して貰おうと思って。あと、凄く重要な情報を聞きつけたから、フェネルちゃんに確認したくてね」
「重要な情報ですか。商会の不利になる話は一切出来ませんので、その辺はご容赦を。しかし、秘匿すべき事柄が関係してくるかもしれないのならば、一般のお客様が来るお店では食事は出来ませんね……。落ち着いていて美味しい家庭料理を出すお店なんかもあるのですが――」
そこで、フェネルは何かを思い付いたように頷いた。
「そうだ! タルビッキ様は、気鋭の料理研究家であるバイエルン氏をご存じでしょうか?」
その言葉に激しく反応したのは、彼女の腕の中に囚われている、ぼんやり幼女のほうである。
「むむん……! ウナギ……! 私、うな丼大好き……! ご飯に良く合う……? ヨクサル……? 誰……?」
愛娘の言葉で母親のほうは、その料理研究家とやらがうな丼の発明者であると思い至ったらしい。
「あー……ウナギ! あれ、ホント美味しいわよねぇ! よくあんな下魚をごちそうにしようと思ったわよね。私たち常識人とは、だいぶ違った思考力の持ち主なのかしら?」
タルビッキの言葉を、フェネルは笑顔のままでスルーした。
「その、バイエルン氏の新作料理があるのです。何でしたら、試食されて行きませんか?」
「ホント!? やったーっ! 試食ってことは、タダよね!? ミル、いっぱい食べておきなさい! 出来れば、来年の今日の分まで!」
「むむん……? 試食するなら、ご飯がいい……!」
「ええ、お米を使ったお料理ですので、ご安心下さい。もちろん、お代も頂きません」
「むん……? お米を使った……!? それは一体……?」
「はい。天丼と云う名の、丼ものです。とっても美味しいですよ?」
「むむん……!? お空を食べられる……!? 雲は、食べ物だった……!?」
ぽわぽわおめめをキラキラとさせて、ミルティアは身を震わせた。
すぐ隣では、タルビッキがタダ飯だ、タダ飯だとはしゃいでいる。
既に来訪目的を半ば忘れ果てている、王国の星読み様だった。




